10年越しの恋を捨てて、私は遠い町へ行く第1話
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周防智哉(すおう ともや)を遠くから想うだけだった私・水瀬栞(みなせ しおり)は、10年かけてやっと彼の婚約者になった。
この10年間、私はずっと彼の背中を追い続けてきたと思う。本来なら掴めたはずの将来を捨て、気づけば智哉の影のように生きていた。
「智哉のことが好きすぎて、自分をなくしている」周りにはずっとそう言われてきたし、実際その通りだった。
高校時代、私が推薦で進めるはずだった大学を蹴り、それまで縁もなかった建築の道へ飛び込んだことを、建築設計事務所で知らない人はいない。なぜなら、少しでも智哉の近くにいたかったから。
けれど、彼はいつだって私に冷たかった。
たった一度を除いて……
1年前、智哉に同行して山間部の現地調査へ出向いたとき、私たちは土砂崩れに巻き込まれた。
大きな岩が彼めがけて落ちてくるのが見えた瞬間、私は無我夢中で智哉を突き飛ばしたのだ。
意識を失う直前、最後に見えたのはひどく取り乱した彼の顔。
意識が戻ったのは3日後だった。両脚を骨折し、背中は崩れてきた岩でひどい傷を負った。手術は3回も行われ、体内には十数本のボルトが入り、一歩間違えば一生後遺症が残っていたという。
退院の日、病室の前で待っていた智哉は、何の飾りもないシンプルな指輪を握っていた。そして、プロポーズとは思えないほど淡々とした口調で私に差し出す。
「栞。君は俺の命を救ってくれた。だから、俺は君と結婚する。結婚したら夫としての責任は果たすし、これからは俺が君を支えるから」
それでも当時の私は、嬉しくてたまらなかった。結婚さえすれば、いつか彼も私を愛してくれる、本気でそう信じていたから……
だから、あのときの智哉の目に愛情がなかったことにも気づかなかった。
それどころか、10年待ち続けて、ようやく想いが報われたのだと浮かれていた。
しかし、秋葉天音(あきば あまね)が現れ、全てが変わってしまったのだった。
* * *
結婚式まで、あと10日。
私は建築設計事務所の管理部門が入るフロアで、印刷したばかりの申請書を手に坂本部長を訪ねた。
私が来たことが意外だったのか、坂本部長は少し驚いた顔をする。
私は申請書を坂本部長の前に置いた。「部長。地方創生のインフラ再建プロジェクト、まだ人員に空きはありますか?私も参加したくて」
差し出した申請書を見て、坂本部長が目を見開く。
「君、もうすぐ周防チーフと結婚式を挙げるんじゃないのか?」
「もう決めたんです。私もメンバーに入れてください」私がどうにか笑ってみせると、坂本部長はしばらく黙って私を見ていたが、やがて事情を察したように小さくため息をつき、申請書に承認のサインを書いてくれた。
「参加者は来週正式に発表される。出発は8月初旬だ……まだ時間はあるから、もう一度よく考えろ。気が変わったら、いつでも言いに来い」
「ありがとうございます」
承認済みの申請書を手に建物を出て、階段を下りたところで車のエンジン音が聞こえた。
見慣れた智哉の黒い社用車が、ゆっくりと正面玄関に横づけされる。
助手席から先に降りてきたのは天音だった。淡いベージュのワンピースに身を包み、陽の光を受けた長い髪が柔らかく揺れている。
天音は車の反対側へ回ると、降りてきた智哉の腕にごく自然な仕草で自分の腕を絡めた。
智哉もそれを自然と受け入れる。
その光景を見た瞬間、私は昔のことを思い出した。一度、40度近い熱を出した時、智哉に頼み込んで病院まで連れていってもらったのだが、途中で眩暈がして倒れそうになった私は、咄嗟に彼の腕につかまろうとした。けれど、触れた途端に振り払われてしまったのだった。
目を覚ましたのは病院だった。
あとから聞いた話では、私が倒れると智哉は通りかかった同僚に任せ、そのまま帰ったらしい。
10年も一途に追い続けて、ようやく想いが実ってよかったね、と誰もが言う。
でも、この10年で手に入れたものは彼の愛情ではなく、彼の冷たさだけということは私しか知らない。
智哉はもともと、誰に対しても無愛想で冷たい人だったわけじゃない。
ただ、その優しさが私に向けられることがなかっただけ。
天音なら彼のデスクの前でポテトチップスを食べようと、彼のマグカップを勝手に使っても怒られない。それどころか、智哉が何より大切にしている設計スケッチを散らかしたって、何も言われないのだ。そして智哉は、淡々とその後始末を私にさせるだけだった。
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