心が追いつくまで第2話
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和哉は凜を連れて階段を上がっていった。
数段進んだところで、ふと振り返り、風鈴を見据える。
「そうだ、俺たち、いつ離婚する?」
淡々と放ったその言葉。答えを待つこともなく、彼は凜の手を軽く取り直し、そのまま階段を上がっていった。
風鈴はテーブルに置かれた署名済みの書類に目を落とす。
胸の奥がじんと痛み、思わず唇が震える。
――もうすぐよ。
声にならない言葉が、口の中でそっと零れた。
和哉が自分を愛していないことなど、とっくにわかっていた。結婚も、和哉にとっては「仕方のないこと」だった。
けれど、今はまだ離婚できない。彼の妻の立場でなければできないことがあるから。
すべて片づけたら、和哉に健康な身体を返し、そして彼の恋を叶えてやる。
*
教授との約束の時間に、風鈴は検査のため病院を訪れた。
「あとどれくらい準備の時間がありますか?」
「十日ほどだな」教授が顔を上げた。
「……十日?」
思わず声が詰まる。想像よりずっと早い。
「神崎さんの体調から見て、十日後には手術ができる段階に入ります」
「……わかりました」
重い思いを抱えたまま、風鈴はエレベーターに乗り込み、階下へ。
扉が開いた瞬間――そこには和哉と凜がいた。
さっきまで笑顔で話していた和哉の顔が、風鈴を見るなり冷え切る。
「ここで何してる?」
「……先生に会いに来ただけ」
心臓が跳ね、慌てて答えた。
和哉は、風鈴も教授と顔見知りだと知って、不機嫌そうに吐き捨てた。
「俺よりよっぽど熱心だな」
「じゃあ、あなたは?何をしに……」
風鈴はつい口走ってしまい、言った瞬間に後悔した。
青白い顔、紫がかった唇。誰が見ても、診察のために来ていることは明らか。
彼はあざ笑うように片唇を上げた。
その目には、呆れと嘲りしかない。
その視線に射抜かれ、風鈴は唇を噛みしめ、何も言えなくなった。
空気が凍りつくように重くなる。
そんな中、凜がふわりと笑った。
「風鈴さん、気にしないでくださいね。和哉って、昔からああいう言い方しかできない人なんです」
風鈴も微笑みを返す。
――違う。
彼は話したくない相手にだけ、ああいう態度を取る。
凜が和哉の腕に絡みつき、甘えたように寄り添う姿を見た瞬間、胸を刺したのは――嫉妬。
かつて自分も夢見た光景。でも、それは手の届かない幻だった。
「そうだ、風鈴さん、いい知らせがあるんですよ!」
「リン」和哉が眉をひそめた。「いちいち言わなくていい」
「だって、すごく嬉しいことだから。みんなに言いたいの!」
凜は子どものように彼の腕を揺らした。
和哉は仕方なさそうに笑い、優しく見つめた。
「風鈴さんも、ちょっとは気になるよね?」
凜が風鈴へ向ける笑顔は無邪気そのもの。
風鈴は、すでに何を言うか察していた。
できることなら、この話題に触れたくない。
だが和哉の鋭い視線が彼女を刺す。
「……どんな、知らせですか?」
無理に笑みを作る。
「和哉に腎臓を提供してくれる方が見つかったんです。今日はその適合検査に来たところなんですよ!」
凜が嬉しそうに告げる横で、和哉は彼女の額に落ちた前髪を、そっと指先で耳の後ろへと撫で上げた。
まるで壊れ物に触れるかのように、優しく――丁寧に。
風鈴は思わず目を奪われた。
「……あれ?あまり嬉しそうじゃないですね?」
凜が首を傾げた。
風鈴は我に返り、無理やり口角を吊り上げた。
「……嬉しいわ。本当に、よかった」
和哉はその顔を見て、冷たく吐き捨てた。
「どうせ、適合じゃなければいいって思ってるんだろ。
病気の夫を見舞いもしない女に、そんな気持ちあるわけない」
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