もう、季節は私を通り過ぎていくだけ第1話
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結婚の事実を隠して3年。菅原日和(すがわら ひより)は999回、公表を夢見てた。でも夫の菅原真司(すがわら しんじ)がしたのは、他の誰かへの999回のプロポーズ。
日和は、真司の秘書でいられた。彼の友達からかわれれば「愛人」と呼ばれることも受け入れた。
義理の妹としても振る舞えた。でも、真司の妻にだけはなれなかった。
はじめは真司もこう言っていたのに。「日和、もう少しだけ待ってくれ。あと数日したら、俺たちの関係をちゃんと公表するから」
でもその後、彼から数億円が振り込まれた。それは冷たい警告でしかなかった。
「何を話してよくて、何を話しちゃいけないか。お前なら分かるだろ。
お前の両親のお墓のことも、よーく考えるんだな」
さらに時がたち、日和がすっかりおとなしくなって、泣きも騒ぎもしなくなったころ。なぜか今度は、真司が泣いて彼女にひざまずいていた。
「行かないでくれ、お願いだから」
* * *
結婚の事実を隠して3年。999回も待ち望んだ公表の約束が、また破られた。
菅原日和(すがわら ひより)はスマホの画面をじっと見つめた。そこに表示された菅原真司(すがわら しんじ)からのメッセージ。【今夜は会議が長引くから、帰らない】
彼女は返信しなかった。
翌朝、菅原グループの社長秘書として、日和はいつも通りに出勤した。
ただ、真司のスケジュールを書き込んだメモを握りしめることも、エレベーターの前で数分前から待つこともしなかった。
お昼になっても、真司のデスクには、いつも置いてあった温かいコーヒーはなかった。
夜10時。会議で遅くなるとき、いつもビルの下で待っていたはずの女は、もう姿を見せなかった。
日和は、振り向いてくれない人を追いかけるのはもうやめよう、と心に決めた。
ところが真司は、パーティーで友人たちにからかわれていた。
「あれ、例のかわいい愛人は連れてこなかったのか?」友人がグラスを片手に笑って聞く。
真司はグラスを持つ手をぴたりと止め、数秒ほど間を置いてから、わざと強調するように言った。「都合が悪いんだ」
そのそっけない態度は、まるで日和と特別な関係であることが、なにかやましいことでもあるかのようだった。
誰かがそのときの動画を、日和に送ってきた。
日和は冷えきった邸宅でひとり、その動画を何回も再生した。
スマホの明かりに照らされた彼女の顔は、無表情だった。
7年前、日和の両親は交通事故で亡くなった。
事故を起こしたのは菅原家だった。彼らは慰謝料を払い、何度も「申し訳ない」と頭を下げ、当時17歳だった日和を「養女」として引き取ったのだ。
彼女を物置に住まわせながら、対外的には、「養女」だと言っていた。
菅原家での7年間で、日和は人の顔色をうかがい、何も望まず、息をひそめて生きることを覚えた。
そんな日々のなか、真司と出会った。
あの日、池のほとりで鯉にえさをあげていた日和は、菅原家の長男に突き飛ばされて池に落ちてしまった。
そこを通りかかったのが、地方の分家から菅原家に引き取られてきたばかりの真司だった。彼は日和を水の中から引き上げてくれた。
真司は日和の前にしゃがみこみ、タオルで濡れた髪を拭きながら、そっと尋ねた。「お名前は?」
「小林日和です」
「小林日和……」彼は名前を口ずさんで、にっこり笑った。「きれいな名前ですね」
日和が真司の笑顔を見たのは、それが初めてだった。
それから、彼はいつも日和のそばにいてくれるようになった。
日和が菅原家の他の子供たちにいじめられている日も、お腹をすかせて宿題をしているときも、物置でひとり泣いている夜も。
そんな二人の様子を察した菅原家の祖母・菅原睦月(すがわら むつき)は、日和への償いもかねて、彼らの結婚を取り決めた。
日和は、これを運命の巡り合わせだと思った。ついに、自分だけのあたたかい家庭が手に入るのだと信じた。
ところが、睦月が亡くなったとたん、真司の態度は手のひらを返したように冷たくなった。
あれほど宝物のように大切にしてくれた義理の妹は、今や彼にとって、ただの邪魔者になってしまった。
日和が999回もお願いした結婚の公表は、理由も告げられずにすべてキャンセルされた。
3年間の結婚生活。日和には、結婚式も、誰からの祝福も、指輪も、結婚写真の一枚すらなかった。
婚姻届も、真司が会議へ向かう途中で、むりやり時間を作って提出しただけ。
はじめて妊娠したときでさえ、一人きりだった。
心労がたたって、日和は流産してしまった。
真司が病院に顔を出したのは、日和が入院して数日経ってから。彼はただ、「子供ならまた作ればいいだろ。俺たちはまだ若いんだから」と、あっさり言っただけ。
その瞬間、日和の心のなかで、何かが音を立てて砕け散った。
それでも、彼女は自分に嘘をつき続けた。真司はただ、忙しいだけなんだって。
気持ちを表現するのが下手なだけ。この結婚を受け入れるのに、まだ時間が必要なだけなんだ、って。
あの夜の出来事が起きるまでは。
日和は、青木綾子(あおき あやこ)を誘ってバーで飲んでいた。
綾子は、日和にとって「一番の親友」
少なくとも、日和はそう信じていた。
二人は高校からの友達。日和がずっと片思いをしていた青春時代を、綾子はすべて見てきたはずだった。
ぐでんぐでんに酔っぱらった綾子は、日和に抱きつきながら、「あなたって本当に恋愛のことばっかりよね」とからかう。
片思いの相手が自分を好きじゃないって分かってるのに、何年もよくやるよ、と。
日和は苦笑いするだけで、何も答えなかった。
でもその日の綾子は、ひそひそ声でこう打ち明けてきた。「ねぇ日和、私はアプローチしてくる男の人を二人とも好きになっちゃったんだけど、どうしよう?」
日和は一瞬ぽかんとして、軽い気持ちで答えた。「えーっと、じゃあ両方を比べてみて、一番条件がいい人にすれば?」
すると綾子は、SNSに投稿したという比較表をスマホで見せてきた。タイトルは、【この二人、どっちがいいかな?アドバイス待ってる!】だ。
日和は思わず笑ってしまった。「ほんとに比較表まで作ったの?あなたをそんなに悩ませるなんて、どんな人たちか見せてよ」
日和はそう言って、画面をじっくりと見始めた。
だが、画面を見ているうちに、彼女の笑顔はこわばっていった。
片方の男性のプロフィールが、あまりにもよく知っているものだったから。
名前:菅原真司。
年齢:28歳。
身長:185センチ。
職業:菅原グループ社長。
結婚歴:未婚。
住所の欄には、日和が真司と暮らしている家の住所が、部屋番号まで寸分たがわず書かれていた。
日和の酔いは一気に醒めた。震える指で、書かれている文字を一字一句、何度も確認する。
自分の夫が、まさか親友の綾子にとっての予備の彼氏だったなんて。
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