妻の流産より愛人の出産?絶対に離婚する!第2話
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私は口を開いたが、結局何も言わなかった。何を言っても、贅沢な悩みにしか聞こえない気がしたのだ。
友人の言う通り、私はもう満員電車に乗る必要も、上司に怒られる必要も、月末に頭を抱えながら家計簿をつける必要もなくなった。
外出には運転手がつき、ブランド物のバッグだって値札を気にせず買える。どこへ行っても丁重にもてなされた。
でも、夫は不倫している。
たったそれだけの言葉さえ、口にすれば誰もが「贅沢な悩みだ」と思うのだろう。
だから私は、何も言わないことにし、誰の前でも完璧な笑顔を作り続けた。
パーティーでは駿介の腕に手を添え、神谷家の若奥様は幸せなのだと、誰もがそう思うように品よく微笑む。
でも、その笑顔の裏で何を飲み込んでいるのかは、私しか知らない。
1本、また1本と、針を飲み込んでいくような毎日だった。
玉の輿に乗るなら、茨の道も覚悟しなければならない、とよく言われるが、それでも昔の私は、自分だけは違うと思っていた。
駿介とは大学の同級生。4年の交際を経て、卒業してすぐ結婚した。
図書館で私が本を落とした時に、彼が拾ってくれた。差し込む陽光に照らされた彼の横顔が、まるでドラマのワンシーンのように眩しかったことを今でも覚えている。
結婚式の日。大勢の祝福を受けながら私が駿介のもとへ歩いていくと、彼の目には涙が滲んでいた。私も泣いていた。あの日の私は、これが幸せの始まりなのだと信じて疑わなかった。
母は満面の笑みを浮かべ、父は大きく出た腹を揺らしながら上機嫌で酒を酌み交わしていた。
大学の友人たちは口を揃えて羨ましがった。「すごい人を捕まえて、人生大逆転だね」
私自身も、本物の愛を掴んだと思っていた。
けれど結婚生活は、少しずつ私を切り刻んでいった。
最初の1年は、駿介もきちんと家に帰ってきたし、記念日には花を贈ってくれ、週末には私の好きな店へ連れていってくれた。
それがいつからだったのだろう。帰宅時間がどんどん遅くなり、身体には知らない香水の匂いをまとわせるようになった。そして、私を見る目からも、少しずつ温度が消えていった。
言い争い、泣き叫び、物を投げ、離婚を切り出したこともあった。
でも、そのたびに宗一郎が間に入り、お金を積み上げて、夫婦の亀裂をなかったことにしてしまう。
駿介はといえば、数日間私を無視したあと、何事もなかったようにこう言うだけ。「もういいだろ。いつまで引きずってるんだよ」それで終わり。なかったことにされるのだ。
やがて私は理解した。私はこの家の妻ではなく、神谷家が「円満な家庭」を世間に見せるための飾り物に過ぎないのだと。
そして飾り物の価値は、金額で決まる。
翌朝、窓から差し込む陽射しが、やけに白く眩しかった。
看護師の植田蘭(うえだ らん)が、術後は早めに身体を動かしたほうがいいからと、歩くのを手伝ってくれた。
歯を食いしばって身体を起こしたが、少し動くだけで、下腹部を鷲掴みにされ、捻り上げられているように痛んだ。
蘭に支えられ、私はゆっくり廊下へ出た。蘭は歩きながらも、私を気遣ってくれる。「ゆっくりで大丈夫ですよ。つらかったら、すぐ言ってくださいね」
私は黙って頷いた。
廊下はそれほど長くなく、423号室から階段までは、20歩ほどしかなかった。それなのに、足元に力が入らない。まるで綿の上を歩いているような頼りない足取りで、一歩ずつ進んだ。
422号室の前を通りかかった時、扉が少しだけ開いていて、中から話し声が聞こえてきた。
「駿介、赤ちゃんの名前、何がいいかな?」
あの女の声だ。出産直後の弱々しい体で、甘ったれた声を出している。
私はこの声を知っている。
一ノ瀬結愛。私の大学時代の後輩だ。
以前、同窓会で一度会ったことがある。あの時、結愛は駿介の腕にぴったりと身体を寄せ、にこやかに私を「先輩」と呼んだ。しかし、笑顔とは裏腹に、その目は明らかに私を挑発していた。
「『崇行なんてどうかな。崇高の『崇』に『行く』って書いて、崇行」駿介の声は、信じられないほど優しかった。
「うん、素敵な名前。気高く、真っ直ぐな人生を歩んでいけるようにってね。ねえ、駿介。次の子が生まれたら、その時はなんて名前にする?今から考えても遅くはないでしょ?」
次の子。
廊下に立ち尽くす私に、その言葉が鋭利な刃物となって突き刺さる。
蘭にも聞こえたのだろう。一瞬、私を支える彼女の手が強張った。「神谷さん、もう戻りましょうか。少し歩きすぎましたから」
私はその場から動けなかった。
ドアの隙間から、再び駿介の声が聞こえてくる。「もし次が女の子だったら、『珠希』はどうかな。真珠の『珠』に希望の『希』で珠希」
「うん。駿介が決めた名前なら、何でもいい」
それから聞こえてきた、駿介と結愛の子ども・神谷崇行(かみや たかゆき)の笑い声と、二人の弾むような声。この世で一番幸せな家族の形が、そこにはあった。
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