彼は愛を口にしない第2話
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知佳が二人の新居に戻ると、見知らぬフランス人が数人いた。
健太の秘書が近寄ってきた。「佐藤社長が今夜は一緒に夕食と映画に行けないことをとても残念がってらっしゃいました。奥様のお好きなフランス料理のシェフを呼んでお食事を用意するよう言われたんです」
テーブルには、彼女の好物ばかりが並んでいた。アロマも、彼女の好きなクチナシの香りだ。
けれど、一人きりのキャンドルディナーにどんな意味があるというのか。
「いらないわ」知佳は秘書を見て言った。「彼らを帰らせて」
彼らが帰ると、広々とした家には静寂が落ちた。
この家は、健太が彼女と一緒に選んだ新婚用の家だ。彼女がクチナシが好きだと言えば、彼は自ら庭一面にクチナシを植えた。
秋になれば散ってしまう花を惜しみ、彼は園芸の専門家に習いながら温室を建て、一生懸命花の世話をした。
温室の花は確かに美しいが、風や雨を耐え抜く強さはない。
けれど知佳は違う。彼女は弱々しいつぼみではない。健太がいなくても、自分の人生を歩いていける。
彼が愛人を養っていると知った瞬間、知佳は手放すと決めた。
二人が生涯を共にすることは、もう絶対にない。
料理人を追い返したと聞いたのか、すぐに健太から電話がかかってきた。
「知佳、怒ってるのか?もしそうなら、今すぐ仕事を放り出して帰るよ」
まるで自分が理不尽に駄々をこねているかのような言い方だ。
知佳は冷めきった料理に目を落とし、電話の向こうから聞こえる荒い息を聞きながら目を閉じた。「大丈夫よ。そっちは仕事して。私は平気だから」
電話を切ると、知佳は荷物をまとめ始めた。
主寝室の金庫には、1095通の手紙が眠っている。
彼女が留学していた三年間、健太は毎日欠かさず一通ずつ手紙を送り続け、文字の一つ一つに愛を込めた。
帰国してから、彼女はそれらを家の金庫に収め、結婚式のときに取り出すつもりでいた。
だが、もうその必要はない。
知佳は千通を超える手紙をすべて燃やした。
これで本当に終わりだ。
そのとき、大きな扉の鍵が回る音がした。
炎の向こうに現れたのは健太だった。
息を切らせながら駆け寄り、彼は知佳を強く抱きしめる。「よかった……君の声に元気がなかったから、てっきり……」
「てっきり、私が自殺でもすると思った?」
知佳は片方の口角をあげ、残っていた最後の一通を火の中に投げ込んだ。「仕事で忙しいのに、わざわざフランス料理まで用意してくれる婚約者がいるのよ。死にたいなんて思うわけないじゃない。もし裏切られていなければの話だけど」
その言葉に、健太は心臓が口から出そうだった。彼は必死に彼女を抱きしめ、ぽたりと涙を落とした。
「怖いんだ、知佳……どうか、俺を置いていかないでくれ」
肩に伝わる涙の温もりに、一瞬だけ迷いが生まれる。
彼はあまりにも上手に一人だけを愛している男を演じていた。
知佳は深く息を吸い、彼を押し離した。
健太は慌てて言い訳をしようとしたが、息が整わず激しく咳き込んだ。
その背後から、山田美穂(やまだ みほ)が駆け寄り彼を支える。
その位置からは、彼女の手が彼の服の中に差し入れられているのがはっきり見えた。
健太は眉をひそめただけで、されるがままになっていた。
知佳は見ていないふりをし、足元の火鉢を軽く蹴る。
炎は次第に弱まり、千日以上の愛の記憶は灰となって消えた。
その音で健太は我に返り、美穂を押しのけて火鉢に目をやる。
「知佳、何を燃やしていたんだ?」
彼は知佳だけに集中していて、彼女が燃やしていたものに気づかなかったらしい。
知佳は気にしないように微笑む。「ただの紙切れよ」
安心してほっと胸をなでおろすと、健太は彼女の手をそっと包み込んだ。「次からは俺に任せてくれ。火なんて危ない。君が怪我でもしたら……」
彼の愛情は、以前と変わらず丁寧で優しい。
けれど、その男が美穂に心を乱されている。
知佳の視線は目の前の健太ではなく、その後ろの美穂へと向けられている。「……で、彼女は誰?」
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