国境なき医師の私、この手でクズ夫を切り捨てる第2話
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付き合って三ヶ月の間に、彼はY国に7回も飛んできた。
来るたびに、大量の物資を抱えた。
薬、医療器具、チョコレート、それから、彼の直筆の手紙だ。
【舞子、今日流れ星を見た。願い事をしたんだ。どうか無事に帰ってきてほしい、って。笑うなよ】
私はそれらの手紙をブリキの缶にしまい、スーツケースの一番底にそっと押し込んだ。
ずっと後になって気づいた。どの手紙の最後にも、小さな字で書き添えられていた。
【Y国の子どもたちによろしく。渡部祐希より】
祐希は、彼のアシスタントだ。
正確には、彼の父の旧友の娘で、経験を積ませるため彼のもとに置かれている。
たかがアシスタントだ。当時の私は、なんとも思わなかった。
今思えば、本当に馬鹿だった。
妊娠は、まったくの偶然だった。
Y国での仕事がすべて片づき、次はN国へ行く契約を結ぼうとしていた矢先だ。
出発の一週間前、妊娠検査薬に二本の線が浮かんだ。
私は慌てて幸平に電話をかけた。
彼は港都に出張中で、電話越しに雑踏のざわめきと、女の笑い声が聞こえた。
「どうしたんだ」
「妊娠したみたい」
電話の向こうが、一瞬しんとなった。
それから、彼の声は壊れものを扱うみたいに、柔らかく、慎重になった。
「ほんとか」
「うん」
「舞子」
彼ははっきりと昂ぶった、かすれた声で私の名前を呼んだ。
「待っていてくれ。明日、すぐに帰る」
彼は本当に帰ってきた。
指輪を手に、花束を抱えて、私の前で片膝をついた。
「結婚してくれ。もうあんな遠くへ行くな。俺が養うから」
私は迷った。
何年も医学を学び、戦場で五年、この手で何百人もの命をつないできた。
それを、たった一言で、全部投げ出せというのか。
「舞子」
彼は顔を上げて私を見た。目が赤い。
「お前のいるところで、また戦争が始まったと聞くたびに、俺がどんなに怖かったと思う。お前が戻って来られないんじゃないか、もう二度と会えないんじゃないかって……俺は、お前に出会えたことが、人生でいちばんの幸運なんだ」
彼はしばらく沈黙して、声を潜めた。
「両親を早くに亡くして、ずっと独りだったんだろ。でも、今は俺がいる……頼む。俺に守らせてくれないか」
その言葉が、胸の奥に刺さった。
私の両親は海外医療援助隊の一員で、12歳のときに震災で亡くなった。
それからずっと独りだった。
幸平は、自分がいる、守ってくれると言った。
あのときの私は、それを信じた。
私は退職届を出した。
MSFの責任者から、立て続けに三度も電話がかかってきた。
「川瀬、君は俺が育てた中で最高の外科医だ。男のためにすべてを捨てるなんて、正気か」
私は笑った。
「正気よ」
自分でも騙せるほど、確信に満ちた声だった。
その後の展開は、よくある昼ドラみたいに、終わり方は最悪だった。
産科の検診には、誰もついてきてくれない。
「悪い、舞子。今日はどうしても外せない会議でさ」
「悪い、祐希のほうの契約チェックがあって、手が離せないんだ」
「運転手に行かせるから、同じだろ」
いつだって言い訳があり、いつだって彼はいなかった。
家に帰ってくる時間は、日ごとに遅くなった。
私が待つ夜は、一晩ごとに長くなった。
ドアを開けて入ってきた彼の襟元に、知らない香水の匂いが染みついていた。
どこに行ってたの、と聞くと、彼はやさしく笑った。
「残業だよ。祐希も一緒だった。心配なら、彼女に電話させようか」
私はそれ以上、なにも聞けなかった。
自分が神経質になりすぎているだけだと思った。妊娠中は誰でも、疑い深くなるものだ。
あの日まで。
彼の車のなかで、口紅を見つけた。
皮肉なことに、妊娠してから私は、一度も口紅をつけていなかった。
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