隠し妻三年、夫が連れ帰ったのは想い人だった第2話
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振り返りもしない。
背中で拒絶を示し、今日こそはこの家を出ていくという不退転の決意を突きつける。
しかし、二人の屈強なボディガードが立ちはだかり、行く手を阻んだ。
私は彼らを冷ややかに見据え、それからもう一度、瑛太の方を振り返った。
リビングの中央に立ち尽くす彼の顔には、激しい怒りと屈辱がない交ぜになっていた。
従順だった妻が、不貞を働いて泥を塗っただけでなく、公然と反抗してきたのだ。彼にとって、それは万死に値する大罪なのだろう。
「乗り換え先を見つけたからって、好き勝手できると思うなよ」彼は冷ややかに笑う。
「由衣、考えが甘いぞ。俺から離れれば、お前なんて何者でもないただのゴミだ」
私は動じることなくスマホを取り出し、ある番号をタップした。
コール音はすぐに止まる。
「もしもし、私。今は桐生の家にいるの……出られなくなってしまったわ」
受話器の向こうから、低く深みのある男の声が響く。
「待って」
たった一言。通話はそれで切れた。
瑛太の顔色が、瞬時に険悪なものへと変わる。
彼は私のスマホを食い入るように睨みつけた。
「久我蓮司(くが れんじ)か?」
久我蓮司。この神南市で唯一、桐生家と対等に渡り合える名門・久我家の跡取りであり、瑛太にとっては幼い頃からの宿敵でもある男だ。
私は何も答えず、ただ静かにその場に佇む。
時として、沈黙は肯定よりも深く相手を傷つける。
瑛太の眼光は、怒りの炎で私を焼き尽くさんばかりだ。
そこへ、静江が火に油を注ぐように喚き立てる。
「なんてこと!よりによって久我の小僧とデキてたなんてね!
あんたみたいな尻軽女を嫁にするなんて、桐生家の末代までの恥だわ!」
私はその雑言を聞き流した。
十分も経たないうちに、屋敷の外から急ブレーキの音が聞こえてくる。
続いて、玄関のドアが凄まじい勢いで押し開かれた。
蓮司が数人の部下を引き連れ、疾風のごとく室内に踏み込んできた。
彼は一目でボディガードに阻まれている私を見つけると、次に瑛太へ、そしてその手首の時計へと視線を走らせた。その瞳の奥に、一瞬だけ刺すような痛みと悔しさが過る。
蓮司の視線が私の上で一秒だけ止まり、彼は迷うことなく私の元へと歩み寄ってきた。着ていたジャケットを脱ぐと、私の肩にふわりとかける。まるで私という存在すべてを、彼のテリトリーに囲い込んで守るかのように。
「由衣。迎えに来ると言っただろう」彼は私の耳元でそう囁く。
そして顔を上げ、瑛太を見据えた瞬間、その瞳の温度は氷点下まで下がった。
「桐生社長。俺の女に、指一本でも触れてみろ」
蓮司が私を庇う姿を目の当たりにして、瑛太の両目は充血し、血が滴りそうなほど赤く染まっている。
「お前の、女だと……?」歯噛みしながら絞り出された言葉。
蓮司は鼻で笑うと、私の肩を抱き寄せ、見せつけるように親密な距離を作った。
「そうだけど、桐生社長は誰の女だと思っていたんだ?」
その言葉は、瑛太のプライドを最も残酷な形で抉った。
彼のこめかみに青筋が浮かび上がり、ピクピクと脈打っている。
「由衣、こっちへ来い」彼は低い声で命令した。
私は蓮司の体により一層寄り添う。
その仕草が、瑛太の理性を完全に決壊させた。
彼は怒号と共に突進し、私を蓮司の腕から強引に引き剥がそうとする。
しかし、蓮司が連れてきた部下たちが即座に壁となり、彼を阻んだ。
場が騒然となる。
「いい加減にして!」私が叫ぶと、その場の全員の動きが止まった。
私は瑛太を真っ直ぐに見つめ、一言一句、噛み含めるように告げる。
「瑛太、離婚届はもう渡したわ。今日から私とあなたは他人よ。もう何の関係もない」
言い切ると、私はもう彼を見ようともせず、蓮司に向き直った。
「行きましょう」
蓮司は無言で頷き、私をエスコートして出口へと向かう。
真香の横を通り過ぎようとしたその時、彼女が突然私の腕を掴んだ。
「由衣さん、行かないで!赤ちゃんのことがまだはっきりしていないじゃない!」切迫した声色だが、その瞳の奥には勝利の光が宿っている。
彼女を見て、私は不意に可笑しさが込み上げてきた。
「そうね、はっきりしていなかったわ」私は足を止め、衆人環視の中で真香の目を覗き込む。
「今日は検査結果を届けてくれてありがとう。おかげで瑛太に、彼がいかに滑稽なピエロか教えてあげることができたわ」
真香の顔から血の気が引いた。瑛太もまた、石のように固まっている。
彼らに反撃の隙など与えない。私は蓮司と共に、三年間私を窒息させていたこの牢獄を、一度も振り返ることなく後にした。
……
車内。蓮司がお水を渡してくれた。「大丈夫か?」
私は首を振り、それから頷いた。
なんの前触れもなく、涙がこぼれ落ちる。
蓮司はそれ以上何も言わず、黙ってティッシュを差し出してくれた。
車は都心にある高級マンションの車寄せに滑り込む。
「当面はここに住めばいい。誰も邪魔はしない」と、蓮司は言う。
私は彼を見つめた。
「蓮司、ありがとう。でも、どうして私を助けてくれるの?」
蓮司はハンドルを握ったまま前を見据え、淡々と言った。
「桐生社長がお気に召さなかったからといって、他の男も放っておくとは限らないだろう」
「……この借りは、必ず返すわ」
「気にしないで」
彼はエンジンを切り、こちらを向く。
「今の君にとって一番重要なのは、体を大事にすることだ」
彼の視線が、意味ありげに私の腹部を掠めた。
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