婚約した後、私は中絶を決めた第1話
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結婚式の前夜、細井一矢(ほそい いちや)は突然、暴行事件に巻き込まれた。
その知らせを聞いて病院に駆けつけたとき、彼はもう私のことを覚えていなかった。
医者によれば、頭部に強い衝撃を受けたことで一時的な記憶喪失を引き起こしたという。
私は必死に策を練って、彼との思い出が詰まった場所を一緒に巡り、記憶を取り戻させようとした。
けれど、ある日病院での再検査の際、偶然、彼が友人と話しているのを耳にした。
「押川(おしかわ)はあんなに尽くしてるんだ。もっと感動すべきなんじゃ......?」
「何が感動だよ、吐きそうだわ。同じ場所をグルグル回って、全然新鮮味がねえ。やっぱり若い子の方が変化があって面白い」
「じゃあなんで彼女と結婚するのだ?俺から言わせてもらえば、婚約解消して自由になった方がマシだろ」
それを聞いた彼は激怒していた。
「ふざけんな!俺がどれだけ怜奈(れいな)を愛してると思ってるんだ!婚約解消なんてしない!絶対に結婚する!ちょっとだけ時期をずらすだけだ」
手元の「すべて正常」と書かれた診断結果を見つめながら、私はようやく夢から覚めた気がした。
彼は、わからないふりをしていただけだった。
* * *
結婚式の前夜、細井一矢(ほそい いちや)は突然、暴行事件に巻き込まれた。
その知らせを聞いて病院に駆けつけたとき、彼はもう私のことを覚えていなかった。
医者によれば、頭部に強い衝撃を受けたことで一時的な記憶喪失を引き起こしたという。
私は必死に策を練って、彼との思い出が詰まった場所を一緒に巡り、記憶を取り戻させようとした。
けれど、ある日病院での再検査の際、偶然、彼が友人と話しているのを耳にした。
「押川怜奈(おしかわ れいな)はあんなに尽くしてるんだ。もっと感動すべきなんじゃ......?」
「何が感動だよ、吐きそうだわ。同じ場所をグルグル回って、全然新鮮味がねえ。やっぱり若い子の方が変化があって面白い」
「じゃあなんで彼女と結婚するのだ?俺から言わせてもらえば、婚約解消して自由になった方がマシだろ」
それを聞いた彼は激怒していた。
「ふざけんな!俺がどれだけ怜奈を愛してると思ってるんだ!婚約解消なんてしない!絶対に結婚する!ちょっとだけ時期をずらすだけだ」
手元の「すべて正常」と書かれた診断結果を見つめながら、私はようやく夢から覚めた気がした。
彼は、記憶喪失のふりをしていただけだった。
病室では、一矢とその友人の会話がまだ続いていた。
ただ、声はかなり小さくなっていて、何を話しているのかはっきりとは分からないが、二人は気味の悪い低い笑い声を揃えてあげていた。
彼の声は明らかに興奮していた。
「早く準備しろよ、今夜は思いっきり楽しむんだから!」
「任せてください、一矢さん。今夜は開放的で元気な子たちを何人か連れてくるから、一緒に楽しもう!」
「でも、そんなことばっかしてたら、押川とは本当に取り返しがつかなくなるんじゃ?」
そのときの彼の気の抜けた声が、鋭い刃のように胸に突き刺さった。
「心配するなよ。あいつは俺のこと、死ぬほど好きなんだ。十年待たされたって、何も迷わず俺を選ぶさ」
ほどなくして、病室から足音が聞こえてきた。
私は慌てて目元の涙を拭い、今来たばかりのような顔をして病室の前に立った。
彼の友人が出てきて私に気づき、にやにやと笑って声をかけてきた。
「お、押川さん。残念っすけど、一矢さんの病状があんまりよくなくて、俺らのこともけっこう忘れちゃってるんですよ。でも安心してください、今夜ちょっとした集まりを開くんで、記憶が戻るように頑張りますよ」
私は無理に笑顔を作った。
やっぱり、私って本当にバカだ。
彼の言う集まりが何を意味するか、今ならだいたい分かる。
以前は何も知らずに感謝さえしていた。
「じゃあ、よろしくお願いします」
「押川さん、そんな他人行儀な。じゃあ俺は先に準備に戻りますんで、一矢さんのこと頼みますよ」
病室に入ると、一矢は眉をひそめて私を見て、うんざりしたような軽い口調で言った。
「また来たのかよ。だから言ったろ、俺はお前のこと知らねえって!」
「俺、顔がいいから惚れやすいのは分かってるけど、お前みたいなのが俺と結婚したいとか無理あるから!」
「この数日、お前に付き合っていろんな場所に行ってやったけど、何も思い出せない。まだ付きまとうつもりか?」
私は唇をかみしめた。
さっき病室の外で真実を知ったはずなのに、いざ面と向かうと、胸がねじれるように痛んだ。
あの頃、私のために家族とまで喧嘩してくれた彼が。
ここまでやっと辿り着いたというのに。
どうして、こんな風に変わってしまったの?
私は手にしていた検査結果の報告書を彼に差し出した。
「大したことじゃないよ。検査の結果を取りに来ただけ。体に異常はなかった、もう退院できるって」
一矢は驚いたように私を見て、嬉しそうに声を上げた。
「本当か!?」
実はこれまで退院できなかったのは、私が強く引き止めていたからだった。
一つには、彼の記憶喪失を治療するため。
もう一つには、万が一何か後遺症が出た場合に備えて、すぐ治療できるようにしておくため。
でも、今やっと分かった。
彼はそもそも記憶を失ってなんかいなかった。
治療なんて、最初から必要なかったのだ。
もしかしたら、あの「暴行事件」さえも、彼自身が仕組んだ茶番だったのかもしれない。
目的は、私との結婚を先延ばしにすること。
だったら、彼の望み通りにしてあげよう。
「もちろん本当よ。病気でもないのに、これ以上入院してたら医療資源の無駄遣いでしょ」
一矢はすぐにベッドを降り、クローゼットからきれいな服を探し始めた。
そして、眉をひそめて私に訊いてきた。
「あれ?俺のネイビーのカジュアルジャケット見てない?」
私は俯いた。
心の中にナイフを突き立てられたようだった。
そのジャケットは、私が彼にプレゼントしたものだ。
つまり、退院できると知って浮かれたあまり、自分の嘘にあったはずの設定を忘れてしまったのだ。
「さっきまで、私のこと知らないって言ってたくせに。なんで私が買った服のこと覚えてるの?」
そう言い終わると、私はじっと彼を見つめた。
ほんの少しでも良心が残っていることを信じて。
一矢の手が、一瞬空中で止まった。
次の瞬間、彼は頭を抱えて叫び声を上げ、床に崩れ落ちた。
「痛いっ!頭が!」
すぐに医者が駆けつけ、ようやく彼をなだめた。
一矢は私を睨みつけ、憎々しげに叫んだ。
「この女を追い出してくれ!こいつのせいで頭が痛くなる!」
「治療に来てるんじゃなくて、俺を苦しめに来てるだろ、こいつ!」
私はかすかに笑みを浮かべ、そっと目を閉じた。
何も言わずに、病室を出た。
医者があとを追ってきて、私に言った。
「押川さん、今は患者の状態がまだ不安定なので、あまり刺激しない方が……」
その一言で、私はすべてを悟った。
静かにうなずいて、こう答えた。
「わかりました先生。これからは、彼のことをもう刺激しません」
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