初恋を救うため、最後の腎臓を奪った裁判官の夫第3話
この話は約2140字。当サイトで読める3話の試し読みのうち、最後の話です。続きの第4話からは公式アプリで読めます。
紗良が入院してから一か月後、退院の迎えに来たのは律真だった。
私が死んだとき、そばにいたのは寅人一人だけだったというのに、紗良の病室はまるで祝賀会のような賑わいを見せていた。
親戚、友人、知人——そのすべてが狭い病室に押し寄せ、律真が姿を現した途端、場は一層沸き立った。
「律真、そろそろ紗良ちゃんをお嫁さんにしてあげなよ〜。こんなに大事にしてるんだもん、紗良ちゃんが本当に幸せそう!」
紗良は顔を赤らめ、蚊の鳴くような声で口を開いた。
「みんな、そんなこと言わないで……律真さんは結婚してるし、竹音さんに誤解されたら、私……また責められるかもしれないし……私、そんな立場にはなりたくないの……」
そのとき、誰かが皮肉混じりに笑った。
「ふーん?そんな女、嫉妬と意地悪しかできないくせに。律真が本当に愛してるのは紗良ちゃんだって、見りゃわかるわ。
愛されてない妻なんて、ただの邪魔者でしょ?私だったらとっくに離婚してる!」
——私は「邪魔者」だったんだ。
彼らの言葉に、ただただ笑うしかなかった。
紗良は、いつもこうやって律真を誘導してきた。自分は悪くない、全部綾瀬竹音(あやせたけね)が悪いと。
もっと心が冷えたのは、律真の態度だった。彼は何も言わず、紗良の荷物を黙って整理していた。周囲の誰もが見ているのに、誰一人手伝おうとしなかった。
かつて私と律真が結婚した頃、彼は「ずっと愛する」と言ってくれた。でも家事は私の役目で、理不尽な思いをしたのも私。
彼が私を守ってくれると思っていた。だけど実際は、嵐を運んできたのは、いつも律真のほうだった。
「律真、紗良ちゃんはあなたのために何年も待ってたのよ?どうか……報われてほしい」
誰かが、律真の腕を引き寄せながら囁いた。
その言葉に、私は思わず胸が苦しくなった。……彼らの本音が、これなんだ。私という存在は、最初から「間違い」だったのかもしれない。
律真は返事をしなかった。だが、その沈黙がすべてを物語っていた。
紗良はそのまま、律真の「独身用マンション」へ連れて行かれた。その部屋は、私たちが口論した後に彼がひそかに借りた場所で、私は一度も入れてもらえなかった。
私は薄々気づいていたのかもしれない。紗良こそが、律真にとって「特別」だったと。彼のすべての原則は、彼女のためならいとも簡単に崩れ去るのだ。
律真が紗良の荷物を丁寧に並べていると、突然、紗良が背後から彼の腰にしがみついた。
私はまだ死んだばかりだというのに、その光景はあまりにも親密で、思わず胸が締めつけられた。
そこにあったのは、律真がかつて誰かと夫婦だったという気配すら、微塵も感じられなかった。
律真の身体は一瞬こわばった。避けようとしたのかもしれない。でも紗良はさらに腕の力を強め、そっと彼の背中に顔を埋めた。
「律真さん、もう一度、チャンスをくれない?あのとき、私……わざとあなたを離れたわけじゃないの。お母さんが病気になって……どうしてもお金が必要で、お父さんのお金を持って……」
——そうか、金のために「別れ」を選んだんだね。古くてありがちな言い訳。でも律真は、それをずっと忘れられなかったらしい。
律真は短く笑った。どんな感情が混じっているのか、私にはわからなかった。
「あの時、ちゃんと理由を言ってくれてたら、こんなすれ違いにはならなかったのに。親父が出せた金を、俺が出せないとでも思ったか?」
紗良は口を閉じたまま、何も言えなかった。
でも、彼女は賢かった。律真が今、私を憎んでいることを知っていた。だからすぐに、話題を私へとすり替えた。
「私のこと、恨んでるから?だから竹音さんが私をいじめても、何も言ってくれなかったの?彼女、私の職場に嫌がらせして、チンピラ使って私を襲わせようとしたの。
しかも病気になったって知っても、腎臓ひとつくれなかった……あれ、全部あなたの復讐なの?」
——全部、嘘だ。
彼女が語る一つ一つ、私はまったく知らなかった。職場の場所すら知らないのに、どうやってそんなことができる?
それに、孤児の私に権力なんてあるはずもない。金もない、そんな「手配力」なんて、なおさらだ。
少し調べれば、紗良の言い分にはいくつも矛盾が見つかるはずなのに、霧島律真はそれを一切疑おうともしなかった。
彼女の「律真が何も言ってくれなかった」などという被害者ぶった嘘の裏で、私がどうされたかは、語られることもなかった。
律真は、私を同僚の前で無理やり引きずり出した。怒り狂った顔で、まるで私が犯罪者であるかのように。
彼が連れてきた連中は、私を殴り、辱め、裸にして動画を撮った。
私は隅で震え、声も出せなかった。
律真はその様子を、椅子に座って見ていた。そして最後に、スマホを私の目の前で揺らしてこう言った。
「これ以上、紗良を傷つけたら、この動画、ネットにアップしてやる。一生、消せない汚点にしてやるからな」
私は何度も、「ちがう」と訴えた。けれど、律真の耳には届かなかった。
今、紗良は「あの嘘」を再び語った。それでも律真は、彼女の嘘がきっかけで、私に何をしたのか、一言も語ろうとしなかった。
滑稽だ。
私の命を奪ってまで愛してくれなかった男が、なぜ私と結婚したんだろう。今となっては、その答えすら知る意味もないのかもしれない。
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