婚約した後、私は中絶を決めた第2話
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あの日、病院を出てから数日間、私は一矢と一切連絡を取らなかった。
ただ、SNSでは彼の動向をよく見かけた。
彼は友人たちと毎晩のように深夜のバーやカラオケに出入りし、隣にいる女の子たちはみな若くて美人で、活発そうだった。
きっと、これが彼の望んでいた生活なんだろう。
家の荷物を整理し始め、いよいよ出ていこうとしたとき、彼が若い女の子を抱いて玄関先に現れた。
一矢は一瞬呆然とし、反射的にその子から手を離した。
けれども「記憶喪失」という設定を思い出したのか、今度は堂々とその子の腰に手をまわした。
「ここはたしか、俺の家だよな。俺の許可なしに勝手に入るなんて、不法侵入ってやつ?」
私はスーツケースの取っ手を強く握りしめた。
この部屋は確かに一矢名義の家。
でも、私たちが一緒に準備してきた結婚のための新居でもあった。
つまり彼はこの新居で、別の女とあんなことをするつもりなんだ。
私がまだ口を開かないうちに、彼はさらに言葉を重ねた。
「まあ、お前が元・婚約者って話もあるし、今回だけは大目に見てやるよ。次からは無断で入るなよ」
私は彼をじっと見つめ、小さく答えた。
「はい、もう来ません。さようなら」
もう二度と、この部屋に戻ることはない。
これで全ての縁を断ち切れる。
スーツケースを引いて立ち去ろうとしたそのとき、彼に抱かれていた女の子が唐突に口を開いた。
「一矢さん、そのスーツケースに何が入ってるかわかんないよ。中身をちゃんと確認しないと!」
さっきまで私を追い出そうとしていた一矢は、すぐに態度を変えた。
くるりと向き直り、私のスーツケースを掴んだ。
「おお、そうだったそうだった!よく気づいてくれたな。この貧乏人、俺の大事な物を盗んだら大変だ」
彼は力任せにスーツケースを引っ張り、床に叩きつけようとした。
これは、私にとって最後のプライドだった。
私は必死に抵抗した。
「これは私個人の持ち物よ、何をするの!?」
一矢の目が怒りに染まる。
「お前、俺の家から出て行こうとしてるんだぞ?手癖が悪くて何か盗んだんじゃないかって疑うのは当然だろうが!」
その瞬間、全身が凍りついた。
この人にとって、私はそんなふうに見えていたんだ。
彼はついにスーツケースを奪い取り、私の力ではもう止められなかった。
中の衣類が床に散らばる。
それを見て、私はふっと力を抜いた。
「あんたのものなんて一つもないって、これで分かった?」
隣にいた福地康花(ふくち やすか)が口を押えて笑った。
「こんなダサくてボロい服着てるとか、田舎者丸出しね」
一矢も笑い出す。
「当たり前だろ、こいつは田舎から出てきた野良娘だ。お前みたいにおしゃれで可愛い子とは大違いだよ」
二人の言葉は、私をまるで汚物のように貶めた。
そして、散らばった衣類。
それは、私の最後の想い出の象徴でもあった。
「片付けるよ」
私は静かに、その中から一番古びた服を何着か拾い上げ、残りはすべてゴミ箱へ捨てた。
一矢が少し慌てた表情を浮かべる。
あの服たちは、彼がかつて私に買ってくれたものだった。
中には、一着の純白のウェディングドレスもあった。
私が、結婚式のために早々と選んだ大切な一着。
「こんなにたくさんの服、全部捨てるつもりか?ウェディングドレスまで――」
私は淡々と彼を見やり、手に持ったライターをゴミ箱に放り込んだ。
数秒後、炎が勢いよく燃え上がった。
「もう要らない。全部、無駄になったから」
私は炎が落ち着くまでじっと見届けてから、ようやくその場を後にした。
薄暗い街灯の下、一矢の表情は読めなかった。
私の背中が通りの角に消えかけたその時、彼が私の手首を掴んできた。
「たとえ俺が記憶喪失でお前のことを思い出せなくても、自暴自棄になっちゃダメだろ?もしかしたら、いつか記憶が戻るかもしれないんだぞ?」
私は冷たい笑みを浮かべた。何も言わず、その手を強く振り払った。
この時初めて、彼が婚前に「記憶喪失ごっこ」をしてくれてよかったと、少しだけ思った。
もし結婚後にこれほどの仕打ちを受けていたとしたら……私はきっと、本当に立ち直れなかっただろうから。
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