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幾千の波を越えて、私の人生はまだ遅くない第2話

この話は約2142字。当サイトでは第1〜3話を試し読みできます。

男はようやく顔を上げ、わずかに眉をひそめた。

何か言いかけたその時、着信音に遮られた。

画面に表示された名前を見た彼は、口元に笑みを浮かべて電話に出た。

「どうした、お嬢様?

スープはもう煮てる。退屈なら子どもと遊んでろ」

不意に、彼は言葉を切った。

意味ありげに私を一瞥し、そのまま向こうに向かって一言返した。

「咲希はまだ知らない。安心しろ」

電話を切ると、彼は私を見た。

「真央はまだ、俺が全部お前に話したことを知らない。

知らないふりをしてろよ。あいつはお前っていう友達を失いたくないんだ」

そう言って、彼はスープを保温ポットに移した。

そして慌ただしく出ていこうとした。

私は彼を呼び止め、もう一度言った。

「離婚よ」

男は振り返り、理解できないという顔をした。

「俺たち、入籍したばかりだろ。何が離婚だよ。

周りに笑われたいのか?少しは体面を考えろ。もう騒ぐな」

私は手近にあった花瓶を掴むと、彼の足元に思いきり叩きつけた。

怒鳴った。

「騒いでるのは私?

私が父の葬式で泣いていた時、あなたたちは裏で寝てたんでしょう。その時、私の体面なんて考えてくれた?

そのうえ子どもまでいるくせに、どうして私だけが体面を守らなきゃいけないのよ!」

なのに、その瞬間、情けないほど勝手に涙がこぼれた。

侑斗は眉をひそめたまま、軽く一言だけ落とした。

「頭おかしいんじゃないか」

そうしてドアを乱暴に閉め、出ていった。

遠ざかっていく彼の背中を見つめながら、私はその場に崩れ落ちた。

ほどなくして、スマホに真央から立て続けにメッセージが届いた。

【咲希、私が起きるまで待たずに帰っちゃったの?】

【私の息子、もう見た?】

【いつ侑斗と新婚旅行に行くの?】

【侑斗ってほんとひどくない?私が出産する日にわざわざあなたと入籍するんだもん。これじゃ産後しばらく私のそばにいてもらえないじゃん。うぅ】

続けて、もう一通届いた。

【でも心配しなくていいよ。子どものパパが来てくれてるから】

その直後、一枚の写真が送られてきた。

写真の中では、男の細長い指が哺乳瓶を持っていた。

その薬指には、私と同じ結婚指輪がはまっていた。

全身が震えた。スマホすら握っていられなくなりそうだった。

あの人たちはもう、取り繕うことすら面倒になっていたのだ。指輪さえ外していなかった。

その時ちょうど、真央がSNSを更新した。

たった一言だけだった。

【今回、私があなたに残ってって言ったら、あなたは残ってくれる?】

次の瞬間、侑斗からメッセージが届いた。

【新婚旅行は先に一人で行ってくれ】

胸がぎゅっと締めつけられ、呼吸が乱れた。息は浅く速くなり、全身が震えた。

必死に真央のコメント欄に、一行打ち込んだ。

【そんな回りくどいことしなくてもいい。あなたたちのことは、私が認めてあげる】

書き終えると、疲れきった体を引きずって二階へ上がり、荷物をまとめ始めた。

私が少しずつ整えてきたこの新居には、もう一秒たりともいたくなかった。

けれど出ていく間際、クローゼットの奥から古いスマホを見つけた。

ほとんど考えることもなく、真央の誕生日を入力した。

ロックはあっさり解除された。

待ち受けは、侑斗と真央がキスしているツーショットだった。

メモには、真央のことばかりが並んでいた。

真央の生理周期。

真央の食べられないもの。

真央の妊婦健診の日程。

アルバムの中も。

やはり真央ばかりだった。

眠っている顔。

無邪気に笑っている顔。

唇を尖らせて甘える顔。

欲情に溺れた時の、頬を染めた顔。

分娩室へ運ばれていく時、目尻に滲んでいた涙の顔。

一枚、また一枚。

十二歳の頃から昨日まで、彼は彼女にまつわるすべてを記録していた。

笑ってしまうのは、侑斗が盗み撮りした真央の写真の構図の中に、私の姿まで映り込んでいたことだった。

指先の震えがひどくて、どうしても止まらなかった。

人の一生なんて三万日ほどしかないのに、侑斗は真央の写真を四万枚近く撮っていた。

私たちが付き合った三年間で、ウェディングフォト以外のツーショットは一枚もまともにない。

私がスマホを手にして写真を撮ろうとするたび、侑斗はいつも眉をひそめて断った。

「お前は芸能人だ。写真が出回ったら、騒ぎになるに決まってる」

彼は一度だって私の撮影現場に差し入れに来たことはなかった。なのに真央のライブには、欠かさず姿を見せていた。

私が計画していた新婚旅行も、せいぜい国内で行くくらいのものだった。

けれどあの人たちは、一緒に国内を旅し尽くし、果ては北極圏のオーロラビレッジにまで足跡を残していた。

二人は合わせて二十七回もディズニーに行っていた。

道理で私が記念日にディズニーへ行こうと言うたび、彼はいつも「つまらない」の一言で片づけたわけだ。

本当につまらないなら、どうして彼女と二十七回も行ったの?

自分を痛めつけるみたいに、最後まで写真を見終えた。

そして顔を上げた時には、涙はもう乾いていた。

スマホを元の場所へ戻す。

マネージャーにメッセージを送った。

【ハリウッドのあの映画企画、受けます。ポールを迎えに寄こして】

【咲希さんが復帰してくれるなんて、本当にうれしい!】

マネージャーに返信を返し終えると、私はスーツケースを引いて家を出た。

けれどタクシーに乗り込もうとしたその瞬間、後ろから誰かに強く引き止められた。

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