僕が去ると、元妻の会社は潰れた第2話
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出会って十年、美咲は僕の一線を弁えていた。
ビジネスの世界を長年渡り歩いてきた彼女は、他の男との距離の取り方も心得ていた。
だが今の彼女は、その一線を何度も越えている。
ならば――
僕たちをつないでいた縁の糸も、僕が心血を注いだ、会社の運命をかけた百億円規模の西ヨーロッパのプロジェクトも、もはやすべて意味を失った。
……
翌朝目を覚ますと、美咲からは一通のメッセージも、一本の電話もなかった。
それでも僕は怒らなかった。
再検査で異常なしと言われ、退院してまっすぐ家に帰った。
五百平の豪邸――それは去年、美咲と全額で購入したものだ。
七年前に卒業した頃、僕たちは地下室でカップ麺を分け合っていた。
五年前に籍を入れた夜は、屋台で食事を済ませ、帰りに3号の小さなケーキを買って祝った。
今の僕にできるのは、広い豪邸の中で一人傷を舐めることだけだ。
きっといつか、この孤独にも慣れてしまうのだろう。
弁護士から送られてきた離婚協議書を確認していると、美咲が帰ってきた。
ドアが開くと同時に、濃厚な男性用香水の香りが流れ込んできた。
その香りに、一瞬、頭が真っ白になった。
美咲は敏感肌で、化粧品ですらかぶれる。彼女が最も嫌うのは香水だった。
だから、きつい香りは全部避けてきた。シャンプーを選ぶときでさえ神経を使っていた。
どうやら、僕に厳しく要求していただけのようだ。
ソファに寝転び、タブレットを手にしている僕を見て、美咲は一瞬だけ目を見開いた。
「昨夜、伸也が打ち上げで浮かれすぎて、酔って転んじゃってね。だから先に彼を家まで送ってあげたの。
そのあと、夜もすっかり更けてたし、道のりも遠かったから、近くにあるホテルに泊まったんだ。だから病院には迎えに行けなかったの」
僕はうなずきながら、タブレットで契約書をもう一つキャンセルし、何気なく返事した。
「うん、わかった」
美咲は口を開けたが、言葉が出てこなかった。
どうやら、僕の反応は彼女の予想を大きく裏切ったらしい。
彼女は少し躊躇い、それからそっと二歩ほど近づくと、うつむき加げに口にした。
「今日は土曜日だし、仕事のことはひとまず忘れよう。実はさ、伸也とパリへ旅行に行こうと思ってるんだ……あなたも、一緒に来てくれる?」
七年前の誕生日、美咲とありふれたプリクラ機で記念写真を撮った。
作り物のエッフェル塔を背景に、彼女は誓った――
「いつかお金ができたら、本物の前で同じ写真を撮ろうね」
その後、僕たちの家もだんだん立派になり、会社の経営も軌道に乗った。けれど、彼女はどんどん忙しくなり、何度もこう言っては僕を宥めた。
「健太、今は会社が飛躍する一番大事な時期よ。社長が気軽に休暇を取って海外なんて遊びに行くわけないでしょ?あなたなら分かってくれると思うね」
僕は彼女の言い分を理解した。だから、パリの話はもう口にせず、会社の仕事に没頭し、彼女のキャリアを支えることにした。
でも、伸也が行きたいと言えば、彼女には時間を作れるらしい。
次の取引先のメールを開きながら、僕は変わらぬ口調で答えた。
「三人じゃ、息が詰まるだろ。僕は遠慮するよ」
彼女は、なぜかほっとしたように小さく息を吐き、言葉を続けた。「わかった。じゃあちょっと荷物をまとめてくる。昼ごはんは自分で何とかしてね。夜はまた一緒に食べよう。
それと、今度の契約は会社が海外に進出する大事な一歩なの。来週の月曜に記者会見を開くつもり。マスコミも呼ぶから。前から『いつか、堂々と君の傍に立つ男になる』って言ってたよね?その約束を果たす、絶好のチャンスが来たわ。心の準備をしておいて……」
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