妻を男と間違えた夫。正体を明かして離婚する第2話
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野次馬がどんどん増えていき、スマホのカメラがすぐ目の前にまで向けられた。
正人は穂花にまで変な噂が立ってはいけないと思い、「二度と近づくな」と捨て台詞を吐くと、早々に立ち去った。
思い通りの反応が得られなかった穂花は、レストランのテーブルに突っ伏して一晩中泣き続けた。
「かっちゃん。私だって、欲張ってるわけじゃないの」
穂花は真っ赤に腫らした目で、声を詰まらせる。「正人さんにはすべてを捧げたのに……私と名前のある関係には、絶対になってくれない。
私に彼氏がいることはみんな知ってる。でも、それが誰なのかは公にできないし、私はずっとこそこそしてなきゃならないの……
だからもう、追い詰めて離婚させるしかないって思って……」
コーヒーカップを持っていた明里の手が、わずかに止まった。
皮肉なものだ。
あんなにも穏やかで堅実そうに見える正人が、こんなにも純粋な女の子に手を出し、しかもそれを当然のことだと言い切らせるくらいにまで甘やかしているとは。
穂花は泣き疲れたのか、少し落ち着くと急に静かな声でつぶやいた。
「実はね、正人さん……ときどき、すごく幼稚なの」
明里は眉をひそめる。
自分の知る正人は、常に冷静で一切隙のない人間だ。
「幼稚」なんて言葉、正人とはかけ離れている。
「やたらと束縛してくるんだもん」穂花は指を折りながら、愚痴のようでいて、それは誇らしげに語った。「他の男と話すなとか、会うたびに私のラインをチェックするとか。それに、知らない男のアカウントは全部勝手に消しちゃうんだから。
18歳まで一度もスカートだって履かせてもらえなかったんだよ!やっと18歳になって、スカートが履けると思っても、正人さんが選んだ長いスカートだけ。それが品があるとかなんか言っちゃって」
穂花は薬指の指輪を揺らして続ける。「大学の時なんて、これを私につけさせたの。みんなに、この女はもう男がいるんだって知らしめるみたいにね。
さっきレストランで、ワインをぶちまけたり壁を蹴ったりしてたけど……乱暴に見えて、あれ実はわざとなんだから。ただ私に心配してほしくて、ああやって気を引いてるだけ。本当、幼稚だよね」
砂糖を3つも入れたはずなのに、明里はコーヒーがとても苦く感じ、喉から心まで鉛のように重く沈んでいく気がした。
穂花の口から語られる正人は、生き生きとしていて、情熱的で、執着心にあふれている。自分が知らない彼の姿に、明里は激しい嫉妬を覚えた。
思い返せば、5年間の結婚生活の中で、正人に服装のことで口を挟まれたことなど一度も無い。
短いスカートでパーティーへ行く時もただ「気をつけて」の一言だけ。明里が徹夜で仕事をしている時だって、彼は静かに明かりを残すだけで、気遣ってくれるようなことは一度もなかった。
以前はそれを敬意からくる優しさだと思っていたが、こうして穂花の話を聞けば聞くほど、単なる他人行儀な態度にすぎなかったとわかる。
胸の奥が粘りつくように重くなり、苦しさに襲われた。
明里は自分の世界に浸りきる穂花を見つめ問いかける。だが、それは穂花に問いかけているのではなく、自分自身への問いかけで……
「世間に隠してしか付き合えないうえに、未来すら見せてくれない男を、なんでそこまで愛せるの?」
「別に、未来を見せてくれないわけじゃない!」感情を昂らせた穂花が、バンとテーブルを叩く。「全部正人さんの奥さんのせいなの!
