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夫の後悔が届く頃、私は海を越えていた第1話

この話は約2297字。当サイトでは第1〜3話を試し読みできます。

鷹取宗介(たかとり そうすけ)と三枝千景(さえぐさ ちかげ)の離婚調停は、丸1年にわたってもつれ、いつしか誰もが噂する話題になっていた。

1年の間に開かれた調停は3回。業界内では、千景がまだ宗介への思いを断ち切れず、わざと離婚を引き延ばしているのだと言われていた。

1回目の調停で、千景はブランドのオリジナルデザイン画と特許、著作権をすべて自分に帰属させ、2人で立ち上げたオーダーメイド店も全店舗譲り受けたいと主張した。デザインが会社の生命線だと知りながら、宗介は苦渋の末に譲歩し、店舗とデザイン関連の権利を半分ずつ渡すことに同意した。

2回目の調停では、2人で暮らしていたリバービューの高級マンションを受け取らないと言い出し、代わりに宗介名義の高額なオフィスビルを丸ごと要求した。弁護士からも無理のある条件だと諭されたが、宗介は辛抱強く話し合いに応じ、同等の価値を持つ資産との交換なら可能だと申し出た。

3回目の事前協議では、さらに条件を上乗せし、宗介がブランド経営から永久に退き、今後10年間ジュエリーデザイン業界に関わらないよう求めた。あまりにも法外な要求に、周囲は彼女が宗介を屈服させようとしているのだと呆れた。

それでも宗介は感情を荒らげず、会社の持株比率を整理する時間が欲しいと穏やかに伝え、最後まで譲歩する姿勢を崩さなかった。

どれほど理不尽な条件を突きつけられても、宗介は一つずつ話し合いに応じた。その姿は、かつての情に免じて千景を受け入れ、耐え続けているように見えた。

同業者の中には、このまま離婚調停が長引けば、いつか復縁の話し合いに変わるのではないかと冗談を言う者までいた。

* * *

最後の調停が始まる30分前、千景は家庭裁判所の建物に隣接するコンビニの前で待っていた。

ふと目をやると、木の下に宗介が立っていた。手には白玉ぜんざいのカップがあった。

宗介はそれを安西朋花(あんざい ともか)の手にそっと渡し、彼女の口元についた餡を優しく拭った。

「心配するな。今日の調停は、どんな展開になっても対応できるようにしてある。千景が何を要求しても受け入れるつもりだ。金額も株もどうでもいい。少しでも早く離婚を成立させて、朋花と落ち着いて暮らせるなら、それでいい」

千景の胸が鋭く痛んだ。

大学で過ごした4年間、宗介は同じように白玉ぜんざいを手にし、冷ましながら一口ずつ食べさせてくれた。

夕方から明け方まで、図面を引く彼女のそばで夜を明かしてくれたこともあった。

10年をともにした末、宗介は別の女に走った。それでも千景は思い出にすがり、自分を欺きながら、1年間この結婚を手放せずにいた。

冷たい風が吹き抜けた。

千景は無意識に左手に目を落とした。

結婚指輪は、今も指の根元にはまっていた。長年つけ続けたせいで、皮膚には薄い赤い跡が残っていた。

顔を上げ、宗介の手を見た。

かつて2人の名前を刻んだ結婚指輪は、とうに姿を消していた。

代わりにはめられていたのは、細身のシンプルなリングだった。

朋花の指にあるものと、まったく同じデザインだった。

この1年、必死に保ってきた最後の意地が、一瞬で崩れ落ちた。

千景が指輪をそっとなぞると、目の奥が熱くなり、涙が不意に手の甲に落ちた。

手を上げ、急いで頬の涙を拭った。

指に力を込め、10年間はめ続けたダイヤの指輪を外した。

そのまま、そばのごみ箱に静かに落とした。

硬い音が小さく響いた。

今日の調停が、きっと最後になる。千景はそう思った。

千景は脇に置いていたバッグを持ち上げ、2人の横をまっすぐ通り過ぎて、裁判所の入口へ向かった。

「千景」

宗介に呼び止められた。

千景の足が、ほんの一瞬止まった。

宗介は足早に追いついた。

「朋花は妊娠4か月だ。遅くとも年末までには、きちんと離婚を成立させたい。いつまでも引き延ばしていたら、最後にはお互いみっともないことになる」

千景はゆっくり振り返り、わずかに膨らんだ朋花の腹に目を向けた。

宗介は千景が何かすると思ったのか、すぐに朋花を背後にかばった。

だが千景は、2人を数秒見つめただけで、何も言わなかった。

かすかに笑い、視線を外して、そのまま裁判所に入った。

全員が席に着いた。

宗介側の弁護士は、想定される条件をまとめた分厚い資料を机に広げた。誰もが、また長い駆け引きになると身構えていた。

千景は顔を上げた。

「離婚に同意します。必要な書類には署名します、明日そちらに送ります」

宗介は大きく目を見開いた。

「本当に……それでいいのか?」

なぜか彼が残念がっているように見えた。

そんな錯覚を抱く自分がおかしくて、千景はかすかに笑った。目に浮かんだ涙を隠すように顔をそらし、静かな声で答えた。

「ええ。これでいい。もう、互いに関わるのはやめましょう」

千景は立ち上がると、誰よりも先に裁判所のロビーを出た。

背後から、宗介が朋花に囁く穏やかな声が聞こえた。

「手続きが全部終わったら、数か月後には式を挙げよう。どんなドレスが着たい?海辺でも古城でも、好きな場所で写真を撮ればいい。全部、朋花の望みどおりにする」

朋花は幸せそうに笑ってから尋ねた。

「宗介がこんなに優しくしてくれたら、千景さんは嫌な気持ちにならない?」

「気にするな」

宗介はきっぱり言い切った。だが、その視線は無意識に前を歩く華奢な背中を追い、その凛とした姿に視線がわずかに揺れた。

「俺と千景は、もう何の関係もない」

その言葉が耳に届き、千景はわずかに目を細めた。

ちょうどその時、スマートフォンが震えた。千景は電話に出た。

「例の件、引き受ける。作品と権利関係の書類は1か月以内に全部まとめて送る。今回のコンペ、一緒に頑張ろう」

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