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この先は、あなたと歩かない第2話

この話は約1355字。当サイトでは第1〜3話を試し読みできます。

署名した同意書を看護師に渡すと、看護師は入口に目をやってから、私を見た。「ご家族の付き添いはないんですか?」

付き添いはいません、と答えた。

廊下の奥で、直人の足が一瞬止まった。聞こえたのかどうかはわからない。すぐに莉奈が彼を呼び、直人は振り返りもせずエレベーターに乗り込んだ。

扉が閉まると、私の目にかろうじて残っていた光も消えた。

子どもを失ったのは、その3日後だった。意地を張ったわけでも、誰かに仕返しをしたかったわけでもない。

医師からは、すでに2度説明を受けていた。胎児の検査で複数の異常が見つかり、このまま妊娠を続ければ私の身体にも危険が及ぶおそれがある。その先も、無事に育つと約束はできない、と。

それでも私は決められずにいた。どんな子が生まれても、2人で一緒に受け止めよう。直人がそう言ってくれたから。その言葉を信じていた。

仕事を辞めても、この先の人生が病院と子どもを中心に回っていくことになっても、家族が一緒なら、何とかやっていける。そう思っていた。

健診の日、ようやくわかった。本当に支えが必要なとき、直人はいない。1回の超音波検査にさえ最後まで付き添えない人に、いつ終わるかもわからない治療やリハビリを共に担えるはずがなかった。

処置の前、看護師がもう1度尋ねた。「佐藤さん、お気持ちに変わりはありませんか?」

天井の白い照明を見つめていた。目尻からこぼれた涙が髪にしみた。

「ありません」

麻酔が血管に入ってくると、妊娠7週目のことを思い出した。初めて子どもの心拍を確認した直人は、病院の階段でしゃがみ込み、10分も泣いていた。いつもは感情をほとんど表に出さない人だったのに。

私の手を握り、「紗月、家族をつくってくれてありがとう」と言った。

あのときは想像もできなかった。あの男は今、別の女と子どもの名前を相談しているなんて。私が1人で処置台に横たわっている間も、失敗した実験のデータを前に、その女に付き添っているなんて。

目を覚ましたとき、病室は静かだった。枕元には、すっかり冷めたほうじ茶が置かれていた。隣のベッドの人の付き添いが、私を気の毒に思い、買い物のついでに買ってくれたものだ。

携帯には17件のメッセージが届いていた。15件は研究チームのグループからで、直人からは2件。

最初の1件は、正午に送られていた。

【検査は終わった?】

その5時間後に、もう1件。

【夜は家で食べない。莉奈が胃の調子を崩したから、病院に連れていく】

少し平らになった下腹に触れ、ひと言だけ返した。

【わかった】

それきり、直人から何も聞かれることはなかった。結婚して5年。彼に「わかった」と答えるのは、私のいちばん得意なことだった。

起業したいと言われれば、両親が残してくれた家を売り、7600万円を全額会社につぎ込んだ。わかった、と。

生物実験を任せられる責任者が足りないから、海外の研究所の任期のない研究職を捨てて帰国してほしい。そう頼まれても、わかったと答えた。

他人を家に入れたくないから、家事は全部やってほしい。子どもが欲しいから、しばらく研究室を離れてほしい。そのたびに私は、わかったと言った。

愛し合うとは、お互いが望むことをかなえ合うことだと信じていた。ようやく気づいた。譲るのは、いつも私。直人はただ、受け取っていただけだった。

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