噂だと、二宮家の娘だけど大切にされていなくて、しかも男の子として育てられて、見た目も品も最悪だって聞くし……きっと、あの女が図々しくしがみついて離れないんだよ!正人さんが本当に愛してるのは私なのに」
穂花は自信満々に語った。「前のことだけど、あの女が手術するって時、私はわざと車道に飛び込んで轢かれたフリをしたの。
そうしたら正人さん、知らせを聞いたらすぐ駆けつけてくれたんだよ。あの女の命のことなんてまるで眼中にないみたいに」
明里の指先に、関節が白くなるほどの力が入る。
それは、自分の盲腸の手術の日のことだろう。あの時、正人は手術同意書にサインをするや否や、会社からの急用だと言って出かけていった。
あの晩、自分は傷口が化膿し、集中治療室に入って、生死の境をさまよったというのに。
正人が戻ったのは翌日の正午だった。目を充血させた彼が、会社のトラブルを解決するのに一晩中かかってしまった、でも心配しなくていい、と優しく自分に言った。
だが、会社のトラブルというのは、自分ではない別の女に寄り添うことだったらしい。
「あとはあの時」穂花が言葉を続ける。「正人さんの手作り料理が食べたくて電話したのに繋がらなくてね。だから、怒ってわざと手首を切ったような嘘の写真と、GPSの位置情報を送りつけたの。
そうしたらどうなったと思う?たった10分で駆けつけてくれて、私を抱きしめながら泣いてくれたの……私がどんなに怒っても、叩いても、彼はじっと耐えてくれた」
明里の心臓は、見えない手に強く握りつぶされるような激痛を感じた。
あの日のことだけは一生忘れられない。
その日、明里の世話係だった山下恵(やました めぐみ)が亡くなった。
二宮家で、恵だけが明里に心から接してくれた。明里が怪我をすれば薬を塗ってくれ、熱が出れば夜通し付き添って額のタオルを換えてくれたのだ。
明里は恵の亡骸の前で意識を失うまで泣きじゃくり、正人に自分の弱さの全てを見せていた。
正人はそんな明里の手を握りしめ、「大丈夫だ。これからは俺がいるから」と約束してくれた。
それなのに、彼はその晩、何も言わずにいなくなった。
自分は孤独の中、たった一人ですべての手続きを整えた。明け方戻ってきた正人は、傷だらけの体で「仕事相手に襲われた」と言った。
あの時の自分は、馬鹿みたいに彼を心配し、そんな彼の苦労を労った。
初めから、全ては自分を蚊帳の外に置いた滑稽な茶番劇に過ぎなかったのに。
自分の気持ち、痛み、依拠、すべては彼らの恋愛ゲームの中の哀れな背景でしかない。
明里は大きく息を吸い、あふれ出る怒りと屈辱を胸の奥に封じ込める。
二宮家で生きてきた明里は、ある一つのことを学んだ。それは……やられたらやり返す。それも、10倍にして。
二人が味わわせてくれたこの痛み、何倍にもして返してやらなくては気が済まない。
明里は悟られないようにスマホの録音アプリを確認すると、静かな笑みを穂花へ向けた。
「離婚させたいって言ってるけど、具体的にはどうするつもり?」
正人が離れないと言うのなら、こっちから捨ててやる。
二人の恋愛ゲームの踏み台になるなど、まっぴらごめんだ。
穂花が少し頬を赤らめ、声を潜めた。
「あ、あのさ、かっちゃん。お願いがあるんだけど……私をお嫁さんにもらうふりをしてくれない?」
明里はわざとらしく驚いた演技をする。
「正人さんは誰よりもヤキモチ焼きだから」穂花が必死に説明する。「私が本当に他の人と一緒になる決意をしたって知れば、きっと焦って、すぐに離婚を切り出さざるを得なくなるはず!」
穂花は明里の手を取り、懇願するように言った。
「お願い。こんな相談をできるのは、かっちゃんを本当の友達だと思ってるから。私の気持ち、分かってくれるでしょ?お願い、助けて?」
明里はその、嘘くさい真摯さに彩られた目を見て、心の中では冷たく笑った。
この女は、あざとい。
明里はそっと手を重ね、きっぱりと言い放った。
「いいよ。その話、乗ってあげる」
もちろん協力する。
この美しい化けの皮を、自らの手で丁寧に剥ぎ取ってやるために。
この化け物の正体を暴き、正人が懸命に守り抜こうとしているものの正体が何なのか、しっかり見せつけてやる。
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