婚約者が助けたのは高熱の私ではなく、秘書の犬だった第1話
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私が40度の高熱を出したとき、私の婚約者、馬淵陸也(まぶち りくや)の女秘書が駆け寄ってきて、病院へ向かおうとしていた私たちを引き止めた。
彼女は胸に小犬を抱きかかえていた。真っ赤な目で陸也を見つめ、彼の手を掴んだ。
「どうしよう。ころちゃんがお腹をこわしちゃったみたい。全部私のせいなの…」
陸也はあれこれいわず、さっと子犬を抱えあげると振り返りもせずに行ってしまった。
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一人病院で受付を終えて点滴を受けているとき、インスタで陸也の女秘書、田中麻鈴(たなか まりん)のストーリーをみた。
【ママが馬鹿なばかりにわんちゃんクッキーを半分もあげてしまったから…パパがいてくれてよかった】
投稿されていたのは子犬が注射を受けている動画だった。陸也が彼女をなぐさめる声が聞こえた。「大丈夫。心配しなくていい。俺がいるから」
この投稿を見ていたら、熱のせいなのか、心が冷えきっているからなのか、身震いがした。
彼女のストーリーにいいねを押して、すぐに一週間後の新幹線のチケットを予約した。
三人の世界はあまりに窮屈だ。もう耐えきれない。
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私が40度の高熱を出したとき、私の婚約者、馬淵陸也(まぶち りくや)の女秘書が走って押しかけてきて、病院へ向かおうとしていた私たちを引き止めた。
彼女は胸に小犬を抱きかかえていた。真っ赤な目で陸也を見つめ、彼の手を掴んだ。
「どうしよう。ころちゃんがお腹をこわしちゃったみたい。全部私のせいなの…」
陸也はあれこれいわず、さっと子犬を抱えあげると振り返りもせずに行ってしまった。
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一人病院で受付を終えて点滴を受けているとき、インスタで女秘書、田中麻鈴(たなか まりん)のストーリーをみた。
【ママが馬鹿なばかりにわんちゃんクッキーを半分もあげてしまったから…パパがいてくれてよかった】
投稿されていたのは子犬が注射を受けている動画だった。陸也が彼女をなぐさめる声が聞こえた。「大丈夫。心配しなくていい。俺がいるから」
この投稿をみていたら、熱のせいか心が凍えているからか身震いがした。
彼女のストーリーにいいねを押して、すぐに一週間後の新幹線のチケットを予約した。
三人の世界はあまりに窮屈だ。もう耐えきれない。
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看護師に呼び起されると、スマホに十数件の不在着信が入っていた。
「叶音(かのん)、なぜ会社で俺を待たなかった?なぜ電話にも出ない?怒っているにしても限度があるだろう!」
心配しているような口調だが、イラつきがにじみ出ていた。
「今病院で点滴を打っているところ。あと少ししたらそのまま家に帰る」
「そのまま一人で病院に行ったのか?俺がころを先に連れて行ったから?なにもころと張り合わなくてもいいだろう。仕方がないな。現在地を送って。迎えに行くから」
陸也がやってきたとき、看護師は念を押すように言った。
「家族の方ですよね。なぜ到着がこんなにも遅れたのですか。患者さんは病院への到着があと少し遅ければ意識を失うところでした。家に帰ったら、時間どおりに薬を飲ませて入念に経過を見守ってください」
陸也はこのときやっと私の顔の青白さに気づいたようだ。
「なぜ早く言わないんだ」
冷静に彼を見つめた。言ったってどうにもならなかったし、言わなかったわけではない。
「行こう」
車まで来ると、いつもの癖で助手席のドアを開けた。しかしそこには田中麻鈴が犬を抱えて座っていた。
さらには犬が口に入れて噛んでいたのは、陸也の交通安全を祈願してわざわざ私がお寺に行って手に入れたお守りだった。
陸也が私を抱きしめながら、親友が交通事故に遭ったことを話していたときのことをまだ覚えている。
「俺最近すごく運が悪くてさ。もし俺も事故にあったら、叶音に俺の面倒をみてもらわないといけないと思うと心が痛い」
私は笑って、縁起でもないことを言わないでと陸也を小突いた。そして翌日には、もっともご利益があるという言い伝えられているお寺にお守りを買いに行った。
陸也はお守りを車の前にかけて、彼にとって欠かすことができない大切なものにしてくれた。
「ここにつるしておこう。毎日君が付き添ってくれているようだ」
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そして今このとき、お守りはかみ砕かれた。中身が飛び散り、無残なさまになっている。
田中麻鈴は笑いながら嘘くさく謝罪した。
「叶音さんごめんなさいね。ころちゃんが助手席に座るといってきかなくて…座りなれているものだから。やっぱり私たちはタクシーを呼ぶことにします」
陸也は眉をひそめ、田中麻鈴をなだめた。
「麻鈴は動かなくていい。熱があるんだから叶音が後ろ座席で横になればいいだろう」
陸也はぼーっと突っ立っている私を見た。私は今なお犬に噛みふりまわさせているお守りを凝視していた。
陸也は何かを思い出したようだった。陸也の瞳に一瞬申し訳なさがよぎった。ちょうど彼が私に何か言いかけたとき、田中麻鈴が不満をこぼした。
「陸也さん、叶音さんはこれのせいで機嫌が悪いのかな?それなら私がころちゃんに代わって謝りましょうか」
彼女は私の服の袖を引っ張り、強く揺さぶった。そして目を真っ赤にしてすすり泣いた。
「叶音さん、知ってるでしょ。ころちゃんは私と陸也さんに拾われたんです。小さいときからお母さんと引き離され、捨てられていたから」
私は彼女に揺さぶられて視界が暗転し、さらにめまいがひどくなった。顔色もひどく悪い。
陸也が私の方を見たのは、許しを求めてではなかった。陸也は前にでてきて田中麻鈴にかわって犬をかばった。
「叶音、君がどうしてそんなふうにふるまうのか俺は全く理解できない。どうして犬一匹と張り合おうとするんだ。ただお守りが破けただけだ。お守りなんてネットでいくらでも買えるじゃないか」
私は彼の眼をみた。どんどん遠く知らないものになっていったその目を。
心に寒々しい風が吹き込んできたようだった。口をすぼめて淡々と言った。
「気に入ったなら、おもちゃにあげればいいじゃない」
私の言葉を受けて、陸也の顔に戸惑いが広がった。
彼は私が泣いたり、声を荒げたりすると思っていたのだ。
陸也はたちまち不機嫌そうな顔になり、私をじっと見据えると、勢いよく助手席のドアを閉めた。そのまま田中麻鈴を乗せて行ってしまった。
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ようやく家についたとき、部屋は真っ暗だった。だが、そこに陸也の姿はなかった。
きっと今頃、田中麻鈴が車内で彼にまとわりつき、離れようとしないのだろう。
女秘書が社長の車に乗る回数の方が婚約者の私より多いなんて。
全ては彼女が“不注意で”車内にピアスを落としたところから始まった。
私は彼女のピアスを拾い上げて陸也に渡した。
「あなたの秘書は物覚えがよくないみたい。次からは気を付けてね」
陸也の顔面に一瞬わずかな気まずさがよぎり、彼は慌てて弁明した。
「彼女はわざとやったわけじゃないし、俺たちの間には何もない。叶音、心から誓う」
その後彼女はますますやりたい放題になっていった。まるで助手席に住み着いたかのように。
サングラス、口紅、それに彼女のサイズのスリッパまで置きっぱなしにするようになった。
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