彼の愛は、私にだけ届かなかった第3話
この話は約1946字。当サイトで読める3話の試し読みのうち、最後の話です。続きの第4話からは公式アプリで読めます。
照也の母親は、にぎやかなことが好きな人だった。
毎月何度も食事会を開き、呼べる親戚や友人はできるだけ呼ぶ。
そしてその場には、いつも美優がいた。
一方で私は、月末に一度、形だけ呼ばれる程度だった。
私が着いたときには、食卓にはもう料理が並んでいた。
美優は照也の隣に座り、湯気の立つ味噌汁に口をつけていた。
普段は潔癖だと言っている照也が、美優のために焼き魚の骨を一本ずつ丁寧に外してやっていた。
私が入ってきたのを見ると、美優は目を細めて笑った。
「枝里さん、来たんだね」
待っていたなんて、ただの社交辞令だった。
私は何も言わず、静かに隅の席に座った。
テーブルの半分以上は、美優の好きな魚介料理だった。
私はほとんど箸をつけられず、端に置かれた青菜だけを少し取った。
食事の途中で、照也の母親がふいに笑いながら聞いてきた。
「枝里ちゃん、披露宴の準備はどうなってるの?各テーブルにロブスターを一皿追加したらどうかしら。あと、蟹のチーズ焼きも。美優ちゃんが好きなのよ」
美優は照れたように笑った。
「おばさま、私、ちょっと言っただけです」
「好きなら入れればいいのよ。披露宴なんだから、みんなが楽しいのが一番でしょう」
口の中の料理から、すっと味が消えた。
それは、私と照也の結婚式のはずだった。
照也が準備を何もしないのは、もういい。
けれど披露宴の料理まで、美優の好みに合わせるつもりなのか。
もっとも、その結婚式自体、もうなくなるのだけれど。
披露宴など、どこにも残っていない。
私は何も言わず、小さくうなずいただけだった。
味のしない食事がようやく終わると、照也の母親は私にソファで果物を食べるよう勧め、振り返って美優に笑いかけた。
「美優ちゃん、ちょっと皿洗いを手伝ってくれる?」
美優が立ち上がろうとした瞬間、照也が眉をひそめた。
「母さん、美優は今つらい時期なんだ。冷たい水に触らせるなよ。枝里にやらせればいいだろ」
コップを握っていた私の指が、かすかに震えた。
照也は、覚えられない人ではなかったのだ。
ただ、私のことだけを覚える気がなかった。
つい先月も、生理の初日に痛みで顔色が真っ青になっていた私を見て、彼はファンデーションを塗りすぎたのだと思い込んだ。
そして真面目な顔で言ったのだ。
「そのファンデ、色が白すぎる。お前には合ってないから、次から使わないほうがいい」
照也の母親は一瞬きょとんとし、それから笑った。
「お客様に家事をさせるなんて変でしょう。美優ちゃんがつらいなら、お父さんと照也でやってちょうだい」
男二人は台所へ追いやられた。
美優はそのあとをついていき、ドア枠にもたれて楽しそうに眺めていた。
私だけがソファの隅に取り残されていた。まるで、幸せそうな一家団らんを外から眺めている部外者みたいに。
しばらくすると、美優が眠そうにあくびをした。
照也はすぐに気づき、当然のように車のキーを手に取った。
「もう遅いし、帰ろう」
以前と同じように、やはり美優を先に送るのだ。
美優の部屋は、実際には私たちの家からそう遠くない。
その部屋は、照也が自分で選んだものだった。
静かなマンションで、緑が多く、セキュリティもしっかりしている。
近くには彼女の好きなカフェがあり、角を曲がればよく行くスイーツ店がある。
何より、私たちの家から歩いてすぐの場所だった。
「万が一、美優に何かあってもすぐ行けるから」
彼の言う「何か」はいくらでもあった。
水道の不調、停電、発熱。
夜中に悪夢を見たとか、映画を見て怖くなったということまで。
車が美優のマンションの前に止まると、彼女は笑って手を振った。
「照くん、枝里さん、気をつけて帰ってね」
照也は彼女がエントランスに入るまで見届けてから、ようやく車を出した。
さっきまで笑い声で満ちていた車内には、重たい沈黙だけが残った。
家に着く少し前、先に沈黙を破ったのは私だった。
「照也、あなたと美優の距離が近すぎると思ったことはないの?」
彼はまだ機嫌がよかったのか、珍しく手を伸ばし、私の手の甲を軽く撫でた。
まるで、すねたペットをなだめるように。
「妬いてるのか?俺と美優は、物心つく前からの付き合いだ。何かあるなら、とっくにそうなってる。
それに、実際に俺が結婚する相手はお前だろ。それじゃ足りないのか?」
足りるはずがなかった。
けれど私は、それを口にしなかった。
ゆっくりと手を引き抜き、ため息をついた。
「明日、時間ある?話したいことがあるの」
照也は反射的に眉をひそめた。
「どうしてわざわざ会って話す必要があるんだ?LINEで言えば――」
言いかけて、彼は口を閉ざした。
たぶんようやく思い出したのだろう。
この半年、LINEで私の相手をしていたのは、彼本人ではなかったことを。
数秒の沈黙のあと、彼は言い直した。
「わかった。明日は時間を作る」
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