和紙文寵を失いし宮女、後宮を去る · 第1話設定≡

寵を失いし宮女、後宮を去る第1話

この話は約3202字。当サイトでは第1〜3話を試し読みできます。

落ちぶれた皇子だった陸行舟(りく こうしゅう)が皇帝の座に上り詰めるまで、私は十年にわたり、ずっと彼に付き添ってきた。

それなのに、彼が即位したあと、私が真っ先にしたことは、宮仕えを辞す願いを出し、皇宮を去ることだった。

宮中のしきたりでは、女官は二十五歳になればお暇をいただくことが許される。今年で私は二十七歳。すでに二年も過ぎていた。いい加減、嫁ぎ先を探さねばならない年齢だった。

宮中の人事や財務、物資などを取り仕切る内務府で手続きを終えると、総管がひとこと言い添えた。半月のちに通行札を受け取りに来ればいい、それで晴れて宮を出られる、と。

その言葉を耳にした瞬間、胸のつかえがすとんと下りた気がした。

皇宮への帰途につき、自室のある殿の門までたどり着いたところで、ふいに目を奪われた。門前にずらりと膝をつく侍女や下働きたちの姿に。

誰もが泣きはらした目を真っ赤にし、小刻みに震えながら、まるで救い主でも見つけたように私を見上げる。

「明月(めいげつ)様!やっとお戻りになったのですね!」

* * *

私は一瞬言葉を失い、だいたいの事情を察した。

視線だけで皆をなだめ、頭を下げて殿内へと足を踏み入れた。

部屋の中では、柳若吟(りゅう じゃくぎん)がくつろいだ様子で長椅子にだらりと身を預け、側仕えの侍女に脚を揉ませていた。

私はまず恭しく一礼し、それから口を開いた。

「柳様、この女官たちは何をしでかして、お気に障ったのでしょうか」

彼女は声に気づいて顔を上げると、見下すような笑みを浮かべた。

「別に何かしたわけじゃないわ。ただ気に食わないだけ。こうやってずらりと跪かせておくと、見ていて気分がいいのよ」

言い終えると、彼女は傲慢な仕草で傍らの場所を指し示し、侍女に炭火を入れた盆を新たに持ってこさせた。

「ちょうどいいところに来たわね。あなたの分もちゃんと用意しておいたわ。

跪きなさい。二時間が過ぎるまで立ち上がることは許さないわ」

盆の炭は勢いよく燃えている。この上に跪けば、たちまち膝は焼け爛れ、血まみれになるだろう。とても一刻ももつはずがない。

けれどわかっていた。私が望もうと望むまいと、彼女の命令に逆らうことなどできないのだと。

もし従わなければ、他の女官たちにまで累が及ぶかもしれない。

だから私は無言のまま、静かに膝をついた。

冬場で厚着をしていたにもかかわらず、瞬く間に膝は焼けつく炭火に炙られ、耐えがたい痛みに苛まれた。

宮中の刑罰には慣れていた。これが初めてというわけでもない。どれほど痛くとも、声を上げぬよう歯を食いしばって耐えるしかなかった。

苦しみながらもそれを押し殺す私の様子を見て、若吟はひどく満足そうに、得意げな笑い声を漏らした。

「陛下のおなり――!」

甲高い宦官の声が響き渡るや否や、若吟は瞬時に長椅子から身を起こし、しおらしく従順な表情に切り替えて、入ってきた人物に向けて恭しく礼をした。

行舟はすばやく歩み寄って彼女を助け起こすと、振り返り、ようやくその視線が私に留まった。

血の気の失せた顔と、額に浮かぶ汗を見て、彼の表情がわずかにこわばる。すぐに若吟へと顔を向け、何があったのかと尋ねた。

若吟は狼狽し、とっさに言い訳をひねり出した。

「この女官たちが粗相をしたのです。それを明月ったら庇うばかりか、私に逆らって、お湯までかけてきましたのよ。

あまりに腹立たしくて、ほんの少し、懲らしめてやっただけですわ。

陛下、まさか私をお責めになりませんよね?」

行舟は愛おしげに彼女の手を握り、優しく言った。

「そんなに怯えなくていい。前にも言っただろう、お前は何をしても構わないと」

その甘い言葉にすっかり有頂天になった若吟は、なおも尋ねた。

「本当に……何をしてもいいのですか?」

彼は微笑んで頷いた。

「もちろんだ。天子に戯言なし。

お前が望むなら、朕を罰しても構わない。ましてや、あのような下賤の者どもならなおさらだ」

皇帝のそんな告白めいた言葉を耳にして、彼女の可憐な顔はたちまち林檎のように真っ赤に染まった。二人は手を取り合い、屏風の向こうへと消えていく。もうその表情までは見て取れず、ただ交わす声だけが耳に届いた。

