婚約を解消したら、元婚約者の債権者になった件第1話
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パリのオートクチュール・サロンの空気は、金と恐怖の匂いがした。
私がウェディングドレスを待ち続けて、もう半年。
なのに今、そのドレスはソフィア・ロス――今をときめくインフルエンサーであり、マフィアの婚約者ヴィンセント・カッシオの義妹――の身にまとわれていた。
サロンの支配人は冷や汗を滲ませ、私と、ベルベットのソファにくつろぐ男の間で視線を行き来させている。
ヴィンセント・カッシオが立ち上がった。
ダイヤモンドで縁取られた長いトレーンの折り目を、手でさっと払って整える。
「来週のプレミアで目立つ一着がどうしても必要なんだ。だから彼女に貸した。そこに既製品があるだろ?代わりに選んでよ」
その口調は平坦で、結論を覆す余地はなかった。
クリスタルのシャンデリアの下で、ソフィアは全身鏡に映る自分の姿に見入っている。唇には勝ち誇ったような笑みが浮かんでいた。
私は同じ鏡に映る自分を見た。
ジーンズに、雨で濡れたトレンチコート。
まるで道に迷った観光客みたいだった。
この一年かけて準備してきたすべてが、ひどい冗談に思えてくる。
反論はしなかった。
ただ、冷たかった。もう何も感じない。
私は指から5カラットの婚約指輪を外した。
それがガラスのローテーブルに当たり、鋭く乾いた音を立てる。
「あなたの言う通りよ、ヴィンセント。このドレスはもういらない。この結婚も......もう必要ない」
* * *
パリのオートクチュール・サロンの空気は、金と恐怖の匂いがした。
私がウェディングドレスを待ち続けて、もう半年。
なのに今、そのドレスはソフィア・ロス――今をときめくインフルエンサーであり、マフィアボスのヴィンセント・カッシオの義妹――の身にまとわれていた。
サロンの支配人は冷や汗を滲ませ、私と、ベルベットのソファにくつろぐ男の間で視線を行き来させている。
ヴィンセント・カッシオが立ち上がった。
ダイヤモンドで縁取られた長いトレーンの折り目を、軽く手首を払うだけで整える。
「来週のプレミアで目立つ一着がどうしても必要なんだ。だから彼女に貸した。そこに既製品があるだろ?代わりに選んでよ」
その口調は平坦で、結論を覆す余地はなかった。
クリスタルのシャンデリアの下で、ソフィアは全身鏡に映る自分の姿に見入っている。唇には勝ち誇ったような笑みが浮かんでいた。
私は同じ鏡に映る自分を見た。
ジーンズに、雨で濡れたトレンチコート。
まるで道に迷った観光客みたいだった。
この一年かけて準備してきたすべてが、ひどい冗談に思えてくる。
反論はしなかった。
ただ、冷たかった。もう何も感じない。
私は指から5カラットの婚約指輪を外した。
それがガラスのローテーブルに当たり、鋭く乾いた音を立てる。
「あなたの言う通りよ、ヴィンセント。このドレスはもういらない。この結婚も......もう必要ない」
......
沈黙。
銃声が鳴る直前のような、張り詰めた静けさ。
ソフィアのドレスに触れたままのヴィンセントの手が、ぴたりと止まる。
ゆっくりと振り向いた彼の目には、ブランド物の眼鏡越しでも隠しきれない氷のような軽蔑が宿っていた。
「エララ。今、なんて言った?」
低く抑えた声。制御された威圧。
胃がきりきりと痛む。
「結婚は取りやめだって言ってる」
ソフィアがくすくす笑う。
彼女は私のトレーンドレスを揺らしながら、ふわりとこちらへ歩み寄ってきた。
「エララ、そんなこと言わないで」
ぱちぱちと瞬きをして見上げてくる。
「ヴィンスは私のキャリアを手伝ってくれてるだけよ。このドレス、退屈な教会なんかよりレッドカーペットのほうがずっと注目されるから」
彼女は顔を寄せてくる。甘ったるい香水の匂い。
「いつもわかってくれるのに。どうして今日はそんなこと言うの?」
「今すぐそのドレスを脱いで」
私の声が、その媚びた調子を切り裂いた。
ソフィアは慌ててヴィンセントの背後に隠れ、下唇を震わせる。
「ヴィンス、怖い......」
ヴィンセントは彼女を背中に庇い、二歩で距離を詰めてきた。
覆いかぶさるように見下ろしてくる。
「いい加減にしろ、エララ」
完璧な顔立ちに苛立ちが刻まれる。
「まだわからないのか?ソフィアは子供の頃からレッドカーペットの主役だ。彼女は家に何百万ももたらしてる。そしてリソースは金になるところに回す。それが俺たちの未来を築くやり方だ」
彼は私を上から下まで見下ろし、軽蔑を隠さない視線を向けた。
「そもそも働きもしない女が、三十万ドルもするドレスなんて何に使う?見せたい相手でもあるのか?」
一言一言がまるで刃だった。
5年。
支える側として、静かに寄り添ってきた5年。
その価値がこれだ。
拳を握りしめる。
短く切った爪が掌に食い込む。
「あのドレスは私たちの結婚式のために、そして私のために仕立てた。なのにあなた、私に一言も言えずそれを奪った」
ヴィンセントは鼻で笑い、顔を寄せてくる。高価な香水の匂いが息苦しい。
「奪った?」
囁く声は、私にだけ向けられていた。
「金を出したのは俺だ。お前が着てる服も、住んでる家も全部だ。むしろお前という存在そのものが、俺のおかげだ」
彼は指で私の肩を強く突いた。
「感謝の気持ちを見せろよ、エララ。俺にも限界がある」
目の前の傲慢な男を見つめる。
彼は本気で、自分が間違っているとは思っていない。
私は所有物。家畜同然。
もう、話すことはない。
私は背を向け、装飾の施された扉へと歩き出した。
「どこに行くつもりだ!」
手首を万力のように掴まれる。痛みが腕を駆け上がる。
「離して!」
彼は乱暴に引き寄せ、さらに力を込める。顔を寄せ、唇が耳にかすめる。
「いい加減にしろ」
低く吐き捨てる。
「そこからドレスを選べ。式は来週の土曜だ。いい子にしていれば、ソフィアのプレミアが終わったあと、ちゃんとした式のために島を貸し切ってやるよ」
一瞬、間を置く。熱い吐息が肌にかかる。
「だが、今ここで出ていくなら......」
言葉を途切れさせ、暗い目で見下ろす。
「この街で服一着すら買えないようにしてやる」
私は彼の視線を受け止めた。
手首の痛みが、腹の奥に冷たい炎を灯す。
「あなた、最低ね」
腕を振りほどく。
手首には鮮明な赤い痕が残った。
振り返らない。
サロンの扉を押し開け、冷たいパリの夕暮れへ踏み出す。
背後で、電子ロックが作動する鈍い音が響いた。
そして――
ヴィンセントの、冷たく自信に満ちた笑い声。
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