夕風はもう吹かない第2話
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由理恵は1日冷静に考えてみたけど、やっぱり子宮外妊娠の手術のことは、真司に伝えるべきだと思った。
8年も付き合ったんだから、そう簡単に割り切れるものではない。
だが、由理恵も翠と彼女の母親・長谷川蘭(はせがわ らん)が、真司にとってどんなに大切な存在なのかをよく分かっていた。
真司が子供の頃、両親は仕事が忙しくて残業も多かった。だから彼はよく、お隣の蘭の家でご飯を食べさせてもらっていた。
蘭はシングルマザーで、女手一つで翠を育てていた。
小さい頃から、真司と翠は周りからお似合いのカップルだと思われていた。
誰もが、この幼馴染はこのまま結婚するだろうと思っていた。
でも、真司が高校3年生になったばかりの頃、翠は蘭と一緒に海外へ引っ越して、それきり8年も帰ってこなかった。
その詳しい事情までは、由理恵は知らなかった。
だが、3ヶ月前に翠が膵臓がんを患った蘭を連れて国内に戻ってきて、真司に連絡を取ったのだ。
そして、彼女たちが帰国してからというもの、真司は家に帰らないことが頻繁になった。
理由を聞いても、彼はいつも「病院にいる」としか言わないのだ。
真司とあの親子の関係を知っていたから、由理恵も今までは文句ひとつ言わなかった。彼の幼馴染が帰ってきたくらいで、二人の関係にひびが入るはずがないと信じていたからだ。
最初の頃なんて、由理恵は自ら蘭に専門家の医師を探してあげようとさえした。
でも、彼女が関わることが、真司と翠の二人を不快にさせたようだった。
しまいには、由理恵が顔を見せるたびに、翠が不満そうに泣き出すようになった。
そしてついに、真司から「もう病院には来ないでくれ」と言われてしまった。
そんな状況で由理恵は自分がいけないのかが分からなかった。でも、幼い頃から身につけてきた教養によって彼女は感情のコントロールが上手だった。
だからそんな状況においても彼女は騒いだりせず、辛抱強く持ちこたえようとしたのだった。真司がすべてを片付けたら、きっとまた自分の元へ帰ってきてくれると信じていたから。
だけど、今回の子宮外妊娠の件において真司が取った態度は、彼女が心の支えにしてきた信念を揺るがしたのだった。
そう感じたが、由理恵は一旦頭にあった疑念を追い払って、真司にメッセージを送った。そこには子宮外妊娠と書かれたカルテの写真も一緒に添付した。
一方で、同じ病院にあるもう片っぽの病室で、真司は眉をひそめながらスマホのメッセージを見ていた。
すると、隣に座っていた翠も、顔を寄せてきて一緒に画面を覗き込んだ。
しかしメッセージを見た翠は、真司が何か言う前に、目がみるみる赤くなり、涙をぽろぽろと流しながら、口を開くと声を詰まらせた。
「ごめん、真司さん。あなたに頼るべきじゃなかった。由理恵さんは、きっと私にあなたを奪われるのが怖くて、それでこんなありえない嘘をついたのよね。私と母のせいで、あなたと由理恵さんが仲違いしてしまうなんて、本当にごめんね」
それを聞いて真司は一瞬どきりとしたが、でも、よく考えてみれば、この3ヶ月は蘭の病気のことで、ほとんど家に帰れていないんだから、由理恵とはもう長いこと、そういうことをしていなかったはずだ。
それに、由理恵が浮気するなんてありえない。だからこれは、ただ理不尽に騒ぎ立てて、自分の気を引こうとしているだけなんだろう。多分自分が愛されているかどうかを確かめたいだけの、くだらない芝居だ。
そう思って、真司は愛おしそうに翠の頭を撫でながら、ひときわ優しい声で言った。
「君のせいじゃないよ。俺が普段、あいつを甘やかしすぎたんだ。だから、こんな嘘までつくようになった」
「ありがとう、真司さん。あなたがいなかったら、私、本当にどうしたらいいか分からなかった」
そう言って泣きながら、翠は真司の胸に飛び込んだ。
真司もまたそんな翠の背中を優しく叩きながら、力強く彼女を慰めた。
しばらく翠をなだめてから、真司はようやく時間を見つけて由理恵に返信した。
【由理恵、蘭おばさんはもう長くないんだ。俺が子供の頃彼女に、どれだけお世話になったかお前も知ってるだろ。もう少し、物分かりよくしてくれよ。もう騒ぎ立てるのはやめて、自分と未来の子供を呪うような根性の悪い嘘もつくな。落ち着いたら、必ずちゃんと埋め合わせはしてあげるから】
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