和紙文危篤の祖母より、後輩女医を選ぶ夫 · 第2話設定≡

危篤の祖母より、後輩女医を選ぶ夫第2話

この話は約1587字。当サイトでは第1〜3話を試し読みできます。

「危篤」……その二文字に、頭の中が真っ白になった。勝己の姿はもう見えない。

私はただ、来た道を全力で引き返した。

「す、すぐに戻ります!」

痛みを堪えて手術室の前まで駆け戻ると、看護師たちが慌ただしく出入りしていて、事態の切迫ぶりがひと目で分かった。

私は震える手で、次々と運ばれてくる手術の同意書や延命措置の確認書などにサインをした。焦燥で胸が張り裂けそうだった。

そばにいた若い看護師たちが、思わずというように小声を交わしている。

「鷹司先生、どうしたんだろう。自分を育ててくれたおばあ様の手術なのに来ないなんて」

「決まってるでしょ、また空知先生に引き留められてるのよ。奥さんのことなんて眼中にないんだから」

「毎日毎日、先輩だ後輩だってイチャイチャして。見てて気持ち悪い」

聞いていて、背筋が冷たくなった。

勝己と亜実の間に何かあるのは、とっくに気づいていた。それで何度も言い争いにもなった。けれど勝己はいつも不機嫌そうに否定するばかりか、私の考え方が汚いとまで言った。ここ数ヶ月は電話にも出ず、家にも帰ってこない。

今日、祖母が突然倒れなければ、私はもう勝己に会うことすらできなかったかもしれない。

深く息を吸って時計を見ると、もう1時間近くが経っていた。盲腸の手術なら、そろそろ終わっているはずだ。

私は再び、勝己と亜実が使っていた手術室の前まで行ってみたが、ふたりの姿はどこにもなかった。

すぐさま電話をかける。3回目でようやく繋がった。

「勝己、手術終わったの?もうおばあちゃんの方に来てくれる?」

「あら理和さん、ごめんなさいね。初めての執刀の成功祝いで、先輩がフレンチをご馳走してくれているんです」

受話器の向こうから、亜実の挑発するような笑い声が響いてくる。

「ふふふ。よかったら、またあとでかけ直してもらえます?」

「あなた!」

歯を食いしばる。今すぐ怒鳴りつけてやりたかった。

「あなたと勝己がどういう関係だろうと、今はどうでもいい。でも今、危篤なのは……勝己を育ててくれたおばあちゃんなの!すぐに代わって!」

「スピーカーにしてますよ。理和さんの大声、こっちまで丸聞こえですよ」

そして、うんざりしたような勝己の声が聞こえてきた。

「理和、いい加減にしろよ。おばあちゃんが病気だなんて嘘までついて俺を呼び戻そうとするなんて、縁起でもないと思わないのか」

言葉を失いそうになった。まだ私が嘘をついていると思っているのか。

怒りを堪え、深く息を吐く。

「勝己、今すぐ戻ってこないと、二度とおばあちゃんに会えなくなる。あなたを、ずっと育ててくれたおばあちゃんに」

勝己は幼い頃、両親を交通事故で亡くしている。その勝己を育て上げたのが、私の祖母だった。学生時代から私たちの結婚に至るまで、祖母は勝己に何の惜しみもなく尽くしてきた。実の孫である私と同じように、勝己にも惜しみない愛情を注いでくれた人だ。

だから、祖母が倒れたと聞いたとき、彼ならきっと助けに来てくれると思っていた。

そう伝えれば、事の重大さに気づいてくれるはずだと思っていた。だが勝己は数秒黙り込んだあと、突然、嘲るように笑い出した。

「はっ、いい加減にしろって。俺を戻らせるためなら、本当にどんな嘘でもつけるんだな。

おばあちゃんは今年の初めからスイスで療養してるんだぞ。帰国してたら俺に連絡がないわけがないだろ。

それを危篤だなんて……そんな縁起でもないこと、よくもぬけぬけと言えるな。あんなに可愛がってもらってたくせに」

絶望に近い思いで、私は続けた。

「おばあちゃんは、私たちの夫婦仲がうまくいってないって聞いて……」

だからこそ、こっそりスイスから帰ってきて、私たちに仲直りしてほしくて……

その言葉を最後まで言い終える前に、電話は一方的に切られた。

かけ直しても、呼び出し音すら鳴らず、すぐに切れてしまうだけだった。

もう、着信拒否にされたのだと分かった。

縦書き表示中:本文は右から左へスクロールします(← → キーでも移動できます)