「陛下、これは私が作った点心ですの。どうぞ召し上がって。

初めて作ったもので……お口に合うかわかりませんけれど」

行舟はもとより感情を顔に出さない性分で、帝位に就いてからはなおのこと喜怒を表に出さぬ人だった。それなのに、このときばかりはその声にかすかな震えと、隠しきれない喜びが滲んでいるのが聞き取れた。

「お前が……自ら朕のために作ってくれたのか?」

若吟は恥じらうように頷いた。

「はい。陛下は私にあまりに優しくしてくださいますから。何もお返しできるものがなくて……せめてもと、こんな点心を作ってみましたの」

灯りの炎が揺らめき、寄り添う二人の姿を屏風に影絵のように映し出す。まるで一枚の見事な絵のようだった。

それを見つめているうちに、なぜだか目の奥が熱くなってきた。

きっと私は、気づいてしまったのだ。目の前にいる、この深く愛した男が、私からどんどん遠ざかっていくことに。

幼い頃の彼は、寵愛を受けることもない皇子に過ぎなかった。母は陥れられて命を落とし、彼はずっと冷宮で暮らしていた。

私の母は彼の母に仕える侍女で、数年彼の世話をしたのち、病でこの世を去った。

それからというもの、私たち二人だけが、寄り添うようにして生き延びてきた。

冷宮での暮らしは、腹も満たされず、着るものにも事欠くほどだった。饅頭ひとつと引き換えるために、私は女官たちの洗濯を請け負い、両手はしもやけだらけになった。その跡は今でも、冬になるたび疼く。

宦官たちに彼がいじめられれば、私は狂犬のように飛びかかり、拳を受けながらもがむしゃらに噛みつき、引っ掻いた。

そうやって、私は自分の身を削るようにして、彼を守り抜き、冷宮の中で生き延びさせたのだ。

なのに、若吟がしたことといえば、彼が跪いて罰を受けていたときに、一枚の上着を掛けてやっただけ。それだけのことを、彼はいつまでも忘れられず、狂おしいほど彼女に恋い焦がれている。

即位して彼が真っ先にしたのは、彼女を宮中に迎え入れ、掌中の珠のように大切にすることだった。

九人の皇子が皇位を争ったあの戦いに、彼は勝ち残った。父を殺し、兄を殺し、弟を殺し、友をも手にかけて。世間では、行舟は残忍極まりないと噂されている。

その噂を耳にした若吟は、初めのうち彼をひどく恐れ、皇后になることを拒み、来る日も来る日も後宮の片隅で泣き暮らしていた。

あれほど苛烈で、非情な決断を下す男が、彼女の涙を見て、初めてあれほど柔らかな顔を見せた。

彼は無理に皇后の位に就けようとはせず、少しずつ、時間をかけて彼女の心を解きほぐし、あらゆる手を尽くして機嫌を取り続けた。

歴代の帝王が後宮に数多の美人を侍らせるのに対し、彼の後宮には若吟、ただ一人しかいない。

彼女が後宮で不自由なく過ごせるようにと、彼はついには、長年そばに置いていた私までも彼女付きの女官として仕えさせ、その身の回りの世話をさせるようにした。

そんな日々が続くうちに、若吟もついに、行舟が自分に向ける想いの深さを悟り、次第に驕り高ぶるようになっていった。

我に返り、屏風の向こうで寄り添う二人の影を見つめながら、私は自嘲するように、悲しみの滲んだ笑みを浮かべた。

こんなに長い年月、こんなにも長く、私は彼のそばにいたというのに。

彼は覚えていない。嵐の夜、都の外まで薬を求めに走ったことも。

彼は覚えていない。彼の命乞いをして、あやうく片脚を折られかけたことも。

彼は覚えていない。互いの温もりを求め、幾夜も肌を重ねた、あの日々のことも。

ただ、若吟のあの一枚の上着だけを、彼は覚えている。

まあ、いい。忘れているなら、それでいい。

私も忘れることにしよう。だってもうすぐ、私はこの場所を離れるのだから。

縦書き表示中:本文は右から左へスクロールします(← → キーでも移動できます)