もう、あなたを待つ港じゃない第3話
この話は約1564字。当サイトで読める3話の試し読みのうち、最後の話です。続きの第4話からは公式アプリで読めます。
直哉が帰港したのは、5日後だった。
私は港まで迎えに行かなかった。
以前なら、直哉が帰ってくる3日前から準備を始めていた。
シーツを新しいものに替え、冷蔵庫には彼の好きなものを詰め、車には酔い止めや胃薬を用意していた。
けれど今回は、家で台帳を整理していた。
玄関の鍵が開く音がしたとき、私はちょうどマルセイユ港のページをパソコンに取り込んでいるところだった。
直哉は制服姿のまま、キャリーケースを引いて入ってきた。
テーブルの上の台帳が目に入った瞬間、その顔が険しくなった。
「凪紗、お前、俺のこと調べてるのか?」
「調べられたら困る?」
直哉は帽子をソファに放り投げた。
「今、船を降りたばかりなんだぞ。帰って早々、喧嘩する気か?」
「喧嘩してないけど」
彼は近づいてくると、私の手元から台帳を取り上げた。
「これ、どこから持ってきた?」
「家族用の控え。もともと私が預かってるものよ」
直哉は不機嫌そうに私を睨んだ。
「これから船のものには勝手に触るな」
私は笑った。
「船の補給ルートを使って水原さんにダイヤを送ったときは、船のものに勝手に触るなって思わなかったの?」
直哉は言葉に詰まった。
しばらくして、言い方を変えた。
「あのジュエリーは、お前が思ってるようなものじゃない」
「じゃあ、どういうもの?」
「澪には昔、世話になったんだ。この数年いろいろ大変だったし、ただプレゼントをしただけだ」
「水原さんにはダイヤを贈って、私には何をくれたの?」
直哉の顔に苛立ちが浮かんだ。
「いちいち澪と比べる必要あるか?」
私は何も言わなかった。
直哉は荷物の中を探り、一つの袋をテーブルに置いた。
「お前にも買ってきた」
中に入っていたのは、マグネットだった。
港の土産物店で売っているもので、裏には値札までついたままだった。
2ユーロ。
私はそれを袋に戻した。
直哉の表情がさらに曇った。
「また気に入らないのか?」
「これで喜ぶと思った?」
直哉は眉間を揉んだ。
「凪紗、俺は海の上でずっと気を張ってるんだ。澪は海運のことも分かってるし、俺が仕事でどれだけ大変かも分かってる。お前は毎日、そんな細かいことばかり気にして、何になるんだ?」
彼にとっては、波をモチーフにしたダイヤのジュエリー一式も、どうでもいい些細なことなのだろう。
6年間の結婚生活も、きっと同じだった。
私はスマホを取り出し、汐見ベイレジデンスの入館記録を見せた。
「水原さんは仕事相手なんでしょ?仕事相手が、あなたの名前で一時入館登録されてる部屋に住むの?」
「誰に聞いた?」
「警備員」
直哉は私のスマホをひったくった。
写真を一通り確認し、すでに別に保存してあると気づいたところで手が止まった。
「お前、いったい何がしたいんだ?」
「離婚」
直哉は固まった。
次の瞬間、笑った。
「凪紗、離婚なんて言って俺を脅すなよ。俺と別れて、どうやって生活するつもりだ?
何年も家にいて、社会から離れてたんだぞ。自分で稼ぐ力もない。俺がいなくなったら、お前には何も残らない」
私は直哉を見た。
「あなた、一度も聞いたことないよね。私が何を持ってるかって」
直哉はスマホをテーブルに放った。
「ずっと家にいたから、世間を知らなさすぎるんだよ。考え方が甘い」
その夜、直哉は自分から客室へ移った。
午前1時を過ぎた頃、壁越しに彼の低い声が聞こえてきた。
ドアがきちんと閉まっておらず、声を潜めて話していた。
「心配するな。あいつに大したことはできない。数日騒げば、そのうち収まる。
あのジュエリーはそのままつけてていい。返さなくていい。最初からお前に買ったものだから。
母さんが何とかしてくれる。凪紗だって、本気で離婚なんかできるわけない」
私は廊下に立ったまま、何も言わなかった。
直哉にとって、私がどれだけ傷ついても、どれだけ悔しい思いをしても、数日もすれば忘れる程度のことだったのだ。
縦書き表示中:本文は右から左へスクロールします(← → キーでも移動できます)
第4話は公式アプリで
当サイトでの試し読みはここまでです。アプリをインストールし、下のアプリ用コードを入力すると、この作品の第4話からそのまま読み進められます。
T64295- 下のボタンから公式アプリをインストールします(無料)。
- アプリを開き、「コードを入力」にこのコードを入れると、この作品が本棚に入ります。
作品ページへ戻る 当サイトに掲載しているのは試し読みの章だけです。