元カノは彼の子を堕ろした——それでも、彼は私に理解を求めた第2話
この話は約2278字。当サイトでは第1〜3話を試し読みできます。
二年前、会社が名栗野に支社を立ち上げたとき、幹部だった千佳さんは、すぐに私を誘ってくれた。
当時はまだ、湊真が起業する前。
私は彼に、名栗野に一緒に移住しようと提案した。
やっぱりここは地方都市だし、名栗野は沿岸の主要都市。チャンスも多い。
でも彼は、あっさりと「必要ない」と言った。
——そんな遠くまで行く必要はない。
——君の地元で暮らす必要は、ない。
あのプロポーズのときもそうだった。
彼はただ指輪を一つ差し出しただけ。飾りつけも、演出も、何もなかった。
「どうしてサプライズとかしてくれないの?会場とか、雰囲気とか……」
そう聞いたとき、湊真は軽く笑ってこう言った。
「必要ないだろ。どうせ、お前はOKするんだから」
——でも心咲の誕生日パーティーには、あれほど大掛かりな演出をしていた。
そのときは、「必要だから」と言っていた。
……だから今度は、私が自分のために選ぶ番だった。
「名栗野は私の地元なんです。千佳さん、推薦お願いします。資料も準備します」
そう言うと、早川さんは安心したように微笑んだ。
「よかった。ようやく、決めてくれたのね」
二日後、私はオンライン面接を受け、幸運にも合格。
支社の上司からは「そちらの引き継ぎを済ませたら、すぐ来てくれ」と言われた。
年末年始も、私はずっと会社に詰めていた。
月曜、残業を終えて帰ろうとしていた千佳さんが、なぜか引き返してきた。
「琴ちゃん、来てるわよ。……あなたの彼氏」
冗談めかしてウィンクするその顔を見て、私は少し戸惑いながらエントランスへ。
そこには、本当に湊真がいた。
「まだ仕事終わってない?一緒に年越し、しようと思って」
「ああ。そういえば昨日、元日だったね」
カレンダーを見て、ようやく今日が何日か思い出した。ここ数日、忙しさで完全に感覚が麻痺していた。
湊真は私のバッグを受け取り、無言でエレベーターのボタンを押した。
「千佳さんから聞いたよ。名栗野支社に行くんだって?」
「うん」私はあくまで淡々と答えた。
彼の顔が、すっと曇る。
「そんな大事なこと、どうして俺に相談しなかった?」
「一昨日、電話したよ。でも出なかった」
彼は眉をひそめ、無言で助手席のドアを開けてくれた。
「今日は元日の代わり。あの田舎料理の店、行こう?前に君が「美味しい」って言ってたとこ」
「いいよ」
車が高速に入ったとたん、彼のスマホが鳴った。
表示された名前を見た瞬間、私はもう予想がついた。
心咲。
「湊真……お腹、すごく痛くて……息できないくらいなの。
来てくれたら、たぶん楽になると思うの……
お願い、今すぐ来て……」
案の定、彼の表情は一気に動揺に変わった。
「心咲が、お腹痛いって。たぶん流産の後遺症だ。悪いけど、行ってくる」
「わかった。行ってあげて」
私は目を閉じて、静かに答えた。
湊真は、ほっと息をついた。
そして私を最寄りの高速サービスエリアで降ろすと、車を急発進させて行ってしまった。
——三十分後、ようやくタクシーが捕まった。
運転手は不思議そうに私を見ていた。
「お嬢さん、どうしてこんなとこ一人で?」
「置いていかれたんです」
窓の外、車の流れがぼやけて見える。
昔なら、きっと泣き叫んでいた。
けれど今は、ただ静かだった。
車に乗り込んだ直後、またグループチャットが鳴った。
心咲からの投稿だった。
【お腹痛くて、鎮痛薬切れちゃった。どうしよう……】
そして、すぐに湊真が返信していた。
【もうすぐ着く。5分で行く】
やっぱり、あの二人はもう一度恋愛しないと、気が済まないんだと思う。
ここまで見せつけられたら、もはや喜劇でしかない。
深夜、湊真が戻ってきた。
いつもなら、彼は心咲の家に泊まるのが通例だったのに。
「琴、明後日、誕生日だよな。一緒に過ごそう」
夜中、彼は私の腰に腕をまわし、まるで情熱的な恋人のようにささやいた。
私は眉をひそめ、そっとその手を外す。
「どうしたの?誕生日、一緒に過ごしたくないの?」
「どうせ、来ないでしょ」
「行くってば」
彼はまるで誓いのように言った。
二日後——
また心咲のことで約束をすっぽかすと思っていた。
けれど今回は、彼は本当に来た。
しかも、ちゃんとサプライズまで用意していた。
「琴、プレゼント開けてみて?俺、誕生日パーティーって、君のために初めて開いたんだ」
彼のその言葉に、私は唇を噛みしめた。
やっぱり、彼も分かっていたんだね。
これが初めてだってこと。
目の前には、大人のふくらはぎほどの高さもある、真っ白なリボンがかけられた大きなギフトボックスが置かれていた。
思わず、胸がときめいた。
開けた瞬間、小さなアラスカン・マラミュートが飛び出してきた。嬉しそうに「ワン、ワン」と吠える。
私の顔から、一気に血の気が引いた。
「血統書付きで、ショードッグレベルだよ。けっこう頑張って手に入れたんだ」彼は得意げに、私の隣で笑った。
小さなリボンをつけたその犬は、丁寧に洗われていて清潔そのものだった。
湊真が、どれだけ手間をかけたのかは伝わってきた。
でも——彼は、忘れていた。
私が、犬に対してトラウマを抱えていることを。
中学時代、野良犬に襲われて、脚を噛みちぎられるような怪我をした。
そのせいで、いまだに犬が怖い。
……けれど心咲は、犬が好きだった。
家には何匹もの小型犬がいた。
「どう?可愛いでしょ?」
湊真は、犬を抱き上げて私に差し出しながら言った。
「心咲も、こういうのが——」
その言葉が終わる前に、私は一歩下がった。
恐怖に震える声で言った。
「湊真、私、犬が怖いの。お願い、遠ざけて」
彼は数秒、茫然とした顔で私を見つめていた。
その黒い瞳に、予想外の出来事への戸惑いが浮かんでいた。
縦書き表示中:本文は右から左へスクロールします(← → キーでも移動できます)