夫の偽装結婚を暴いた日第1話
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市役所の戸籍課に異動して二日目。
私は白石芽依(しらいし めい)。まだ新しい職場にも慣れないまま、同僚から引き継いだ案件を担当することになった。
それは、婚姻届受理証明書の再発行を希望する若い女性――天城結月(あまぎ ゆづき)の手続きだった。
書類を確認している私に、同僚が面白がるように言う。
「この子ね、婚姻届受理証明書の再発行で来るの、もう九十九回目なのよ。データも全部残ってるから、すぐ終わるけど」
思わず聞き返した。
「九十九回もですか?」
「若いのに年上のお金持ちと結婚したらしくてさ。夫婦喧嘩するたびに証明書を破っちゃうんだって。まあ、あれだけのわがまま受け止められるのは年上の旦那くらいでしょ」
さらに同僚は声を潜めて続けた。
「しかも相手、うちの汐見市で一番の資産家――明智家の人らしいわよ」
私は思わず眉をひそめた。
「明智家の人間なら、なおさら軽率な真似はしないはずじゃないですか。その旦那さん、本当に本人なんですか?」
すると同僚は顔色を変え、慌てて私の口を押さえた。
「お願い、それ以上言わないで。本物よ。明智家の当主――明智陽介(あけち ようすけ)、その人本人なんだから」
その瞬間、頭の中が真っ白になった。
気が抜けた拍子にスマホが手から滑り落ち、机の上に転がる。
画面に映っていたのは、陽介に寄り添う私とのツーショット写真だった。
それを見た結月が、突然表情を変え、私のスマホをつかみ取る。
「あなた、誰?どうして私の夫との写真なんか持ってるの?」
* * *
市役所の戸籍課に異動して二日目。
私は白石芽依(しらいし めい)。まだ新しい職場にも慣れないまま、同僚から引き継いだ案件を担当することになった。
それは、婚姻届受理証明書の再発行を希望する若い女性――天城結月(あまぎ ゆづき)の手続きだった。
書類を確認している私に、同僚が面白がるように言う。
「この子ね、婚姻届受理証明書の再発行で来るの、もう九十九回目なのよ。データも全部残ってるから、すぐ終わるけど」
思わず聞き返した。
「九十九回もですか?」
「若いのに年上のお金持ちと結婚したらしくてさ。夫婦喧嘩するたびに証明書を破っちゃうんだって。まあ、あれだけのわがまま受け止められるのは年上の旦那くらいでしょ」
さらに同僚は声を潜めて続けた。
「しかも相手、うちの汐見市で一番の資産家――明智家の人らしいわよ」
私は思わず眉をひそめた。
「明智家の人間なら、なおさら軽率な真似はしないはずじゃないですか。その旦那さん、本当に本人なんですか?」
すると同僚は顔色を変え、慌てて私の口を押さえた。
「お願い、それ以上言わないで。本物よ。明智家の当主――明智陽介(あけち ようすけ)、その人本人なんだから」
その瞬間、頭の中が真っ白になった。
気が抜けた拍子にスマホが手から滑り落ち、机の上に転がる。
画面に映っていたのは、陽介に寄り添う私とのツーショット写真だった。
それを見た結月が、突然表情を変え、私のスマホをつかみ取る。
「あなた、誰?どうして私の夫との写真なんか持ってるの?」
何か言おうとした。
けれど喉の奥が詰まったみたいで、声にならなかった。
今、彼女ははっきり言った。
――私の夫、と。
でもその写真に写っている男は、五年間、私が夫だと信じてきた人だった。
明智家は、この街でも指折りの名家だ。
明智家は血縁関係も家の事情も複雑で、下手に表に出せば大きな騒ぎになる家だった。
だから私たちは、結婚していることを周囲には隠していた。
公表しないのは私を守るためだと、陽介は言った。仕事柄、週刊誌に追われるような生活は嫌だろう、と。
私は信じた。
――五年間も、ずっと。
まさか最後に――笑いものになっていたのが私のほうだったなんて。
結月は怒りで顔を真っ赤にしている。
「こういう女、私いくらでも見てきたわ。お金のある男を見ると見境なくすり寄ってきて、人の家庭を壊そうとするのよね。しかも市役所の職員だなんて、よく平気な顔していられるわね。苦情を入れて、辞めさせてあげる」
同僚が慌てて間に入った。
