離婚理由は誰も私の好物を覚えていなかったから第1話
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息子・藤堂直也(とうどう なおや)の5歳の誕生日、夫・藤堂翔吾(とうどう しょうご)の秘書である橘珠希(たちばな たまき)も家にやって来た。
私・藤堂清佳(とうどう きよか)が料理をテーブルへ運んでいった時、珠希は直也を抱き上げて一緒に写真を撮っていた。
「ご飯できたよ」と声をかけようとしたそのとき、直也が突然珠希の腕から飛び降り、私を指す。
「珠希姉ちゃんはネギ嫌いなのに、ママ、なんでそんなにたっぷりネギ乗せてるの?」
その声を聞いて、翔吾も後ろからやって来た。私が持っている皿を見るなり、眉をひそめる。
「別のを作ってくれないか?珠希はネギが苦手なんだ」
私は返す言葉もなく、その場に立ち尽くした。
今日の食事を用意するために、4時間もキッチンに立っていた。
翔吾の好きな角煮を煮込み、直也の好物のエビフライも作って、珠希の好物である魚の煮付けまで用意した。
全部で10品。その中で、私が自分のために用意したのはネギをたっぷり乗せた冷奴一皿だけ。
それなのに直也は、私がネギを好きなことすら覚えていなくて、翔吾もただ作り直せと言うだけ。
「ママ、肉じゃがも作ってよ。珠希姉ちゃん、好きだからさ」
私が黙っていると、翔吾が私の背中を押し、キッチンへ戻るよう促した。
「早く作ってくれよ。今日は直也の誕生日なんだから、雰囲気を悪くするな」
ダイニングテーブルでは、直也が左手で珠希と手をつなぎ、右手では翔吾の手を握っていた。
楽しそうに笑う3人は、まるで本当の家族のように見える。
私はしばらくその光景を眺めたあと、黙ってエプロンを外した。
この家に私の居場所がないのなら、もう身を引こう。
* * *
家を出て2時間経っても、誰からも連絡は来なかったし、どこへ行ったのかと尋ねるメッセージさえない。
スマホを開くと、ちょうど珠希が投稿したインスタが目に入った。
誕生日ケーキを切る直也と、頬杖をついて笑顔で見守る珠希が写っている写真。
背後の窓ガラスには、二人にカメラを向けている翔吾の姿まで映り込んでいる。
真っ先に「いいね」をつけ、コメントを残していたのは義母・藤堂和子(とうどう かずこ)だった。
【珠希ちゃん、また時間があるとき遊びに来てね。あなたに会いたいわ】
珠希はすぐに返信していた。【はい!私もお会いしたいです】
スマホをポケットにしまい、私は深く息を吐き出した。
直也の誕生日なのに、母親である私がその場にいないことに、誰も気づいていない。
いや、気づいていないのではなく、気にしていないのだろう。
10品もの料理を作った私がネギが好きなことさえ、誰も気に留めなかったのだから。
ちょうど帰宅ラッシュと重なり、交差点は大勢の人で混み合っていた。
青信号の残り時間をぼんやり眺めながら、私はいつからこんなふうになったのだろうと考えた。
翔吾が珠希の正社員登用を祝うために、私の誕生日を忘れたときから?
それとも、直也が幼稚園で【大好きな人は珠希姉ちゃん】と書いたときから?
信号が青に変わり、私は人の流れに乗って横断歩道を渡った。
その途中、少し緩くなっていた指輪がするりと抜け落ち、乾いた音を立てて路肩へ転がってしまった。
それは、私と翔吾の結婚指輪。
6年前、翔吾は今ほど裕福ではなかったため、この指輪を買うために半年分の貯金を使い、こう言いながら私にはめてくれた。
「清佳。俺にとっては、いつだって清佳が一番だから」
あの頃の私は、その言葉を信じていた。
幼い頃から両親に顧みられずに育った私は、ようやく一生自分を大切にしてくれる人に出会えたのだと思っていたけれど、今、私が自分で選んだ夫も、私がこの手で育てた息子も、私を通り過ぎて別の人のもとへ向かっている。
その時、翔吾から電話がかかってきた。
「今、家にいないのか?直也が遊園地に行きたいって騒いでるんだけど」
電話の向こうからは、直也の楽しそうな声も聞こえてくる。
「珠希姉ちゃんと一緒に行く!ママはすぐダメって言うから嫌!」
直也は生まれつき体が弱かった。
だから私は遊園地へは連れていかず、冷たい飲み物も飲ませなかった。
それどころか、直也の世話をするために、昇進が決まっていた仕事まで辞めた。
けれど直也にとって、私の愛情はただ楽しいことを邪魔するものだったらしい。
翔吾も私に聞こえたことに気づいたのか、一瞬黙ってから言った。
「君は人混みが苦手だったよな?俺が直也と珠希を連れて行ってくるよ」
そこで電話は切れた。
ちょうど信号が赤に変わり、後ろにいた人に押される。
「渡らないなら、そこに突っ立ってないでよね」
日差しの中、落とした指輪が路上で光っていた。
でも、私は拾わずに、振り返ることもなくその場を離れ、電話をかけた。
「もしもし。離婚協議書を作っていただきたいのですが」
そして、もう一つだけ伝える。「ええ。子供の親権はいりません。夫に渡します」
家に戻ったときには、もう夜の9時を回っていた。
翔吾も直也もまだ帰っておらず、テーブルに並べた料理はすっかり冷めきっていた。
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