九十九通の離婚届第2話
この話は約1414字。当サイトでは第1〜3話を試し読みできます。
これは、結婚式の日に宥一の父が私を評した言葉だった。
当時の宥一は若く血気盛んで、その言葉を聞くなりマイクを叩きつけた。
「俺が認めた妻だ。誰にも悪く言わせない」――そう言って。
やっぱり、親子は血がつながっているのだと思う。
息子は手にしていたおもちゃを私に投げつけた。
「悪い女!父さんに謝れよ!」
硬い角が頬をかすめ、無意識に傷に触れる。胸の奥がきしんだ。
これが、とつきとおか抱えて産んだ子ども。恩知らずな子だと思った。
七年かけて注いだ愛情も、恵の一年の甘い言葉に負けてしまった。
私が動じないのを見ると、息子はますます得意になって、嘲るように言う。
「これでも怒らないなんて、やっぱり何もできない汚いババアだ。
さっさと父さんと離婚しろよ。うちにはお手伝いなんていらないんだ」
そう言い捨てて、彼は跳ねるように自分の部屋へ戻っていった。
ドアを閉める直前、つま先立ちで札を掛けるのも忘れない。
【小山紗英立入禁止】
苦笑いと一緒にこぼれた涙を拭き、私は自分の部屋へ引き返した。
キッチン脇の物置。十平方メートルにも満たない小部屋に、粗末なシングルベッドが一つ。
家政婦でも嫌がるようなその場所が、この一年、私にとって唯一落ち着ける寝床だった。
十七本目のブレスレットをしまい、引き出しから離婚届を取り出す。
宥一が私に突きつけた、九十九枚目の離婚届だ。
結婚して七年、口論のたびに彼はこれを押しつけてきた。
私が愛に飢えているのをわかっているから、どうせ離れられないと高を括って。
離婚届は、私を何度も辱めるための道具だった。
でも今回は、本当に署名するつもりだった。
夫も、息子も、このくだらない家も――もう、全部いらない。
翌朝早く、ドアを叩く音で目が覚めた。
「起きろ!朝ごはん作れ!」
息子はおもちゃを持ったまま、物置のドアを乱暴に叩いていた。
以前の私は、宥一と息子の世話のため、毎朝五時に起きた。
二人のために手の込んだ朝食を用意していた。
今の私はベッドに寝転んだまま、いっそ何も聞こえなければいいのにと思う。
ドアを開けると、息子は裸足で床に立ち、怒り顔で言い放った。
「僕の朝ごはんはどこだ!」
私は視線をまっすぐ返し、冷蔵庫を指さす。
「自分で取りなさい。嫌なら、あなたの父さんか恵さんに作ってもらいなさい」
こんな口をきくのは初めてで、息子は一瞬きょとんとした。
すぐに何かを思い出したように顔をしかめ、叫ぶ。
「お前は僕のお手伝いだろ!言うこと聞かないなら、父さんに離婚してもらうぞ!
さっさと作れ!でなきゃ裸足で一日中歩き回ってやる。病気になったら、お前がまた一晩中付き添うんだからな!」
そのときになって、彼が裸足なのに気づいた。
息子は早産で生まれ、幼いころから病気がちだった。
だから裸足で床に立っているのを見るたび、私は風邪をひいてしまうのではないかと心配でたまらなかった。
後をついて回り、低姿勢で靴を履いてくれと頼み、履かせている最中に服を足で踏まれても、やめなかった。
体じゅうに足跡がつくまで。
それを思い出し、私は視線を外して彼の脇をすり抜け、洗面所へ向かった。
息子は顔を真っ赤にして追いすがり、不満をまくしたてて、私の注意を引こうとする。
けれど今回は、あやしてくれる人は誰もいない。
洗面を終えるころ、ちょうど宥一が袋を下げて帰ってきた。
泣き叫ぶ息子を見るなり、彼の表情がさっと変わる。
「紗英、お前は母親としてどうなんだ?子どもが泣いているのが見えないのか?」
縦書き表示中:本文は右から左へスクロールします(← → キーでも移動できます)