希望を胸に、過去にはもう戻らない第2話
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私は心の中で、どうしようもなく深いため息をついた。
こっそりその場を離れようと思っていたのに、やっぱり見つかってしまった。
無理に平静を装って歩み寄る。
「宝生お嬢様」
瑠奈は自分から二歩ほど私に近づき、私の安っぽいウェイターの制服姿を上から下まで眺めた。
得意げで、それでいて白々しい笑みを浮かべていた。
「やっぱりあなただったのね?今はウェイターなんてしてるの?それも外回り?大変でしょう?」
そう言いながら、瑠奈は私を会場の中へ引っ張っていこうとした。その口ぶりは、本当に私のことを気遣っているかのように妙に親しげだった。
「ほら、行きましょう。中の仕事を回してあげる。そっちのほうが楽だし。ひょっとしたら、お父さんとお母さんにも会えるかもしれないわよ?」
瑠奈は私を引いて二歩ほど進んだところで、そばに立っていた結衣たちのことを思い出したらしい。
たちまち顔つきが変わった。
「あなたたち、クビよ。さっさと消えなさい!薄汚い連中!」
結衣たちは腰が抜けたようになり、あやうくその場にひざまずきそうになっていた。許しを乞う言葉すら間に合わない。
瑠奈を恨むこともできず、ただ私の背中を憎々しげに睨みつけるしかなかった。
やはり、瑠奈は予想どおりの女だった。
会場に入るなり、今思い出したような顔をして言った。
「凛花さん、ごめんなさい、私ったら忘れてたわ。中は今、人手が足りてるの。残ってるのはトイレとゴミ箱の掃除くらいで。あなたなら……ねえ?」
瑠奈がわざと私に恥をかかせようとしていることくらい、分かっていた。
でも正直に言えば、この程度の嫌がらせは、この数年ひとりで耐えてきたことに比べれば大したことではなかった。
「分かりました。すぐ行きます」
私はあっさり引き受け、掃除道具を受け取った。
会場の隅にあるゴミ箱を片づけていたとき、宴会場の主役である祐真の母がゆっくりと姿を現した。
列席者たちが取り入るように取り囲むより早く、祐真の母の容赦ない叱責が響いた。
「こんな有様で、どうやって長生きするのさ!よく見てみな、自分がどんな女を嫁にしたのか!久我家を潰す気かい!」
私は顔を上げてそちらを見た。
別れてから五年。時の流れは祐真にだけやけに優しかったらしい。相変わらず、人の目を奪うほど整った顔立ちをしていた。
ただ、その眉間にはどんよりとした翳りが落ちていた。
やはり子どもが作れなくなったことは、彼にとって相当な打撃だったのだろう。
祐真は黙ったまま何も言わず、瑠奈は恐る恐る愛想笑いを浮かべるしかなかった。
「お義母さま、そんなに怒らないでください。お体に障りますから……」
「お義母さまと呼ばないで!」
祐真の母が鋭く遮った。
「そんなふうに呼ばれる筋合いはないわ!あんたが飽きもせず危険運転なんかしたがったせいで、祐真があんな目に遭ったんでしょう!
うちが何をしたっていうの!何の落ち度もない息子が、あんたのせいで……あんたのせいで、跡継ぎひとり残せなくなったのよ!」
そう言うと、祐真の母は矛先を、そばで黙っていた瑠奈の父と母へ向けた。
「それに、あなたたちもよ!何が本物のお嬢様よ。こんなのを引き取ってきて、今度はうちの息子まで台無しにして、これで満足?」
瑠奈の父と母の、おどおどした謝罪の声がかすかに聞こえてきた。
けれど祐真の母は言えば言うほど感情が高ぶり、積もり積もった恨みをとうとう爆発させた。
「そもそも、あなたたちのところにいた神崎凛花って子、私はずっといい子だと思ってたのよ!物静かで、きちんとしていて。なのに祐真ったらどうかしてたのよ、こんな疫病神みたいな女をどうしても嫁にすると言い張って!本当に後悔してるわ!」
瑠奈の顔色はさらに悪くなった。
とりわけ祐真の母が私のことを口にした瞬間、顔に浮かんだ憎しみと屈辱は、もう隠しきれないほどだった。
けれど、ひとたび周囲に目を巡らせると、すぐさま口を開いた。
「お義母さま、すごい偶然ですね。今ちょうど凛花さんの話をなさってたでしょう?今日、ここで本当に凛花さんに会ったんですよ!」
言い終わるより早く、瑠奈はそのまま私のほうへ歩いてきた。
反応する間もなく、私は彼女に腕をつかまれ、宴会場の中央まで引きずり出された。
こうこうと明るい照明の下、私の粗末な制服も、手にした半分濡れた雑巾も、何ひとつ隠しようがなかった。
久しぶりに、私ははっきりとした屈辱を覚えた。けれど、それでもどうにか挨拶をするしかなかった。
「おばさま、こんばんは。
宝生社長、宝生夫人、こんばんは」
祐真の母は私を見つめ、複雑な表情を浮かべた。さっきまで私を褒めていた言葉がまだ口元に残っているようなのに、今となっては気まずさしかないようだった。
瑠奈の父と母もまた、まさかこんな形で私と再会するとは思ってもいなかったのか、呆然としていた。
短い静寂のあと、誰かが最初にごく小さく鼻で笑った。
それをきっかけに、見物していた招待客たちの間から、ひそひそと嘲る声が広がっていった。
「うわ……本当にあの子?昔、祐真さんのあとをついて回ってたあの?」
「へえ、この制服ってホテルでいちばん下っ端の清掃係でしょ?手にしてる雑巾、汚ったない。宝生お嬢様がこの子を『凛花さん』なんて呼ぶの?持ち上げすぎじゃない?私ならとっくに警備に追い出させてるわ。ここに立ってるだけで縁起が悪い」
「昔、別れるときに大金もらったって聞いたけど、なんでこんな落ちぶれてるの?若い男でも囲って使い果たしたんじゃない?」
……
その屈辱のざわめきが、もうすぐ私を飲み込もうとしたそのとき――
「静かにしろ」
まさか祐真が自分から私をかばうとは思わなかった。
彼はほとんど表情を変えず、重い視線でその場をひとわたり見渡した。それだけで、会場はたちまち水を打ったように静まり返る。
それから改めて私に目を向けると、その口調はむしろ穏やかだった。
まるで、私を哀れんでいるみたいに。
「凛花、どうしてこんなところで清掃なんかしてるんだ?別れるとき、俺はかなりの金を渡したはずだろう」
お金?
私は顔を上げ、戸惑いながら彼を見た。
この数年、私は彼から一銭も受け取っていない。
和希を産んだときだって、手元には家賃すら払えないほどしかなかった。産後の休養もろくに取れないまま、すぐ日雇いの仕事に出たのだ。
私は唇を開き、思わずかすれた声で問い返した。
「……何の、お金?」
そのひと言はとても小さかった。
けれど、それはまるで落雷のように場の空気を打った。
祐真の瞳孔が一気に縮み、驚きの色を隠しきれないまま広がった。
その視線が、はっと隣の瑠奈へ向く。
「瑠奈、金はどうした?」
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