共に蝶となり、風と舞う第3話
この話は約1536字。当サイトで読める3話の試し読みのうち、最後の話です。続きの第4話からは公式アプリで読めます。
突然、激しいノックで眠りを断ち切られた。もう夜は明けていた。
急いでドアを開けると、目の前に立っていたのは見知らぬ男だった。その瞬間、胸の奥に大きな失望が広がった。きっと心の奥では、辰海が迎えに来てくれることを望んでいたのだ。
だが、彼は来なかった。
「こんにちは。不動産会社の者です。黒崎皓真(くろさき こうま)と申します。この付近は近々取り壊しになりますので、本日はその立ち退き料でお伺いしました」
私は彼を中に入れた。彼は遠慮なく要件を切り出したが、提示された金額はあまりにも低かった。
「同意できません。もっと上げてもらわないと」
本来なら、私はここまで強く言うことはなかっただろう。だが、もう長くは生きられない。せめて少しでも多くを辰海に残してやりたかった。
そのとき、携帯にメッセージが届いた。辰海からだ。
【悪い、出張が入った。数日後に迎えに行く】
すぐに庭子からもメッセージが来た。【佐鳥さん、怒らないでね。私、一人で地方に行くのが本当に怖くて……だから辰海に一緒に来てもらったの】
私は返信した。【いいことじゃない】
皓真とは何度も値段のやり取りをした。ちょうどそのとき、私の腹が鳴った。
彼は笑った。「じゃあ、朝ごはんでもごちそうしますよ。俺もまだ食べてないんです」
私は遠慮しなかった。今は一銭でも節約して、辰海に多く残したい。
ラーメン屋で、彼はこぼすように言った。「俺もただの使われ人でしてね、この会社に来たばかりなんです。本当は皆さんに納得していただける額を出したいんですけど。
あ、そうだ。彼氏さんに一言相談したほうがいいんじゃないですか?」
私は鼻で笑った。「私から話を引き出そうって?彼氏なんていないわよ。これで満足?」
彼は気まずそうに頭をかいた。「いや、そういうつもりじゃ……実は近所の人から佐鳥さんのことをいろいろ聞いていて。前から気になってたんです。特に、佐鳥さんの明るさに心を打たれました」
『明るさ』という言葉に、私は一瞬動きを止めた。何も言わず、そのまま家へ向かった。
玄関のドアを閉めた瞬間、抑えきれず崩れ落ちて声を上げて泣いた。
そうだ、昔の私は本当に明るかった。両親を失っても自分を見捨てず、毎日を前向きに過ごしてきた。
辰海の十年にわたる冷たさにも、私は笑顔で耐え、どうにか彼を笑わせようとした。
世界はもともと壊れかけていた。だが笑顔で繕えば、まだ美しいと信じられると思っていた。
だが、いつからだろう。私の心は次第に悲観に染まっていった。
庭子を初めて見たときかもしれない。
がんの診断書を手にした日かもしれない。
あるいは――もう笑い続ける理由が、この世に何ひとつ残っていないからかもしれない。
泣き続けるうちに腹部に激しい痛みが走り、ついに血を吐いた。
そうだ、今朝は薬を飲み忘れていたのだ。
必死に床を這ってテーブルまでたどり着き、薬を手に取って急いで飲み込んだ。しばらくしてようやく体が落ち着き、椅子に寄りかかって荒い息をついた。
そのとき、携帯がひっきりなしに震え始めた。辰海から大量のメッセージが送られてきている。
【仲介からいくつか物件の紹介が来た。どれも良さそうだ。先に見ておいて、気に入ったのを教えてくれ】
【七日後に迎えに行って、一緒に現地を見よう】
彼のメッセージを見て、思わず口元が緩んだ。私は返信した。【バーカ、私がどこにいるかも知らないくせに、迎えに来るって言うの?】
【僕たちの昔の家だ】
その瞬間、涙がまたこぼれ落ちた。
彼がここを「家」と呼んだのは初めてだった。
これまでは私が「一緒に家に帰ってご飯を食べよう」と言っても、彼は必ず「そこは僕の家じゃない」と突き放した。
ようやく彼は認めてくれた。だが、この家ももうすぐ私と一緒に消えていってしまうのだ。
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