めかし込んだのは、あなたとさよならするために第3話
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遥は怒りを通り越して笑い出しそうになった。「まだ私があなたに未練があると思ってるの?」
彼女の手首を握る奏人の手に、さらに力がこもった。「違うのか?カップルだらけのこの場に一人で来るなんて、結奈に恥をかかせるつもりだろう」
「婚約者に会いに来たのよ」と言いかけたが、視界の端に、結奈に手を引かれてデザートを食べる陸の姿が映った。
口元にクリームをつけた子供の笑顔には、奏人と瓜二つのえくぼが浮かんでいる。それを見た瞬間、言葉が喉に詰まった。
こんな場所で、母親が再婚することを知られたくない。
「私には私の用事があるの。あなたには関係ないわ」
彼女は奏人の手を振りほどいた。シャンパングラスを握る指先が白くなるほど力がこもる。
人のいない隅のソファへ逃れる背中に、ダンスフロアから奏人が結奈に向ける優しい笑い声が聞こえてきた。
かつては自分に向けられていたその優しさが、今は鼓膜を刺す痛みとなる。
「あれが神崎先生の新しい彼女?確かに瀬戸さんより若いな」
「瀬戸は十年も追いかけ回して、子供までダシに使ったのに、結局神崎家には入れなかったんだろ?」
……
周囲のひそひそ話が止むことはなく、彼女の肌をちくちくと刺した。
遥はシャンパンを煽り続けた。やがて父から「桐山の若様は体調不良で欠席だ」という連絡が入った。
テーブルに手をついて立ち上がり、帰ろうとしたその時、腰に汗ばんだ手が絡みついた。
顔を上げると、松村浩司(まつむら こうじ)がニヤニヤと笑っていた。八年前のあの夜の酒の臭いが、不意に蘇る。
当時、奏人は事業を始めたばかりで、松村グループの顧問弁護士の座は、どの事務所も喉から手が出るほど欲しい案件だった。
奏人を助けるため、妊娠五ヶ月だった彼女は、彼に隠れて松村グループの会長・松村浩司に会いに行った。
浩司の屋敷のソファに押し倒され、酒臭い息が迫ってきた時も、彼女の頭にあったのは「神崎のために契約を取る」ことだけだった。
「彼女を放せ!」
爪が掌に食い込む中、奏人の怒号が聞こえた。
浩司は手を離し、ゆっくりと袖のボタンを外した。
「おやおや……神崎先生じゃないか。新しい女を抱いてるくせに、俺が使い古した女の心配をする余裕があるのか?」
その言葉が奏人の逆鱗に触れた。
あの年、血まみれで屋敷から運び出された遥。救急救命室の前で見た、奏人の白いシャツに飛び散った血痕が、妖艶な花のように見えたことを覚えている。
今、彼は目を見開き、浩司の顔面に拳を叩き込んだ。
浩司はよろめいて壁に激突し、鼻血が顎を伝って滴り落ちた。
「奏人!」
傍らにいた結奈が悲鳴を上げた。
しかし奏人は既に理性を失っていた。浩司のネクタイを掴み、膝を腹に叩き込む。二発目の拳が振り下ろされた時、その拳は既に血に染まっていた。
浩司も負けじとフックを放ち、奏人の頬をかすめたが、すぐに地面に組み伏せられた。拳が雨のように胸や腹に降り注いだ。
「もう別れたんだろ?なんでこんなアマを庇うんだ?」
浩司は血の混じった唾を吐き、息も絶え絶えに笑った。「こいつが腹を大きくして俺のベッドに這い上がってきた時……」
言葉は鈍い音と共に遮られた。
奏人の肘が顔面に直撃し、血まみれの歯が二本床に転がった。浩司はようやく静かになった。
宴会場は墓場のように静まり返り、全員の視線が遥の背中に突き刺さった。それは無数の針のようだった。
警備員に引きずられていく間も、浩司は喚き散らしていた。
奏人が口元の血を拭うと、結奈が目を赤くして飛びつき、彼の顔の傷に触れながら取り乱した様子で何かを言った。
遥はシルクのハンカチを差し出した。「拭いて」
しかし、ハンカチは奏人の手で地面に払い落とされた。
奏人は純白の絹を靴で踏みにじり、氷のように冷たい言葉を吐き捨てた。
「汚くて使えないな」
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