夢に散る花、君にさよなら第2話
この話は約2132字。当サイトでは第1〜3話を試し読みできます。
なのに、水輝はいつだって誰もが憧れる孤高の存在のように澄ましている。
人前では常に礼儀正しく私と距離を置き、視線を交わすことは1秒たりともない。
それなのに、二人きりになると、水輝はどこまでも優しくなるのだ。
私が生理で辛いときは冷たいものを避けるようにと気遣い、わざわざ温かい黒糖生姜湯を作ってくれたり。
深夜まで残業した日には、会社のビルの下まで迎えに来てくれたり。
そっと抱きしめて、甘い言葉で慰めてくれたり。
周囲から見れば、私は水輝にとって付きまとってくる厄介なお荷物であり、ただの笑い草だ。
一方で、そんな私を邪険にせず受け入れている水輝は、度量が広く寛大な男だと思われている。
水輝が本当は私の夫だという事実すら、時折、私の一方的な妄想なのではないかと錯覚してしまうほどだ。
気づけば視界がじわじわと滲んでいた。部屋の中央では、相変わらず同級生たちがドンチャン騒ぎを続けている。
私の夫であるはずの水輝は、小夜花の隣にぴったりと寄り添い、彼女に差し出されたグラスを代わりに引き受けていた。
「小夜花は酒に弱いから。残りは俺が飲むよ」
そう言って小夜花の耳元で何かを囁くと、小夜花はパッと花が咲いたような笑顔を見せた。
水輝のことは、私が一番よく分かっている。
あれほど熱を帯びた眼差しは、決してその場の空気に合わせただけの「お芝居」なんかじゃない。
その時だった。
突然、小夜花の体がぐらりと傾き、そのまま崩れ落ちた。
場は一気に騒然となった。水輝はひどく狼狽した顔を見せ、さっきまでの酔いなど一瞬で吹っ飛んだかのようだった。
彼はすぐさま小夜花を横抱きにし、外へ向かって駆け出した。
私は無意識に立ち上がり、その後を追った。
店外へ出た瞬間、水輝は私の手から車のキーをひったくるように奪い取った。
「結音、俺は小夜花を病院に連れて行く!車使うぞ、お前は他のやつに乗せてもらって帰れ!」
「ちょっと待って、あなたもお酒を飲んでるのに――!」
私の制止など全く耳に入らない様子で、水輝は小夜花を抱えたまま、足早に夜の街へと消えていった。
私が個室に戻ると、周囲はまだ先ほどの騒動の余韻でざわついていた。
「見たかよ、水輝のやつ、どんだけ小夜花のこと心配してんだよ」
「本当だよな。小夜花が倒れた時に割れたグラスで手を切ったのに、全く気づいてなかっただろ。ポタポタ血が出てたのにさ」
彼らの視線を追うと、ドアの前の床には点々と血の痕が残っていた。
あの時、水輝の頭の中は小夜花のことだけで、自分の怪我にすら意識が向いていなかったのだ。
足元に落ちたその赤い染みを見下ろしながら、私自身の心にも鋭い刃物が突き立てられたかのように、息が詰まるほどの痛みが走った。
真夜中のこんな時間、ここにいる連中が私を快く思っていないことなど、水輝だって知っているはずなのに。
それなのに彼は一切の躊躇もなく、この気まずい場に私を放り出したまま、小夜花を連れて出て行ってしまったのだ。
「時期が来たらちゃんと言うから」と、関係の公表を何度も先延ばしにされ、「ただの仕事の付き合いだから」と、彼が他の女と親しげに振る舞うのを、私はただ黙って見せつけられてきた。
もう、限界だった。
堪えきれなくなった涙が、頬を伝って冷たく滑り落ちる。
「うわ、泣いてるし。何年も片思いしてんだから、とっくに慣れてるのかと思ったわ」
心無い声が聞こえてきたが、言い返す気力すらない。私はただ背を向け、逃げるように店を出た。
夜の冷たい空気に触れながら、スマホを取り出す。
連絡先を開き、一件のメッセージを打ち込んだ。
【黒川先生。私ども夫婦の離婚協議書の作成をお願いします】
送信ボタンを押してから、ずっとお気に入りに登録していた旅行サイトのページを開く。
そこはかつて、水輝と一緒に新婚旅行で行こうと約束していた南の島だった。
震える指先で深く息を吸い込み、私はただ一枚、自分ひとり分の航空券を予約した。
……
朝になった。水輝はまだ帰ってこない。
ふと目覚めてスマホの画面を見ると、時刻は朝の5時10分。
SNSのタイムラインを開くと、真っ先に飛び込んできたのは、たった2分前に小夜花がアップした投稿だった。
【一晩中看病してくれてありがとう。私のために怪我までして……この恩はどうやって返せばいいのかな】
添えられた写真には、病室のベッドの縁に突っ伏して眠る水輝の姿。そして、包帯を巻かれた彼の手が、小夜花の手をしっかりと握りしめている様子が写っていた。
その投稿のコメント欄は、すでに大いに沸き立っていた。
水輝が小夜花を抱き抱えて個室を飛び出した瞬間の写真までアップする者もおり、こんなコメントが並んでいる。
【証拠写真ゲット!このエモい雰囲気、マジで尊い!】
【キュン死しそう!高校の時からこの二人は絶対お似合いだと思ってた!】
【早く結婚しろ!ご祝儀の準備はとうにできてるぞ!】
その中には、私への当てこすりのようなトゲのあるコメントも混じっており、容赦なく私の視界に飛び込んできた。
【水輝、手が血まみれだったのに小夜花のことしか見えてなかったよね。結音のことなんて完全に空気でウケた】
それに対する返信。
【私が結音なら、空気読んでさっさと身を引くけどね。両想いの二人の邪魔すんなって話】
縦書き表示中:本文は右から左へスクロールします(← → キーでも移動できます)