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夕風はもう吹かない第1話

この話は約2335字。当サイトでは第1〜3話を試し読みできます。

野口由理恵(のぐち ゆりえ)はこれまで、野口真司(のぐち しんじ)と一生愛し合っていくのだと信じていた。

でも、その運命的な恋は、結局、幼馴染との絆には勝てなかった。

真司が、彼の幼馴染の母親の最期の願いを叶えるため、その子と結婚式を挙げた日、由理恵は、自らデザインした新居をめちゃくちゃに壊し、二人で暮らした街を永遠に去った。

それから、由理恵と全く連絡がつかなくなったと気が付くと、真司は慌てふためいていたのだった。

その後、真司は必死に由理恵に許しを請うたが、その頃には彼女はもうお見合い相手と婚約していたのだった。

人生とは何事もずっと変わらずにいられることはなく、特に感情のことになると、なおさらだ。

* * *

午前2時。野口由理恵(のぐち ゆりえ)は、お腹の激痛で目を覚ました。

ふと隣のシーツに手を伸ばすと、ひんやりと冷たい感覚を覚えた。どうやら夫の野口真司(のぐち しんじ)がまだ帰ってきていないようだ。

しかし、下腹部の痛みはどんどん強くなるので、由理恵はスマホを手に取ると、震える指で真司に電話をかけた。

そして、コール音が長く続いた後、ようやく電話が繋がった。

由理恵が何かを言うより先に、受話器から若い女の声が聞こえた。

「由理恵さん、真司さんはもうお休みになりましたから、何か用があるなら、また明日にしてください。じゃあ、切りますね」

「待って、ちょっと待って……」

そう言いかけたが、締め付けられるような下腹部の痛みで、由理恵は一言しゃべるのもやっとだった。

だが、相手は聞く耳を持たず、一方的に電話を切ってしまった。

由理恵は諦めきれず、痛みに耐えながらもう一度電話をかけた。しかし、今度はもう繋がらなくなってしまった。

すると、ベッドの上で、由理恵は荒い息をついた。そしてこのまま死ぬかもしれないという恐怖で全身が震え、涙が勝手にあふれてくるのだった。

死にたくない。まだ26歳なのに。両親もいるし、それに、真司だっている。

その思いから、由理恵はなんとか気力を振り絞って救急車を呼んだ。そして意識が遠のく前に、リビングまで這っていって玄関のドアを開けた。

すぐに、救急車のサイレンがマンションの敷地内に響き渡った。

由理恵は、すぐに病院へ運ばれた。

だが、病院に着くなり医師の診断では、子宮外妊娠とのことで、すぐに手術が必要だということだった。

その時、由理恵は意識を取り戻していて、看護師に真司の電話番号を伝えた。

でも、看護師が何度かけても、電話は繋がらなかった。

「ほかにご家族か、ご友人の連絡先はありますか?」若い看護師は、ベッドで青ざめている由理恵を気の毒そうに見つめて尋ねた。

由理恵は力なく笑って、首を横に振った。

両親は東都にはいない。始発の飛行機で来てもらったとしても、着くのは明日の午後だ。

それに、母親の松田泉(まつだ いずみ)は心臓が弱いから、こんなことで驚かせられない。

一番の親友である今井凪(いまい なぎ)は市内にいる。それに、凪はもう臨月で、いつ生まれてもおかしくない状況だから、こんなことで煩わせるわけにはいかないのだ。

そう思って、由理恵は言った。「手術の同意書は……自分でサインします」

これはたぶん、由理恵の人生で一番みじめな瞬間なのだろう。

自分で救急車を呼んで、自分で手術の同意書にサインして、たった一人で手術を受けるなんて。

幸い、病院は親切で、すぐにヘルパーを手配してくれた。

手術は夜通し行われた。由理恵が目を覚ましたのは、もう翌日の午前中だった。

由理恵が起きたのに気づくと、ヘルパーが急いで水を一杯持ってきてくれた。

「野口さん、やっと目が覚めましたね。本当に危なかったんですよ。先生の話だと、着床した場所がすごく悪かったみたいで……手術がもう少し遅れてたら、助からなかったかもしれません」

由理恵は自分のお腹をそっと撫でた。残念な気持ちと、悲しい気持ちで胸がいっぱいになった。

真司と2年もの間、ずっと待ち望んでいた赤ちゃんだったのに。やっと授かったと思ったら、まさか子宮外妊娠だったなんて。

由理恵は涙をぐっとこらえて、このことを真司に伝えなければと思った。

そして、スマホを取り出すと、彼女はもう一度、真司に電話をかけた。

今度は、電話に出たのは真司本人だった。

「真司、私……」

「由理恵、最近お前のことを構えなかったのは分かってる。でも、こっちだって本当に疲れてるんだ。昨日は蘭おばさんが拒絶反応を起こして、容態がすごく悪かったんだよ。

それに、翠とは何もない。あの子は妹みたいなものだ。それでお前の立場が脅かされることはないから、もう騒ぐのはやめてくれないか?」

真司の声はひどく苛立っていた。由理恵はスマホを握りしめたまま、一瞬、何を言えばいいか分からなくなった。

数秒ほどの沈黙の後、真司が再び口を開いた。

「何か言えよ、由理恵?」

「私、子宮外に……」

由理恵が言い終わらないうちに、電話の向こうから、長谷川翠(はせがわ みどり)の焦ったような泣き声が聞こえてきた。

「真司さん、早く!お母さんの様子を見に来て!」

「じゃあ、また後で」

彼がそういうと電話は、切れた。

取り残された由理恵は天井を見上げた。もともと赤く腫れていた目に、再び涙があふれたのだった。

8年……真司と付き合って、もう8年になる。

この8年間、二人は受験も乗り越えた。大学の4年間、遠距離恋愛だって頑張った。そして2年前に、結婚して以来二人でずっと、赤ちゃんが授かるのを待ちわびていたのだった。

それなのに、真司の幼馴染が帰国して、たった3ヶ月。今ではもう、自分は彼の目には、理不尽に騒ぎ立てる嫉妬深い妻にしか映っていない。

そう感じて由理恵は「フッ」と笑った。彼女は自分の目を手で覆って、笑いながら涙を流した。

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