初恋を救うため、最後の腎臓を奪った裁判官の夫第2話
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律真と紗良が病室へと入っていったその直後、病院の玄関から風のように駆け込んできたのは——白河寅人(しらかわとらひと)だった。
彼は廊下で私の遺体に向かって走り寄り、すれ違いざまに律真と目が合ったが、彼は一瞥もくれずに通り過ぎた。
寅人は震える手で私の手を掴んだ。指先はかすかに震えており、凍りついた私の額にそっと触れた瞬間、その瞳から、ぽたりぽたりと静かに涙が落ちた。
「バカだな。あの時、俺と結婚していれば、こんなふうに誰にも看取られず死ぬこともなかったのに……」
その言葉に、私は思わず鼻の奥がつんとした。寅人の髪は乱れ、コートには旅の埃がついている。きっと遠くの県から駆けつけてきたのだろう。
私が律真と結婚してから、寅人はこの街を離れていた。
その理由は——律真が彼の存在を快く思わず、私に迷惑をかけたくないと、彼なりの優しさで姿を消したのだ。
私は孤児で、七歳の時に白河家に引き取られた。寅人は形式上の義兄だったが、最初は私を好いていなかった。それでも、月日を重ねるうちに彼の態度は少しずつ変わっていった。
私はかつて、律真と結婚するために養父母と決別した。理由は単純だった。彼らは私を政略結婚の駒としてしか見ていなかったのだ。
寅人はそんな私を白河家から連れ出し、逃がしてくれた。彼が私に寄せていた気持ちも、ずっと前から私は知っていた。
けれど私は、律真も、寅人も、誰にも選ばれないような立場だった。少なくとも、養父母が寅人との結婚を許すことはなかっただろう。
寅人が私の遺体を連れて病院を後にしたその頃、律真はちょうど外出するところだった。
紗良が「ちょっと郊外のケーキ屋さんのケーキが食べたい」と口にしただけで、律真は一切迷うことなく立ち上がり、車の鍵を手に取った。
思えば、私はただ「下の店で売ってるおにぎりを一つ買ってきてほしい」と頼んだだけだった。律真は、それすら「面倒だ」と言って断ったのに。
エレベーターの前で、寅人と律真が鉢合わせた。私の遺体は白い布に覆われ、ストレッチャーの上に静かに横たわっていた。
ふたりの視線が交錯する。律真は寅人の顔をはっきり覚えていた。
「どいてくれ」
寅人の声は冷たく、刺すようだった。無理もない。
彼にとって、律真は——私を殺した張本人なのだから。
律真は、わずかにたじろぎながらも一歩下がった。「死人に鞭打つな」と言わんばかりに。
だが、寅人が通り過ぎようとした瞬間、律真の目が私の足首に止まった。
「待て!」
彼の声が病院の静寂を切り裂いた。
何かを思い出したように、律真は慌てて追いかけてきた。
「亡くなったのは、君の……誰だ?」
その問いかけに、私の魂は思わず息を呑んだ。
寅人が私の死をそのまま口にしてしまうのではないかという不安と、
いや、いっそ言ってしまって——律真がそれを知ったとき、どんな顔をするのかを見てみたいという期待が、同時に胸を締めつけた。
寅人はしばらく黙り込んでいたが、やがて静かに口を開いた。
「俺の妻だ」
時が止まったようだった。
私も、律真も、その場にいた誰もが、言葉を失った。
律真は私の事情をすべて知っていた。寅人が私を想っていたことも。
だからこそ、その言葉に、律真の顔から血の気が引いた。
「いつ、結婚した?」
口をついて出た問いに、律真自身も戸惑っているようだった。
寅人は鼻で笑い、遠慮のない口調で言い返した。
「それが、お前に関係ある?」
律真は言葉を失い、続けて絞り出すように言った。
「昔から竹音が好きって言ってたくせに……結局、口だけだったんじゃないのか?」
その言葉に、寅人の足がぴたりと止まる。
彼は静かに振り返り、鋭い視線で律真を一瞥した。
「お前に比べたら、俺なんてまだまだ甘いよ」
その一言が、全てだった。
私は寅人の背にそっと寄り添うようにして歩き出し、もう一度だけ後ろを振り返った。
そこに立っていた律真は、もう、私がかつて命をかけて愛した男には見えなかった。
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