傷痕を抱いて悔やみなさい第2話
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北斗は卒業制作展に向けて、昼夜を問わずアトリエにこもりきりで作業を続けていた。
私は新しく買った輸入物の絵の具を手に、彫刻科のアトリエの前までやって来た。
ドアノブに手をかけた瞬間、ふと動きを止めた。
廊下のガラス窓越しに、室内に二つの人影が見えた。
作りかけの粘土彫刻の前に立つ北斗と、そのすぐ隣にぴったりと寄り添う朋美の姿だった。
アトリエの中は冷房が強烈に効いているようだった。
朋美は黒いマウンテンパーカーを羽織っている。
それは北斗が一番気に入っている上着だった。普段なら他人が少し触れただけで露骨に嫌な顔をするくせに、それが今、朋美の肩に掛けられている。
北斗はうつむき加減で、この上なく優しい眼差しを向けていた。
彼が握る彫刻刀が、少しずつ胸像の輪郭を整えていく。
その彫像の目鼻立ちは、もともと私をモデルにして作られたものだった。
私が丸2日間もモデルを務め、彼が丹念に彫り上げたものだ。
すると朋美が顔を寄せ、彫像の目元を指差した。
「ここ、もう少し柔らかい感じにした方が素敵になると思うな。北斗はどう思う?」
北斗は笑みを浮かべて頷いた。
彫刻刀が彼女の言葉通りに動き、元のシャープな輪郭を削り落としていく。
まるで見知らぬ別物へと変わってしまった彫像を見つめながら、私は大学1年の頃を思い出した。
あれは土砂降りの雨の日だった。
私が焼き栗を食べたいとこぼした。北斗は二つ返事で雨の中へと飛び出していった。
戻ってきた時、彼の全身はずぶ濡れだった。ただその腕の中にだけは、あの紙袋入りの焼き栗を濡らすまいとしっかりと抱きかかえていた。
彼はまだ温かい焼き栗を私の手に押し付け、「お前は俺のたった一人のミューズだ」と言ってくれた。
それなのに、今はどうだろう。
彼はそのミューズの座を、いともあっさりと他の女に譲り渡してしまった。
私は胸の奥に込み上げるツンとした痛みをぐっと飲み込み、ドアを押し開けて足を踏み入れた。
ドアが開く音がアトリエに響いた。
振り返った北斗は、相手が私だとわかると即座に眉根を寄せた。
彼は無意識のうちに横へ一歩ずれ、朋美を庇うように背後に半ば隠した。
「何しに来たんだよ」
私は手元の絵の具を机の上に置いた。
視線は、朋美が羽織っているその上着に真っ直ぐ注がれていた。
「絵の具を届けに来たの。その上着、脱いで」
朋美はおろおろした様子で上着の裾をきゅっと握りしめ、瞬く間に目元を赤く染めた。
「ごめんなさい、紬希。この服があなたにとってそんなに大事なものだなんて知らなくて……すぐに脱ぐから」
彼女がファスナーを下ろそうとした瞬間、北斗がその手をガシッと押さえ込んだ。
彼は私を睨みつけ、ありありと苛立ちを顔に浮かべた。
「アトリエが冷えてるから、ちょっと貸してやったくらいで何なんだよ?こっちは何日も徹夜で卒業制作を進めてるんだ。いい加減、つまらないことで噛みつくのやめてくれないか?」
北斗の声は、静まり返ったアトリエの中でひどく耳障りに響いた。
私は目頭を熱くしながら、爪が食い込むほどぎゅっと両手を握りしめた。
「北斗。私たちの関係を公表しないなら、もう別れるわ」
この言葉は、ずっと前から胸の奥に抑え込んでいたものだった。
今日、ついにそれを口にした。
それを聞いた北斗は、ふんと冷笑した。
両手をポケットに突っ込み、見下すような視線を私に投げかける。
「お前、どうしても騒ぎを起こしたいらしいな。普段甘やかしてやってるのをいいことに、別れを盾にして俺を脅すなよ」
彼は、私が自分から離れられないと高を括っているのだ。
「好きにしろよ。後になって泣いて謝って、よりを戻してくれって縋りついてきても知らないからな」
朋美が横から彼の袖をそっと引き、おずおずと口を開いた。
「北斗、紬希を怒らせないで。全部私が悪いの……」
北斗は彼女の手の甲をポンポンと軽く叩いた。
「お前のせいじゃない。こいつは今まで何不自由なくやってきたせいで、わがままになってるだけだ」
私はそのまま北斗を数秒間じっと見つめ返し、静かに背を向けた。
一歩、また一歩と、アトリエを出ていく。
アパートに戻ると、私はデスクの前に腰を下ろした。
パソコンを立ち上げ、プリンターに接続する。
ジーッという機械音とともに、プリントされた数枚の申請用紙が吐き出された。
それはS市芸術大学の進学特別推薦申請書だ。
私はペンを取った。なんの躊躇いもなく、最終ページの署名欄にペンを走らせた。
高梨紬希、と。
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