「お客様、どうか落ち着いてください。何かの誤解かもしれませんので――」
「誤解?写真まであるのに?」
私は深く息を吸い込み、スマホを彼女の手から静かに取り戻した。
自分でも驚くほど、声は落ち着いていた。
「誤解です。以前、隣の市で勤務していたことがあって、そのとき明智社長を取材する機会がありました。その流れで、記念に一枚撮っていただいただけです」
結月は私をじっと見つめた。
私の様子をうかがうような視線だった。
「取材?」
「はい。仕事でご一緒したときのものです」
結月はしばらく私の顔を見つめたあと、少しずつ表情をゆるめた。
「ああ……そういうこと。ごめんなさい、早とちりしちゃって」
結月はほっとしたように笑い、そのまま言葉を続けた。
「でも、うちの旦那って目立つ人だから。外にはすぐ近づいてくる人も多くて、つい警戒しちゃうんです」
私もかすかに笑みを浮かべた。
「気にしていません。
じゃあ、再発行の件なんですけど……
本人確認書類がまだ確認できていません。一度お取りいただけますか」
結月は眉を寄せた。
「家、ここから近いの。一度取りに戻ってきてもいい?」
「でしたら、私もご一緒します」
私は立ち上がった。
「その場で確認できれば、もう一度お越しいただかなくて済みますから」
結月は少し考えてからうなずいた。
「そうね。じゃあ行きましょう」
私は彼女のあとについて、市役所を出た。
彼女が乗っていたのは白いポルシェだった。
まだ新しい車で、内装は淡いピンクで統一されていて、いかにも可愛らしい雰囲気だった。
二十分ほどして、車は見覚えのあるマンションの前で止まった。
エレベーターで上がり、その部屋の前に立った瞬間、胸がきゅっと締めつけられた。
その部屋を、私はよく知っていた。
二年前、結婚するとき、私は結婚前に貯めていたお金で頭金を払い、この部屋を新居として購入したのだ。
明智家ほどの家柄からすれば、この程度のマンションなど取るに足らないものだったのかもしれない。
それでも私は、お金のために陽介と結婚したわけじゃないと証明したかった。
あのころ陽介は言っていた。
会社の資金繰りが厳しいから、今は結婚を公表できない。落ち着いたら式も挙げよう、と。
私はそれを信じたし、支えたいとも思った。
その後、資金繰りが落ち着いても、彼は結婚式のことも、この部屋のことも二度と口にしなかった。
何度かそれとなく聞いてみたけれど、もう人に貸していると言われただけだった。
実際、家賃は毎月きちんと振り込まれていた。
だから私は、この部屋を見に来ようとしたことさえなかった。
玄関に立った瞬間、私は息をのんだ。
リビングの中央に、大きなウェディングフォトが飾られていた。
白いタキシード姿の陽介。
その隣でロングトレーンのドレスをまとい、幸せそうに笑っている結月がいた。
「どうぞ、入って」
結月が明るい声で言った。
私は中へ足を踏み入れた。
足元がふわふわして、ちゃんと地面を踏んでいる気がしない。
五年の結婚生活で、陽介は私に結婚式をしてくれなかった。
ウェディングフォトも、一枚もない。
たった一枚だけあるツーショットは、私が頼み込んで旅行先で撮ってもらったものだった。
彼はただ隣に立っているだけで、まるで他人みたいだった。
なのにここには、彼と別の女のウェディングフォトが飾られている。
二メートルはありそうな金縁の大きな額が、ソファの真正面に飾られていた。
「素敵なお部屋ですね」
私は無理に笑顔を作ってそう言った。
結月は肩をすくめた。
「この写真、大きすぎてちょっと恥ずかしいなって思うんだけど。でも旦那がどうしても飾るって言って聞かなくて。私が奥さんなんだって、みんなに見せたいみたいで」
「……大事にされてるんですね」
「まあね」
口ではそう言いながらも、その目には隠しきれない得意げな色が浮かんでいた。
「座ってて。書類、取ってくるから」
私はソファに腰を下ろし、あのウェディングフォトを見つめた。
陽介はやわらかく笑っていた。
写真の中の彼が見せているその表情を、私は一度も見たことがなかった。
陽介は、写真が嫌いだったわけじゃない。
ただ――私とは撮りたくなかっただけだ。
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