彼女が世界を離れたあとで第2話
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長らく沈黙していたシステムが、ついに再び姿を現した。
向音は意識の中でそのシステムと対話を始めた。
「今なら、まだ戻れるの?」
無機質だったはずのシステムの声に、どこか人間味のような温度が宿る。
「可能です。あなたの好感度ポイントは規定値を大きく上回っています。30日後、上層部より離脱のチャンスが与えられる予定です。
命令を起動しますか?」
向音は深く息を吸い込み、確かな声で答えた。「お願いします」
「命令は正常に起動されました。30日後、あなたは元の世界へと帰還します」
システムとの通信が終わる頃、車はちょうど橘原家の邸宅へと戻っていた。
いつものように自ら世話を焼くことはせず、向音は使用人に尚真の世話を任せ、自分は屋敷の最も奥まった客間へと静かに移った。
まさか、自分が本当にここを離れられる日が来るなんて。
かつてならきっと、迷いがあっただろう。けれど今はただ、早くこの偽りに満ちた世界から立ち去りたい。それだけだった。
何年も寝室を別にしていたのは、愛ゆえの節制などではなかった。彼は、自分の存在そのものを「汚れている」と感じていた。唯一、交わった夜も彼が泥酔していたときだった。
胸が締め付けられるように痛む。
向音はそっとお腹に手を添え、悲しげに呟いた。「ごめんね、赤ちゃん……
ママは、あなたをこの世界に残してあげられない」
家についた時、彼の口からはまだ遥香の名前が漏れていた。周囲の人々は目を伏せ、気まずそうに視線を逸らした。
きっと私がいなくなれば、この家には新しい橘原奥様が迎えられるのだろう。
あの日、自分が出て行こうとしたとき、雨の中で膝をついて懇願してきた彼の姿を、今でも覚えている。
「向音、お願いだ。どうか、俺のそばにいてくれ……
君がいないと、俺はどうしていいか分からないんだ」
かつて非情で猜疑心に満ちていた橘原家の若当主は、びしょ濡れの子犬のようにすがる目をしていた。
その目に、向音は心を揺さぶられた。
そして、嵐の中で強く抱きしめられたとき——「向音、結婚しよう」
あの時の言葉と瞳が胸に残り続けていた。だからこそ、何度離婚を考えてもその記憶が彼女を引き止めた。
でも今は、はっきりと分かる——自分のすべての愛も努力も、彼にとっては「あって当然のもの」だったということ。
遥香のことで何度口論を重ねたか分からない。
けれど尚真は、一度として彼女の味方にはならなかった。
向音はようやく、この空虚な関係に終止符を打つ覚悟を決めた。
彼の何気ない一言が、いつだって彼女の胸を鋭く切り裂いた。
「まさか、そのまま俺を朝まで放っておいたのか?」
翌朝、問い詰める尚真に対し、向音は冷静に答えた。
「昨日は遅かったから。私にも休息が必要よ」
誰もが知っていた。尚真は、誰かに身体を触れられるのを極端に嫌う。だからこそ、彼の身の回りを世話できるのは向音だけだった。
「もしご希望なら、次からは遥香さんにお電話してみては?」
尚真の表情が強張る。「向音、お前、それはどういう意味だ?」
彼女はゆっくりと、しかしはっきりと口にした。「尚真、離婚しましょう」
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