めかし込んだのは、あなたとさよならするために第2話
この話は約1984字。当サイトでは第1〜3話を試し読みできます。
翌日、奏人から母校のカフェに呼び出された。
遥は三十分も早く到着し、窓際のいつもの席をとった。
テーブルの上の青いキキョウは少し萎れている。遥は初デートのことを思い出した。
あの時、彼女が不意打ちでキスをすると、彼は耳まで真っ赤にして平静を装おうとし、立ち上がった拍子に花瓶を倒してテーブルを水浸しにしたのだ。
ドアベルの軽快な音が、遥の思考を断ち切った。
顔を上げると、奏人が入ってくるところだった。その後ろには結奈が続いている。
遥は掌に爪を食い込ませた。
別れ話にまでその女を連れてくるとは、奏人は本当に情け容赦がない。
結奈は気を利かせて隣のテーブルに座るが、二人の会話は丸聞こえの距離だ。
「これが協議書だ。目を通してくれ」
奏人は鞄から書類を取り出し、差し出した。
「事務所の君の持ち株は現金化して買い取る。それから、俺名義の不動産の半分を慰謝料として譲渡するし、陸の養育費も一括で支払う。
署名したら、もう俺と結奈には関わらないでくれ」
遥は中身も見ずに最後のページを開き、さらさらと署名した。
そのあまりにあっさりした態度に、奏人は少し意外そうに眉を寄せる。「遥、変な策略はするなよ」
「署名したのに、どんな策略ができるって言うの?」
遥は鼻で笑い、隣の結奈を一瞥してから問いかけた。「あの女のどこがそんなにいいわけ?」
奏人は眉をひそめた。「大事なことか?」
遥は頑なに彼を見つめる。「私にとっては大事よ」
自分がどこで負けたのか、どうしても知りたい。
「半年前、母校で講演をした時、結奈が学生代表として花束をくれたんだ」
普段は無口な奏人だが、愛する人のこととなると饒舌になる。「若くて、綺麗で、純粋だ。とても気に入った。彼女をひと目見た瞬間、絶対に妻にしたいと思ったんだ」
遥の胸が鈍く痛んだ。
十年の青春も、子供を産み育てた日々も、他人の一目惚れには敵わない。
彼女は立ち上がった。「私の家にまだあなたの荷物があるわ。なるべく早く取りに来て。ついでに陸とも話して」
午後六時、学校から帰ってきた陸を、奏人と遥がリビングで待ち受けていた。
奏人は単刀直入に切り出した。「陸、パパとママは別れることにした。でも、お前を愛していることに変わりはない」
それを聞いた陸は、悲しむどころか目を輝かせた。
「パパ、結奈さんと結婚するの?僕も一緒に住める?」
遥の手からティーカップが滑り落ち、粉々に砕けた。彼女は腹を痛めて産んだ息子を信じられない思いで見つめ、声を震わせた。
「陸、ママの何がいけないの?」
「うるさいんだよ!」
陸は声を張り上げた。「あれこれ指図ばっかりして、本当にうざい!
結奈さんは唐揚げを作ってくれるし、コーラも買ってくれるし、ゲームだって教えてくれる。最新のゲーム機も買ってくれるって約束したんだ!」
陸は興奮してまくし立てる。「結奈さんが言ってたぞ、ママが僕にいちいちうるさいのは、仕事がなくて暇人だからだって!」
奏人は冷ややかに傍観していたが、やがて無表情に告げた。「陸が俺と来たいと言うなら、そうさせる。結奈は子供好きだし、陸の面倒もよく見てくれるはずだ。安心しろ」
その夜のうちに、奏人は陸を連れて家を出て行った。
遥は窓辺に立ち、息子がさよならの一言もないまま、振り返りもせずに車に乗り込むのを見送った。
深夜、ガランとした家の中で、遥のスマホに奏人のSNS更新通知が届いた。
写真には、奏人と結奈に挟まれた陸が、三人で豪華なケーキにナイフを入れる様子が写っている。
【新しい生活、新しい始まり】という一文が添えられていた。
背景には、奏人の両親や親族の姿が見える。
全員が満面の笑みを浮かべ、ごくありふれた幸せな家族の集まりのようだ。
まるで……彼女など最初から存在しなかったかのように。
遥は子供部屋に入り、息子がよく遊んでいた恐竜のぬいぐるみを抱きしめて声を上げて泣いた。
三日後、遥のもとにパーティーの招待状が届いた。
すぐに父から電話が入る。「桐山家の御曹司もそのパーティーに参加するそうだ。会ってきなさい。結婚前に親睦を深めるんだ」
彼女は空っぽの部屋を見渡し、承諾した。
当日の夜、黒いロングドレスを纏い、完璧にメイクを施した鏡の中の自分は、まるで中身のない抜け殻のようだ。
煌びやかな会員制クラブに一人で足を踏み入れると、四方八方から冷ややかな視線が突き刺さるのを感じた。
明らかに、奏人が若い女子大生のために彼女を無残に捨てたという噂が広まっているのだ。
その時、ホールの入り口がにわかに騒がしくなった。
振り返ると、結奈を連れた奏人が入ってくるところだった。その後ろには、子供用のスーツを着て得意げな顔をした陸が続いている。
陸は彼女を見つけると、嫌悪感を露わにした。「ママ、なんでここにいるの?」
何か言おうとした瞬間、奏人に手首を掴まれ、低い声で警告された。「言ったはずだ、俺たちの生活を邪魔するなと」
縦書き表示中:本文は右から左へスクロールします(← → キーでも移動できます)