あの日、君を忘れなければ第2話
この話は約2575字。当サイトでは第1〜3話を試し読みできます。
ポケットの中のスマホから突然、通知音がした。
【浅見様、お申し込みの墓地使用契約が無事に承認されました】
ちょうどその時、蓮が両手に破片を持って部屋から出てきた。
「墓地ってなに?」
結衣はそれ以上、自身の状況について口にすることはなかった。
「死」という言葉を出せば、蓮からほんの少しの同情を引き出せるのではないかと期待していた。
しかし今の冷たい態度を見る限り、もし自分が本当に死ぬと知れば、彼は間違いなく祝杯をあげるほど喜ぶに違いない。
結衣は、そんな残酷な光景を絶対に見たくない。
結局、彼女は「何でもないわ」とだけ返した。
そして話題を変えるように、「どこへ行くの?」と尋ねた。
蓮はわざとらしいことを聞くなとばかりに冷ややかな視線を向けた。「清香からの大切な贈り物を台無しにしておいて、これ以上俺がここにいられると思うのか」
結衣は唇を強く噛みしめた。「どこへ行こうか知らないけれど、今すぐ部屋に戻って。さもなければ、浅見家と桐生グループの取引はすべて白紙に戻してやる」
蓮の胸が一瞬激しく鼓動した。そしてその瞳の奥が、みるみるうちに氷のように冷たくなった。
「お前がここまで卑劣な女だとは思わなかった」
結衣は淡々と頷いた。「だから、大人しく言うことを聞いた方が身のためよ」
結局、蓮は顔をこわばらせたまま部屋に入った。
固く閉ざされた寝室のドアを見つめながら、結衣は自嘲めいた笑みを浮かべた。
無理に引き留めたところで、蓮の心はもう自分に向くことはないと、結衣は痛いほどわかっている。
それでも、もう愛されていなくてもいいから、せめて人生の最後くらいは蓮にそばにいてほしい。
翌朝、結衣はまた血を吐いた。
彼女は無表情に口元を拭い、アシスタントからの電話に出た。「社長、今夜八時から新港ふ頭で晩餐会がございます。ご出席をお願いいたします」
結衣は眉をひそめた。残されたわずかな時間はすべて蓮と一緒に過ごしたいが、この晩餐会はずっと前に出席を承諾しており、今さら断ることはできない。
仕方なく、結衣は蓮と一緒に晩餐会へと向かうことにした。
しかし、華やかな晩餐会の会場で、結衣は決してそこにいるはずのない人物の姿を捉えた。
白河紗良(しらかわ さら)が笑顔で歩み寄ってくる。「浅見社長」
そして蓮の方へ視線を移すと、ひときわ親しげな声色になった。「蓮さん」
その瞬間、結衣の目つきが鋭く冷えた。相手の顔には、清香を思わせる面影が確かにある。
「あなた、どうやってここに入ったの?」
紗良はにこにこと笑いながら答えた。「蓮さんが招待状をくれたんだ」
結衣は思わず拳を強く握りしめた。紗良の顔立ちは、死んだ清香に八割方似ている。
そもそも蓮が清香の記憶を取り戻したのも、紗良に出会ったことがきっかけだったのだ。
その上、紗良は一見すると穏やかで無害そうに見えるくせに、陰では何度も手を回し、この二年で蓮が結衣をますます疎ましく思うよう仕向けてきた張本人でもある。
結衣は紗良に対して、反吐が出るほどの嫌悪感を抱いている。
これ以上口を利きたくない結衣は、蓮に向かって言った。「行きましょう。社長たちが待ってるから」
しかし紗良が言葉を遮るように口を開いた。「蓮さん、お渡ししたいものがあるの。ちょっと、いい?」
結衣は咄嗟に蓮の手を強く握りしめ、声を潜めて警告する。「行かないで」
蓮は一瞬ためらい、断ろうと口を開きかけたが、紗良がさらに一言付け加えた。「清香さんの遺品なの」
その言葉を聞いた途端、蓮は一切の躊躇なく結衣の手を振り払い、紗良の後を追って歩き出した。
紗良は振り返り、結衣に向けて挑発的な笑みを浮かべた。
結衣の瞳に怒りが宿った。しかし、大勢の視線が集まる場で騒ぎを起こすわけにはいかず、ただ二人が離れていくのを見送るしかなかった。
晩餐会の舞台となったのは、海に浮かぶ巨大なクルーズ船だ。
しばらくすると、外の甲板の方から突然悲鳴が上がった。
誰かが慌てて駆け込んできた。「浅見さん、桐生さんが海に落ちました!」
結衣の瞳が大きく揺れた。蓮は深海恐怖症なのだ。
彼女は何も考えずに甲板へ飛び出し、そのまま海へと身を投じた。
「蓮!」
しかし、外は風が強く波も荒れ狂っており、結衣は蓮の姿をまったく見つけることができない。
「蓮!」結衣の叫び声が掠れている。
その時、誰かが大声で叫んだ。「あそこだ!」
結衣はハッと顔を上げ、指差された方向へと必死に泳ぎ、ついに蓮を見つけ出した。
だが不運なことに、嵐はさらに勢いを増し、すべてを飲み込もうとするかのような巨大な波が次々と押し寄せてきた。
結衣はすでに意識を失っている蓮をしっかりと抱き抱えながら、荒れ狂う浪の中で浮き沈みを繰り返した。
彼女の体力は次第に奪われていく。
幸いにも、荒れ狂う波を乗り越えて一隻の救助ボートが近づいてきた。隊員たちは総出で海に身を乗り出し、蓮を船上へと引き上げた。
そして、隊員の一人が結衣へ向かって手を伸ばした。「手を出せ!」
けれど、蓮を持ち上げた時点で、結衣の力はもう尽きていた。隊員たちの目の前で、彼女はそのまま暗い深海へと沈んでいった。
自分は確実に死んだものと思っていた結衣は、除細動器の衝撃で強引に意識を叩き起こされた瞬間、ここがどこなのか理解できずひどく混乱している。
すぐに、切羽詰まった医師の声が耳に飛び込んできた。「浅見さんはすぐに手術が必要です。桐生さん、出てください……」
その時初めて、結衣は自分の手が蓮にきつく握りしめられていることに気がついた。
「すまない」
蓮は目を真っ赤にして結衣を見つめていた。
「俺のせいで、お前がこんな目に遭うなんて……思ってもなかった」
結衣の胸に、ふわりと温かいものが広がった。彼の言葉に思いがけない喜びが込み上げ、彼女は全身の痛みを堪えながら「大丈夫よ、心配しないで」と逆に彼を慰めようとした。
しかし蓮は唇を引き結び、言葉を継いだ。
「紗良も海に落ちて、ひどい怪我をしているんだ。結衣、お前のところには市内でいちばん腕のいい医者が集まってるんだろ。頼む、そいつらを紗良のほうへ回してくれないか?」
結衣が無理をして浮かべたかすかな笑みは、そのまま顔に張り付いて凍りついた。
涙で濡れた蓮の顔をじっと見つめながら、結衣はついに悟った。
——天国から地獄へ突き落とされるのは、こんなにもあっけないほど一瞬だったのか。
縦書き表示中:本文は右から左へスクロールします(← → キーでも移動できます)