遠き海原に揺れる灯火第1話
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瀬戸美夕(せと みゆ)はまる一年間「失明」していたが、どんな目の見える人よりも物事を見抜いていた。
たとえば、婚約者の須藤準一(すどう じゅんいち)が、つい先ほど別の女性と婚姻届を提出したことについても――
……
美夕はベッドの端に腰を下ろすと、その美しい瞳はうつろに前方を見つめていた。まるで本当に何も見えていないかのように。
ところが、準一のスマホの画面が新しいメッセージで光った瞬間、彼女の視線はぴたりとその内容を捉えた。
【準一!嬉しくて一秒だって待てない。ずっと一緒にいたい】
送信者は河野玲子(かわの れいこ)だ。
心底では冷ややかな笑いがこみ上げる。彼女は手探りで準一のスマホを取り上げ、さりげなく指先で画面をタップした。音もなくロックが解除されると、そのまま彼と友人のトーク画面を開いた。
ほんの一瞥しただけで、頭の中がゴーンと爆発するような衝撃に襲われ、全身の震えが止まらなくなった。
【体が回復したばかりなのに、こっそり玲子さんと婚姻届を出したなんて、美夕さんに申し訳ないと思わないのか!】
* * *
瀬戸美夕(せと みゆ)はまる一年間「失明」していたが、どんな目の見える人よりも物事を見抜いていた。
たとえば、婚約者の須藤準一(すどう じゅんいち)が、つい先ほど別の女性と婚姻届を提出したことについても――
……
浴室の中から、絶え間なく水の音が響いている。
美夕は静かにベッドの端に腰を下ろすと、その美しい瞳はうつろに前方を見つめていた。まるで本当に何も見えていないかのように。
ところが、準一のスマホの画面が新しいメッセージで光った瞬間、彼女の視線はぴたりとその内容を捉えた。
【準一!嬉しくて一秒だって待てない。ずっと一緒にいたい】
送信者は河野玲子(かわの れいこ)だ。
心底では冷ややかな笑いがこみ上げる。それでも彼女は、従順で無垢な表情を崩さなかった。
彼女は手探りで準一のスマホを取り上げ、さりげなく指先で画面をタップした。音もなくロックが解除されると、そのまま彼と友人のトーク画面を開いた。
ほんの一瞥しただけで、頭の中がゴーンと爆発するような衝撃に襲われ、全身の震えが止まらなくなった。
【あの時、もし玲子にそそのかされて暴走運転なんかしなければ、お前が脊椎を損傷して丸四年も寝たきりになることはなかったはずだ!】
【お前が事故を起こした直後、あの女はすぐに海外へ逃げたんだ。ずっとそばで看病してきたのは美夕だぞ。お前を救おうとして彼女は視力まで失ったんだ!】
【ようやく身体が回復したばかりなのに、こっそり玲子と入籍するなんて、美夕に顔向けできるのか!】
相手の怒りに満ちた言葉が今にも画面から飛び出しそうだった。だが、準一の返信は冷ややかで、あまりにも当然のようだった。
【もう、これでいいんだろう?玲子は俺の子を身ごもってるんだ。彼女に立場を与えねばならない……だが、これからも俺はずっと美夕のそばにいるよ】
【一週間後には、これ以上ないほどの盛大な結婚式を挙げてやる。それでも、この四年間の償いにはなりやしないというのか?】
【そもそも、あいつは目が見えないんだ。俺以外の誰が受け入れるというんだ?】
美夕の目はその数行の文字を釘付けにし、やがて視界が霞んで、それ以降の会話は一切頭に入らなくなった。指先から力が抜け、携帯電話がばたりと柔らかい布団に落ちた。彼女の体はぐったりとその場に崩れた。
――まさか、自分の婚約者がすでに別の女性と籍を入れ、しかも子どもまでいたなんて。
じゃあ、私はいったい何だったの?
この四年間、昼夜を問わず寄り添い続けた日々は一体なんだったのか?
