妻と娘が選んだのは、俺ではなかった第1話
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妻の高宮香澄(たかみや かすみ)は何事も予定どおりでなければ気が済まず、家ではすべて彼女が作ったスケジュールに従うことになっていた。
ところが娘の桐谷日和(きりたに ひより)の誕生日当日、香澄はアシスタントと一緒に大幅に遅れてやってきた。
母親と同じく予定に強くこだわる日和は、腹を立てるどころか、笑顔で二人をケーキカットへ誘った。
頬にクリームをつけた妻と娘が、アシスタントと楽しそうに写真に収まる姿を見て、俺の中で何かが完全に切れた。
翌日、俺・桐谷修司(きりたに しゅうじ)は香澄の前に離婚協議書を突きつけた。
香澄は、訳が分からないという顔をした。
「日和があなたとケーキを切らなかったくらいで?」
「そうだ」
* * *
香澄は鼻で笑い、離婚協議書にちらりと目を落とすと、うんざりした表情を浮かべた。
「修司、予定では今ごろ海外で商談中のはずでしょう。ここで私にくだらないことを言っている時間じゃないわ」
「3分後には会議が始まるの。もう帰って」
まともに取り合おうともしない香澄を見ていると、笑いさえ込み上げてきた。
口を開こうとしたそのとき、アシスタントの相原颯人(あいはら はやと)がいきなりドアを開けて入ってきた。
「高宮社長、準備できました。そろそろ遊びに行きましょう……あれ?桐谷社長もいらしたんですね。僕は席を外します」
颯人が残念そうに引き返そうとすると、香澄はすぐに呼び止めた。
「いいのよ。この人はもう帰るから」
眉をひそめて俺を見る目には、さっさと出ていけという気持ちがありありと浮かんでいた。
俺はゆっくりと離婚協議書を開き、署名欄を指で叩いた。
「署名してくれ。そうしたらすぐに帰る」
香澄は立ち上がり、眉間に深いしわを寄せた。俺をにらみつける目に、怒りが渦巻いている。
室内の空気が張り詰めた。
入り口にいた颯人は異変を感じ取ったのか、すぐにうつむいて俺に謝った。
「すみません、桐谷社長。契約のお話をされているとは知らず、お邪魔してしまいました。失礼します!」
そう言いながら、傷ついたような目で香澄を一度見て、部屋を飛び出していった。
香澄の顔色がたちまち変わった。焦りをあらわにしながらペンをつかむと、乱暴な字で署名した。
「ルールを破ったんだから、帰ったら罰を受けてもらうわよ」
冷たく言い残し、人目も気にせず颯人を追いかけていった。
誰もいなくなった社長室で、俺は小さく笑った。
香澄は何事も決めたとおりでなければ気が済まず、ルールにも異常なほど厳しかった。
結婚してからというもの、家庭内のあらゆることが香澄の作ったスケジュールに沿って進められてきた。
少しでも時間に遅れたり、予定どおりにできなかったりすれば、香澄は何日も口を利かず、家庭の予定から相手を締め出した。
初めのうちは、日和にも容赦なく注意していた。
だが、やがて日和まで香澄のやり方を真似るようになり、家庭の中で責められるのは俺だけになった。
結婚して7年。香澄が取り乱す姿など、一度も見たことがなかった。
それなのに昨日の誕生日会では、酔った香澄が颯人に抱きかかえられるようにして現れ、娘は大喜びで二人の手を引いてケーキカットへ向かった。
その瞬間、頭の中が真っ白になった。
そのあとのことは、ほとんど覚えていない。
香澄の首筋に残る赤い痕と、楽しそうに颯人の頬へキスをする娘を見たとき、頭に浮かんだのはただ一つだった。
離婚しよう。
だからこそ、香澄が去り際に放った言葉がひどく滑稽に聞こえた。
ルールだと?
そんなもの、香澄がとっくに破っている。
会議があると俺に嘘をつき、その足でアシスタントの颯人と遊びに出かける。
俺が会いに来るときは事前の連絡を求めるくせに、颯人は社長室へ勝手に入ってこられる。
署名済みの離婚協議書を手に、俺は会社を出た。
車に乗り込み、ネクタイを緩めて煙草に火をつけた。
何も考えず、ただぼんやりと座っていた。
突然スマホが鳴り、そこでようやく、指に挟んだ煙草がすっかり灰になっていることに気づいた。
画面に表示されていたのは、娘の担任からの着信だった。
「桐谷日和さんの保護者の方でしょうか。日和さんが慌てて下校したため、通学バッグを学校に忘れています。お手数ですが、取りに来ていただけますか」
その話を聞き、疑問が湧いた。
スケジュールどおりなら、日和は今ごろ学校で数学コンテストの準備をしているはずだ。予定より早く帰るなど、あり得ない。
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