夜風に醒める心第2話
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父の了承を得た彩花は、振り返ることもなく屋敷を飛び出した。
外はしとしとと雨が降り続き、頬を伝う涙はすぐに雨粒と混ざって跡形もなく消えていった。
帰宅して濡れた服を着替えている時、翔真が玄関から入ってきた。
鼻歌を歌い、ご機嫌な様子。
だが、視線の先に彩花の姿を見つけた瞬間、その笑みは凍りついた。
翔真はとっさに一歩退き、左手を背中に隠す。ぎこちない笑みが唇に張り付いた。
「……もう帰ってたのか?おじさんたちに呼ばれてたんじゃ?」
彩花は返事をせず、彼の左手に目を据えたまま歩み寄った。
そして隠された手を掴み取る。無理やり引き出した指先には、見慣れぬ指輪が光っていた。
その輝きに視界が滲む。
「ふっ……ペアリングまでつけて。次は籍でも入れるつもり?」
翔真は気まずげに鼻先をこすった。
その仕草を、彩花は誰よりも知っていた。幼い頃から二十六年、彼の些細な動きまで全部読み取れてしまう。
「……もう、籍を入れたのね?」
胸の奥から深い溜息がもれた。覚悟はしていたはずなのに――自分の婚約者が、妹と密かに夫婦になっていた現実は、刃のように心をえぐった。
それ以上言葉を交わす気力もなく、彩花は浴室へと向かおうとした。雨に打たれたままでは、すぐに風邪をひいてしまう。
だが背後から手首を掴まれる。
「待ってくれ、彩花!誤解しないでくれ。これも全部お前のためなんだ。
お前はずっと美月ちゃんに負い目を感じてるだろ?だから代わりに俺が補ってやろうと思っただけだ。
美月ちゃんはすぐに佐伯のところへ嫁ぐ。あんな男と結婚したら不幸になるのは目に見えてる。だからその前に少しでも楽にしてやりたかったんだ。
彼女との結婚は形だけのものだ、時期が来たらすぐに離婚する。リングだって体裁のために過ぎない。
俺が本当に愛してるのはお前なんだ、彩花……俺たちの間に、これっぽっちの信頼もないのか?」
必死に言い募る翔真を見つめながら、彩花はふとわからなくなった。
いつから彼は妹を「美月ちゃん」と、親しげに呼ぶようになったのだろう。
いつから彼の心は変わってしまったのだろう。
彩花は小さく首を振り、冷えた声で告げた。
「雨に濡れたの。先にお風呂に入らないと」
かつては彼女の気持ちを敏感に読み取り、寄り添ってくれた恋人。けれど今目の前にいるのは、ただ美月しか見えていない男だった。
そう告げて立ち去ろうとした瞬間、翔真の視線が彩花の髪に落ちた。びっしょり濡れた髪先を見て、気まずそうに眉をひそめる。
「……悪かったな、迎えに行くべきだった、ごめん。だけどお前も、もう子どもじゃないんだ、雨が強いならタクシー拾えばよかったのに」
彩花は振り返らず、そのまま浴室の扉を閉めた。
白い蒸気に包まれ、シャワーの水が頭上から降り注ぐ。
まぶたを閉じれば、過去の思い出が洪水のように押し寄せてきた。
――「彩花、俺はお前の騎士だ。俺の前ではいつまでも子どものままでいい」
かつて耳にした翔真の甘い言葉。
だがその「いつまでも」は、たった六年しか続かなかったのだ。
浴室を出ると、翔真がすぐに駆け寄り、ドライヤーを手に取った。
「彩花、さっきは俺が悪かった。埋め合わせと言ってはなんだが、評判のいい店を予約したんだ。一緒に行こう。
それから買い物もな、前にお前が欲しがってた十カラットのピンクダイヤのネックレス、もう届いてるんだ」
必死に取り繕うように並べ立てる翔真。
その時、二人のスマホが同時に鳴り響いた。
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