一週間後に控えた結婚式に、今さら何の意味がある?
浴室から響いていた水音が、ぴたりと止まった。
美夕は、胸を抉るような衝撃からまだ立ち直れずにいた。そこへ、腰にゆるくバスタオルを巻いただけの準一が現れ、濡れた上半身にはまだ水滴が残り、そのまま一歩、また一歩と彼女に近づいてくる。
彼の温もりを宿した手のひらが、そっと彼女の頬に触れた。懐かしいその感触なのに、今は全身がこわばってしまった。
準一が口を開こうとしたその瞬間、特別な着信音が突然響き渡った。
彼は画面を見下ろすと、表情をほころばせて柔らかく微笑んだ。そして美夕の隣に腰を下ろし、指先をせわしなく動かして返信を打ち始める。すぐ傍で彼女に起きている異変など、全く目に入っていない。
画面には、玲子からのメッセージが浮かび上がり、美夕の目に焼きついた。
【準一!お腹の中の赤ちゃんが、パパに会いたがっているみたい。いつになったら私たちに会いに来てくれるの?】
美夕は両手を無意識に握りしめていた。爪が掌に深く食い込み、鋭い痛みがこれが夢ではなく現実であると、容赦なく突きつけてくる。
準一は返信を終えると、口元にまだ微かな笑みを残したまま、焦ったような口調で言った。
「美夕、ちょっと急用ができた。夜には戻るから、何かごちそう買ってくるね」
彼は言い終わらないうちに服をつかみ、慌ただしく身にまとうと、振り返りもせずに部屋を出ていった。
美夕は、がらんとした寝室に一人取り残された。閉ざされたままの扉を眺めながら、彼女はふっと、嗤うように低く笑った。その笑い声には、自嘲と悲しみがにじんでいた。
彼女の失明が最初から全部演技だということ、準一はまったく知らない。
彼女が準一に密かに思いを寄せるようになったのは、大学一年生のときからだ。
四年前、彼が事故に遭ったと聞きつけるや、彼女はすべてを投げ打って彼の元へ駆けつけ、その後、昼も夜も側を離れず看病に明け暮れた。
彼女は毎日決まった時間に準一の身体を拭き、薬を飲ませ、マッサージを施し、少しずつ彼の氷のように閉ざされた心を溶かしていった。
時が流れるにつれ、二人の心は少しずつ近づいていった。
その後、準一の容体は落ち着きを見せ始めたが、過酷なリハビリが彼を幾度も絶望の淵へ追いやった。
彼は自信を失い、絶望し、何度も心が折れ、命を絶とうとしたことさえあった。
その痛ましい姿を見るたびに、美夕は彼の苦しみをすべて自分が代わって背負いたいと願った。
一年前、準一が階段から転落したとき、助けようと身を挺した美夕の額は、階段の角に激しく打ちつけられた。
その瞬間、彼女の胸をひとつの思いがかすかに掠めた――
もし私も障害者になれば、準一は少しばかり慰められるだろうか。
そう思った美夕は、視力を失って、もう何も見えないと嘘をついた。
案の定、準一は彼女の手を握りしめ、目に涙を浮かべ、声を詰まらせながら言った。
「美夕、これからは俺がお前の目になる。一生、お前を見守っていく……」
その日を境に、彼は再びリハビリへの闘志を燃やし、半年後には奇跡のように健康を取り戻し、普通に歩けるようになった。
その瞬間、美夕はこれまでのすべての努力が報われたのだと感じた。
だが、今になってようやく悟った。四年間のひたむきな想いと、数えきれない夜の見守りは、準一が回復した途端、かつて彼を見捨てた玲子の存在に、あっけなく敗れてしまったのだ。
胸の奥が鋭く痛んだ。息が詰まるほどに。頭の中には一つの思いが渦巻いている――ここを離れよう、準一から離れよう。
美夕は深く息を吸い込み、震える指先で自分のスマホを取り、通話ボタンを押した。
「先生、この前お話があったミラノの仕事、挑戦してみたいです」
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