婚約を解消したら、元婚約者の債権者になった件第2話
この話は約1300字。当サイトでは第1〜3話を試し読みできます。
ドン。
錠が落ちる音が、静まり返った通りに響いた。
私は振り返る。
防弾ガラスの扉の向こう側に、ヴィンセントが立っていた。
彼は私の見慣れた小さなキャンバスバッグを手の中で軽く放り投げながら、こちらを見て口元を歪める。
「どこにも行かせないって言っただろ、エララ」
今の私に残っているのは、スマホだけ。
私は冷たいガラスに手のひらを叩きつけた。
「開けて!これは犯罪よ!」
「犯罪?」
彼はゆっくりとソファへ戻り、脚を組んで腰を下ろす。
「婚約者に教訓ってものを教えてるだけだよ」
ソフィアが彼の隣に身体を寄せ、毒のような笑みをこちらに向ける。
「謝ればいいじゃない、エララ。ヴィンスは優しいほうよ。もうすぐ雨が降るわ。車もないんでしょ?」
ヴィンセントはスマホを取り出し、私から目を逸らさないまま通話をかけた。
「エララ・ヴィターレのカードを全部凍結しろ。ホテルのアクセスも停止。市内の全カーサービスに通達を回せ。あいつを乗せたら、カッシオ家に宣戦布告したと見なす」
通話を切る。
彼は指の関節でガラスを軽く叩いた。
「プライドなんて意味ないんだよ、エララ。俺がいなければ、お前はどこにもいけない。二時間やる」
背もたれに身を預ける。
「膝をついてお願いしたら、考えてもいいけど」
空が暗くなる。
大通りを風が吹き抜ける。
そして、雨が降り出した。
冷たく、容赦のない土砂降り。
狭い庇の下で、私は震えながら立ち尽くす。
スマホが震えた。
通知が次々と表示される。
カード凍結。ホテル予約のキャンセル。
配車アカウント停止。
ハッタリじゃない。本気だ。
彼は、自分の力を使っている。
闇の世界の力で、私という存在を消し去ろうとしている。壊そうとしている。
痺れた指で連絡先をスクロールする。
クララに電話をかけた。
「クララ。シャンゼリゼのサロンにいるの。迎えに来てほしい」
彼女の声は涙で震えていた。
「ごめん......それは無理。ヴィンセントがパパに電話してきたの。あなたを助けたら、うちの輸入業は夜明けまでに沈められるって......パパ、私を部屋に閉じ込めて......エララ、お願い、もう逆らわないで。あの人、怖いよ」
最後の希望の糸が、ぷつりと切れた。
雨に濡れたガラス越しに、ヴィンセントがバーボンをグラスに注ぐのが見える。
彼はそれをゆらしながら、まるでつまらない見世物でも眺めるように私を見ている。
ソフィアは今や彼の足元に膝をつき、足を揉んでいた。
もう、何も痛くない。
ただ、すべてがはっきりした。
私はずっと、クズみたいな人間に期待を寄せていた。
ならもう――片付けるだけ。
凍えた手をポケットに突っ込む。
誰も来ないなら、歩けばいい。
私は歩道から踏み出し、氷のような雨のカーテンの中へ入った。
キーッ――!
長い黒のメルセデス・マイバッハが、寸前で滑り込むように停まり、汚れた水しぶきを大きく跳ね上げた。
後部座席の窓が下がる。
ヴィンセントの護衛責任者――マルコという、堅物な男が車から降りてきた。
手には大きな黒いガーメントバッグ。
彼は傘を差したまま、それを差し出すこともしない。
ただ、ずぶ濡れの私を心底軽蔑するように見下ろす。
そして、そのバッグを私の足元へ放り投げた。
縦書き表示中:本文は右から左へスクロールします(← → キーでも移動できます)