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夫も息子も、喜んで差し上げます第1話

この話は約1946字。当サイトでは第1〜3話を試し読みできます。

私、露木ひより(つゆき ひより)は、冷徹な社長として知られる露木夏彦(つゆき なつひこ)と結婚した。

職場では旧姓の涼野(すずの)を使い、結婚していることを隠し続けて、もう6年。息子の鏡也(きょうや)も、父親にそっくりな、無愛想な子に育った。

職場の人から性的暴行を受けそうになった事件の裁判に、私が出廷した日。

夫と息子は、スイスへ飛んでいた。

夏彦が7年間交際していた元恋人、笠原紫苑(かさはら しおん)の気晴らしに付き合うために。

二人が悪びれもせず帰ってきたのは、裁判の日から一週間も経ってからだった。

夏彦は眉間を指で押さえ、疲れた顔で言った。

「紫苑は落ち込んでいたんだ。

今度何かあったら、必ずそばにいてあげるから」

鏡也も父親の真似をして、すました顔で私をなだめてくる。

「パパと、おみやげ買ってきたよ。

これあげるから、もう怒らないで。ね?」

私はただ、静かに頷いた。

以前のように取り乱して、声を荒らげることもなかった。

そんな私の態度に、今度は夫と息子のほうが戸惑い始めた。

ある日、親友の三浦莉奈(みうら りな)としゃぶしゃぶを食べていると、彼女はTikTokを見ながらぽつりと言った。

「ねえ、最近SNSでよく見るんだよね。長く付き合ってた元カノがいる男とは、結婚しないほうがいいんだって。

元カノに呼ばれたら、すぐそっちに戻っちゃうんだって。

ひよりも気をつけなよ。旦那さん、7年も付き合ってた元カノがいるでしょ」

私は肉をさっと湯にくぐらせながら、ふっと笑って答えた。

「別に、どうでもいいよ。戻りたいなら、鏡也も連れていけば?

もう、二人ともいらないから」

その時、背後で物音がした。

思わず振り返ると、すぐ後ろに夏彦と鏡也が立っていた。

二人の顔は、揃いも揃って真っ青だった。

* * *

まだ5歳の鏡也は小さな体を強張らせ、私を見上げている。

幼い顔には、傷つき、途方に暮れたような表情が浮かんでいる。

いつも自分を一番に愛し、甘やかしてくれた母親が、なぜ「いらない」などと言ったのか、理解できないのだろう。

一方の夏彦は、冷ややかな目つきでしばらく私を見つめている。

やがて、ゆっくりと手を差し出す。

「ひより、迎えに来た。帰ろう」

私は思わず鼻で笑いそうになった。

皮肉なものだ。

以前は私がいくら頼み込んでも、夏彦は決して車で送り迎えをしてくれなかった。

会社では、夫婦だと知られたくないから。

外では、知り合いに見られるかもしれないから。

結婚して6年、彼の車に乗せてもらった回数は、片手で数えられるほどしかない。

そのことで、何度も泣いて喧嘩した。

妻なのに、助手席に座ることさえ許されないのかと。

そう訴えても、夏彦は冷めた顔で私を見るだけだった。

私が泣いて、怒って、疲れ果てるまで。

それがどういう風の吹き回しか、今日はわざわざ迎えに来てくれた。

親友に別れを告げて車の助手席に座ると、足元が少し窮屈に感じる。私はシートを少し後ろに下げた。

どうやら普段ここに座っているのは、小柄な人らしい。

例えば、夏彦が7年間付き合っていた元カノ、紫苑のように。

シートを調整した後、視界の端で何かが揺れているのが見えた。

振り返ってみると、鏡也のリュックに付いている戦隊ヒーローのキーホルダーだった。

私が買ってあげたピカチュウは、いつの間にか外されていた。

鏡也はキーホルダーをいじりながら、じっと私を見つめて言った。

「これ、紫苑ちゃんがくれたんだ」

私の反応をうかがい、少し間を置いてから、慌てて付け足した。

「ママが嫌なら、これ……」

「別に、嫌じゃないよ」

私はスマホに目を落としたまま、淡々と答える。

鏡也はピタリと動きを止めた。運転席の夏彦も一瞬驚いたようで、訝しげに私を横目で見た。

しばらくして、彼は口を開いた。冷ややかな声には、珍しく気遣うような響きが混じっていた。

「そういえば、裁判はどうなった?」

「今は結果待ち。弁護士さんがなんとかしてくれるって」

私は顔を上げることもなく、友達とのLINEのやりとりを続けた。

車内は再び静まり返った。私が一向に取り乱さないからか、今度は夏彦のほうが苛立ち始めたらしく、指でハンドルを叩いた。

そして次の赤信号で停車した時。彼はとうとう眉をひそめ、譲歩するような口ぶりで切り出した。

「分かってる。俺と鏡也が裁判に付き添わなかったことを、まだ怒ってるんだろ?

こうしよう。会社で結婚を公表したいって、ずっと言ってたよな。

来週の月曜、朝礼が終わったら、俺からみんなに話す」

私は思わず顔を上げ、夏彦の見下ろすような視線と真っ向からぶつかった。

彼は平然としていたが、その目は「これで満足だろう」とでも言いたげだった。

その瞬間、私はなんだか可笑しくて吹き出しそうになった。

結婚を公表する?

そんなこと、もうとっくに望んでいないのに。

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