夫の偽装結婚を暴いた日第2話
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結月はしばらく部屋の中を探し回ったあと、手ぶらのまま戻ってきた。
「おかしいな……書類、ここに置いたはずなんだけど」
彼女はスマホを手に取り、「ちょっと夫に聞いてみるね」と言った。
電話がつながると、そのままスピーカーに切り替える。
「ねえ、書類どこに置いた?再発行の手続きに来たのに見つからなくて」
受話器の向こうから、陽介の甘やかすような声が聞こえてきた。
「また破ったのか?お前なあ、もう母親なんだから、いつまでも子どもみたいなことするなよ」
結月は少し不満そうに言った。
「で、どこに置いたの?」
「俺が持ってる。今日は新しい家の手続きの書類と一緒に持って出たままだった。あとで帰ったら届ける」
「じゃあ早く帰ってきて。家で待ってるから」
「わかった。依央のミルクは買ったか?」
「買ったよ。この前あなたがいいって言ってたやつ」
「そうか。いい子にして待ってろ。すぐ帰る」
通話を切ると、結月は嬉しそうに笑った。
「もうすぐ帰ってくるって。少し待っててくれる?」
そう言ったかと思うと、すぐにぱっと表情を明るくする。
「せっかくだし、うちの子見て。もうほんとに可愛いの」
返事をする間もなく、私はそのまま手を引かれた。
ぼんやりした頭のまま連れて行かれ、子ども部屋に入ったところで、ようやく意識が追いつく。
ベビーベッドの中では、色白でふっくらした赤ん坊が、すやすやと眠っていた。
結月はベッドのそばにしゃがみ込み、愛おしそうにその寝顔をのぞき込む。
「可愛いでしょ?夫も、この子は私に似てるって言うの」
私はその場に立ったまま、全身の血が引いていくのを感じていた。
――もう、子どもまでいる。
私は陽介と結婚して五年になる。
半年前、一度だけ子どもを授かった。
けれど妊娠七か月のとき、急な処置が必要になり、その子は助からなかった。
あのあと彼は、今は仕事を優先したいから、子どもはしばらく見送ろうと言った。
私を気遣ってくれているのだと思っていた。
深く考えたこともなかった。
子どもが欲しくなかったわけじゃない。
ただ――私との子どもを望まなかっただけだ。
「お子さんのお名前は、何ていうんですか?」
思わず、私はそう尋ねていた。
結月はさっきよりも甘い笑みを浮かべた。
「明智依央(あけち いお)。夫がつけたの。依の字に、真ん中の央って書くの」
その瞬間、頭の中で何かが弾けた。
――依央。
その名前は、私と陽介が一緒に考えたものだった。
妊娠がわかったばかりのころ、子どもには綺麗な名前をつけたいと陽介が言って、私もいくつも候補を出した。最後に残ったのが、依央だった。
私の名前には「依」の字が入っているから、この子にもその字を入れたい。そう言ったのは、陽介のほうだった。
「その名前……何か特別な意味があるんですか?」
気づけば、私はそう口にしていた。
結月は小さく息をついた。
「夫の亡くなった奥さんの名前に、『依』の字が入ってたの。その人、出産のときに難産で……母子ともに助からなかったんだって。だからこの名前は、その人のことを忘れないためにつけたらしいの」
私は結月を見つめたまま、喉の奥に苦いものがせり上がってきて、何も言えなかった。
結月の声が、ふっと沈む。
「喧嘩するたびに私が婚姻届受理証明書を破っちゃうの、心が狭いって思うかもしれないけど……でも、私だって不安になるの。
亡くなった奥さんのことを、あの人はいまでもあんなに大事にしてる。じゃあ私は?もしかしたら、いつか私も……」
そこから先は、言葉にならなかった。
私はベビーベッドのそばに立ち、眠っている依央を見つめながら、どうしようもなく胸が苦しくなった。
妊娠七か月で失ったあの子が生きていれば、今ごろ、ちょうどこのくらいだったはずだ。
「彼……前の奥さんは、難産で亡くなったって言ってたんですか?」
結月はふっと笑った。
「うん。あのことは夫にとって、相当つらい出来事だったみたいで、何年も立ち直れなかったんだって。でも私と出会って、やっと少しずつ前を向けるようになったらしいの」
そう言って、少し照れたように笑う。
「たまに思うの、もしかしたらこれも縁なのかもって。私、少しだけその人に似てるらしいから」
私は黙って彼女の顔を見た。
少しも似ていなかった。
それでも無理やり共通点を探すなら、二人ともどうしようもないほど愚かだった、ということくらいだ。
「彼、普段はあなたに優しいんですか?」
私がそう聞くと、結月の目がぱっと輝いた。
「うん。すごく優しいよ。仕事が忙しすぎるだけなんだけどね。でも、あと数年したら会社は人に任せて、私と世界中を旅するって言ってくれてるの」
私は黙ってうなずいた。
その言葉は、私にも言ったことがある。
――五年前に。
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