希望を胸に、過去にはもう戻らない第1話
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久我祐真(くが ゆうま)を本物のお嬢様に奪われたあの日、私は自分が妊娠していることに気づいた。
八か月のあいだ、彼は宝生瑠奈(ほうしょう るな)のために盛大な結婚式を準備し、私は難産の末に大量出血しながら和希(かずき)を産んだ。
その後、ニュース速報が流れた――
【久我家の御曹司・祐真が深夜に危険運転。宝生瑠奈は重傷、そして彼自身は生涯にわたって生殖機能を失った!】
私は彼に和希を奪われるのが怖くて、びくびくしながら五年間身を隠していた。
そして祐真の母の還暦の祝いの日、私は臨時でウェイターとして駆り出されることになってしまった。休憩室にいた和希がうっかり外へ飛び出してしまい、そのまま正面から祐真の母にぶつかった。
会場は一瞬にして、しんと静まり返った。
その顔は、まるで幼いころの祐真をそのまま写し取ったようだった!
祐真は人混みをかき分けて駆け寄り、かすれた声で叫ぶ。
「坊や、君は誰の子なんだ?」
和希は驚いてしまい、今にも泣き出しそうな声で訴えた。
「ママ……ママが見つからないの」
「ママの名前は神崎凛花(かんざき りんか)だよ」
* * *
久我祐真(くが ゆうま)を本物のお嬢様に奪われたあの日、私は自分が妊娠していることに気づいた。
八か月のあいだ、彼は宝生瑠奈(ほうしょう るな)のために盛大な結婚式を準備し、私は難産の末に大量出血しながら和希(かずき)を産んだ。
その後、ニュース速報が流れた――
【久我家の御曹司・祐真が深夜に危険運転。宝生瑠奈は重傷、そして彼自身は生涯にわたって生殖機能を失った!】
私は彼に和希を奪われるのが怖くて、びくびくしながら五年間身を隠していた。
そして祐真の母の還暦の祝いの日、私は臨時でウェイターとして駆り出されることになってしまった……
……
コンコンコン。
チームリーダーの鈴木が私の机を軽く叩いた。
「神崎、ホテルのほうが人手不足なの。今夜だけウェイターの応援に行ってきて。給料は三倍よ」
私は少しためらった。
祐真の母の六十歳の誕生日。こういう場なら、昔の知り合いに鉢合わせするかもしれない。それに夜、和希を家にひとり置いていくのも、どうしても心配だった。
「鈴木さん、夜は子どもについていないと……」
鈴木の口調はいら立っていた。
「ご両親のところに預けるなり、近所に頼むなり、どうしようもなければ休憩室にでも置いておけばいいでしょ。その程度のことも段取りできないの?」
隣の席のほうから、鼻で笑う声がした。
佐藤結衣(さとう ゆい)だ。普段からいちばん人の噂話が好きな女だ。
「あら、三倍の給料ですよ?私なら喜んで行くのに!
鈴木さん、これって神崎に気を遣ってあげてるんですよね?だって彼女、シングルマザーですもん。どこの誰の子かも分からない子ども抱えて、お金のかかることも多いでしょうし」
結衣の言い方はひどかったけれど、事実ではあった。
寒くなってきたし、和希はどんどん大きくなる。あの子に少しでもいい服を買ってあげたかった。
どうせホテルの外回りの手伝いだ。会場の中には入らない。
私はうなずいて引き受けた。
「ありがとうございます、行きます」
「よし、今すぐ着替えてきて。夕方六時、ホテルの裏口集合。遅れないでよ!」
立ち上がって更衣室へ向かう途中、結衣のデスクの前を通りかかった。
彼女はわざと聞こえるような声で言った。
「何気取ってんのよ。デキ婚どころか未婚で妊娠しておいて、何を清純ぶってるんだか。子どもの父親が誰かも分からないくせに、昔、男に孕まされた挙げ句、捨てられたんじゃないの?どこの馬の骨とも知れない子でしょ」
くすっ、と。
斜め向かいの同僚が口元を押さえて笑い、そばの若いインターンも俯いて忍び笑いをしていた。
それを聞いて、目の奥が熱くなった私はたまらず言い返した。
「佐藤、あなたも母親でしょう。口が悪すぎる」
結衣は勢いよく立ち上がり、腕を組んで言い返してきた。
「私の口が悪いって?」
「じゃあ、あんたは何も後ろ暗いことがないっていうの?男に媚びて、父親が誰かも怪しい子どもまで腹に抱えてるくせに、どの口で清い女みたいな顔してるのよ。
私があんたなら、こんなところで取り繕ってないで、さっさと帰って少しは見られる格好にでもするわね。まあ、安っぽい女には変わりないけど。運がよければ、どこかの見る目のない男が引っかかって、その子ごと面倒見てくれるかもしれないじゃない?」
腹が立って、目の縁が熱くなった。
さらに何か言い返そうとしたそのとき、鈴木がやってきて間に入った。
「もういいわよ佐藤、そのへんにしなさい。
神崎、あなたも早く子どもを迎えに行って。仕事に遅れないようにして」
私は顔を上げて、その熱を必死に押し戻した。
出ていくときも、結衣は隣の人たちと笑いながら話していて、言葉の端々に私を見下す視線を投げてきた。
私は背を向け、乱暴に目元をぬぐった。
神崎凛花(かんざき りんか)、泣いちゃだめ。
和希のためなら、どんなことだって耐えられる。
和希を迎えに行ったあと、やはりあの子をひとり家に置いておくのが心配で、私は思い切ってホテルの従業員休憩室に連れていくことにした。
絵本を用意して、お菓子と水も置いておく。
「和希、いい子にしててね。ママは外でお仕事してるから。ここで遊んでて、外に出ちゃだめよ。いい?」
和希はもともと聞き分けのいい子だ。
うなずいて私に聞いた。
「じゃあ、ママはいつ戻ってくるの?」
「すぐよ」
私は彼のおでこにキスをして、なだめるように言った。
「この絵本を読み終わるころには、ママが戻ってくるからね。いい?絶対に勝手に走り回っちゃだめよ?」
和希は力いっぱい頷いて、小指を差し出した。
「うん、ゆびきり!」
私は彼と指切りをして、約束のしるしを交わしてから、ようやく安心して宴会場へ向かった。
結衣とほかのウェイターたちも来ていて、会場内の入口の前に集まり、スマホを見ながら化粧直しをして、きゃっきゃとはしゃいでいた。
「はあ、久我家の御曹司って本当に惜しいよね。顔はいいし、お金もあるのに、あんな事に遭うなんて……」
「聞いた話じゃ、この宝生家のお嬢様って後から迎えられた娘なんでしょ。ちょっとヤンキー気質の女らしいよ。スピード出して刺激を求めるのが好きでさ。自分で勝手に身を滅ぼすだけならまだしも、男まで巻き込んで、このありさま。結局、自分の男を完全に不能にしちゃったんだから!」
「私に言わせれば、久我家も災難だよ。疫病神みたいな嫁を迎えたせいで、跡継ぎの話もあの女の代で終わりだもん」
……
そのとき、怒りを押し殺したような、甲高い女の声が背後から響いた。
「誰のことを疫病神って言ってるの!」
瑠奈が結衣たちをきっと睨みつけた。
彼女たちは顔色を変え、みんなうつむいて何も言えなくなった。
瑠奈の視線がさっと動き、少し離れたところにいた私をとらえた。
驚いたように声を上げる。
「神崎凛花?」
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