僕が去ると、元妻の会社は潰れた第3話
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言い終えると、彼女は少し間を置いて、真剣な眼差しで僕を見つめた。
「安心して、今回はちゃんとあなたを紹介するわ。伸也にはもう邪魔させないから」
僕は淡々と顔を上げ、彼女を一瞥した。
心の中ではわかっていた。これは昨夜の件に対する、彼女なりの償いだ。
ともかく、西ヨーロッパとの契約を解除するとなると、数日間の手続きは必要だ。
記者会見の日に公表するのに、タイミングがちょうどいいだろう。
夜、僕はいつものように早めにレストランへ行き、彼女を待った。
七年も一緒にいれば、それがすっかり習慣になっていた。
待っている間に、海外から電話が一本かかってきた。
その相手は、先日のプロジェクトの競争相手で、僕の先輩でもある鶴岡(つるおか)だ。
鶴岡先輩は穏やかな声で笑いながら言った。
「健太、前に話したDM社への誘い、考えてくれたかしら?林田グループは規模が小さすぎて、あなたにはもったいないわよ」
彼女が僕を引き抜こうとするのは、これで三度目だ。
最初は七年前。外資系企業からの好条件を蹴り、僕は美咲の設立したばかりの会社に飛び込んだ。給料はたったの五万円。
そのうち、二万円は二人で住む部屋の家賃に消えた。
鶴岡先輩は、歯がゆそうに叱りつけ、口を酸っぱくしても説得した。けれど、僕の決意は揺るがなかった。
二度目は、ほんの数日前の交渉の席だった。彼女は競合として僕に押され、窮地に追い込まれるほどだった。
それが終わると、彼女は安堵とも警戒ともつかない複雑な表情で、再び説得を始めた。
「健太、林田グループで月収が十万円だって聞いたわ。うちに来なさいよ。理解できない連中に才能を腐らせたらだめよ」
僕は笑って断った。才能を腐らせるなんて、ありえない。
あれは妻の会社であり、僕と彼女が七年かけて築き上げた世界なのだから。三回目、それが今だ。
一瞬置いて、ウェイターに赤ワインを一本注文してから、喜んで先輩の頼みを承諾した。
「アドレスを送って。来週の火曜日に入社するよ」
電話の向こうで、暫くの沈黙があった。すると、突然、高らかな笑い声が響いてきた。
鶴岡先輩は、僕が考えを変えるのを恐れたのか、「よし!」の一言で、さっさと電話を切った。
僕が苦笑しながらスマホを置こうとした、ちょうどその時、画面に美咲からのメッセージが浮かび上がった。
【急な変更でごめんね。伸也が待ち切れなくてさ、仕方がなく今から飛行機に乗ったわ。晩ご飯、自分で食べてね】
【帰ったらサプライズを用意するから、楽しみにしてて】
そして、タイムラインには、伸也が僕をタグ付けした投稿がもう一つ増えていた。
【美咲!夢を叶えてくれてありがとう!ご褒美に、明日ご馳走するからな〜えへへ】
添えられた写真には、エッフェル塔を背景に、伸也が美咲の手をギュッと握って並んでいる二人の姿があった。
それは、七年前の僕と彼女の記念写真と、まるで瓜二つの構図だ。
その写真をただ二秒ほど見つめた後、僕はきっぱりと画面を閉じ、先輩とのチャット画面を開いた。
【いい仕事紹介してくれてありがとう、一つプレゼントをあげよう。あの西ヨーロッパの百億円の案件、欲しくないか?】
スマホはしばらく沈黙したあと、激しく震え始めた。
【欲しい!もちろん欲しいわよ!】
【健太、本当に先輩思いね!そうだ、昨日、誕生日だったでしょ?私からの誕生日プレゼントも届いてるはず。忘れずに受け取ってね】
僕は一瞬、ぽかんとした。そして、喉の奥から零れだした笑いが、細かく弾け、やがて抑えきれない大きな笑いへと変わっていった。ああ、そうだった。昨日は僕の誕生日だったんだ。
美咲は、僕があのマンゴージュースを口にした時、ふと思い出しただろうか――その日が僕の誕生日だということを。
それに、伸也に絆創膏を貼りながら、一人で病院のベッドに横たわっていた僕のことを一瞬でも胸によみがえらせただろうか?七年も連れ添った夫に、たった一つの誕生日プレゼントを贈ることを──
いや、たぶん。何一つ、思い出さなかったのだろう。
でも、もうどうでもいい。
もうすぐ離婚するんだ。
元妻になる奴からの誕生日プレゼントなんて、誰が受け取るか。
食事を終えると、僕は休むことなく、西ヨーロッパのあのプロジェクトに全力で打ち込んだ。
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