和紙文過ぎ行く風は心を知らず · 第1話設定≡

過ぎ行く風は心を知らず第1話

この話は約2407字。当サイトでは第1〜3話を試し読みできます。

激しい情事のあと、峰尋之(みね ひろゆき)は指先にシガーを挟み、満足げな笑みを浮かべた。

「もう終わりだ。これからは秘書の役目だけに専念しろ」

燃え落ちた灰が、星乃映夏(ほしの えいか)の脱ぎ捨てた服の上に落ちた。

彼女は一瞬きょとんとした。

ベッドの下では万能秘書、ベッドの上では気まぐれな愛人。……そんな関係を、二人は八年間続けてきた。

突然「終わり」と告げられるなど、映夏には夢にも思わなかった。

短い沈黙ののち、彼女はかすかに答える。

「……はい」

力の抜けた体を引きずり、服を整えながら、ゆっくりと社長室の休憩室を出ていった。

その夜、映夏は重要なプロジェクトのための酒席で、ワインもビールも次々と飲まされ、ついには「化粧直し」と嘘をついて洗面所で必死に吐き出した。

しばらくして気分が少し落ち着くと、化粧を直して個室へ戻ろうとした。

その途中、耳に聞き覚えのある声が届いた。

* * *

激しい情事のあと、峰尋之(みね ひろゆき)は指先にシガーを挟み、満足げな笑みを浮かべた。

「もう終わりだ。これからは秘書の役目だけに専念しろ」

燃え落ちた灰が、星乃映夏(ほしの えいか)の脱ぎ捨てた服の上に落ちた。

彼女は一瞬きょとんとした。

ベッドの下では万能秘書、ベッドの上では気まぐれな愛人。……そんな関係を、二人は八年間続けてきた。

突然「終わり」と告げられるなど、映夏には夢にも思わなかった。

短い沈黙ののち、彼女はかすかに答える。

「……はい」

力の抜けた体を引きずり、服を整えながら、ゆっくりと社長室の休憩室を出ていった。

その夜、映夏は重要なプロジェクトのための酒席で、ワインもビールも次々と飲まされ、ついには「化粧直し」と嘘をついて洗面所で必死に吐き出した。

しばらくして気分が少し落ち着くと、化粧を直して個室へ戻ろうとした。

その途中、耳に聞き覚えのある声が届いた。

「尋之さん、あの秘書と本当に縁を切ったの?」

ドアが半開きの個室の中で、尋之は花の位置を丁寧に整えていた。

そして吐き出した言葉は、容赦なく冷酷だった。

「もちろん本当さ、お前も言っただろう。彼女はただの秘書だ。仕事をすれば金を払う……それだけだ」

その軽蔑に満ちた口調は、映夏の頬を打ちつける平手のようだった。

もう聞きたくないのに、足は根を張ったように動けない。

「でも、八年も一緒に寝てきたんだよ。俺たちはてっきり情が移ったのかと思ってたけど……やっぱり幼馴染みの魅力はすごいね。萌々香が戻った途端、秘書は切り捨てなんて」

尋之は立ち上がり、その目に一瞬柔らかい光を宿した。

「ああ、萌々香が帰ってくる。今日は彼女の誕生日だ。最高の思い出を残してやらなきゃな」

彼は蘇我萌々香(そが ももか)のために用意した誕生会を見つめ、目を細める。

「……だがお前の言う通りだ。映夏など取るに足らん。もし空気を読まず、俺と萌々香の仲を邪魔するようなら……どれほど仕事ができても、消えてもらうしかない」

その声音に潜む冷酷さに、映夏の全身は氷の中に落とされたように震え、指先まで冷え切った。

彼が敵に容赦しないことは知っていた。だが、彼女が彼の「敵」になる日が来るとは思わなかった。

やがて尋之が電話を取り、その表情が一転して優しさに満ちると、彼は外へ出ていった。

映夏は慌てて身を隠し、空いた個室に駆け込む。

遠ざかる足音を聞きながら、心臓は激しく打ち、力が抜けてその場に座り込んだ。

膝を抱え、気がつけば涙が頬を伝っていた。

記憶が次々と蘇る。

あの日……いじめられ、水をかけられ、トイレに閉じ込められた時。

偶然通りかかった尋之が助けてくれ、彼女の肩に上着を掛けてくれたこと。

その後、名門大学を卒業した映夏は、数え切れないほどの内定を蹴り、迷わず高峰グループに入り、彼の秘書となった。

そしてそこで初めて知った……尋之と萌々香の物語を。

二人は幼い頃から許婚のような存在で、両家も当然のように結婚を望んでいた。

大学を卒業した年、尋之は彼女に告白し、プロポーズするつもりだった。

だが彼女は突然姿を消し、ある先輩と共に留学し、音信不通となった。

その日から、尋之は崩れ落ちた。

見ていられなかった映夏は、酒の匂いに満ちた部屋から彼を引き出し、細やかに世話をし、仕事も生活も支えた。

会社を立て直すため共に奔走し、門前払いを食らい、嘲笑に耐え、接待を重ね、ついには二人揃って胃を壊した。

ある晩、彼が媚薬を盛られた時、解毒剤となったのも彼女だった。

その後、彼の方から「関係を続けよう」と告げられ、今日まで続いてきた。

……だが今、彼が「終わり」と言い放ったのは、ただ萌々香のためだった。

八年もの間、苦楽を共にしてきたのに、彼の心に映夏の居場所はなかった。

胸の奥で渦巻く感情を必死に押さえ込み、彼女は再び席に戻って酒をあおり続けた。

そこで無理に酒を飲まされ、腹いっぱいになるほど注がれて、ようやく取引先は尋之の欠席に対する怒りを収めた。

宴が終わり、洗面所で吐き続けて腰すら伸ばせない時、尋之は同じホテルで萌々香の誕生会を開き、豪華を極めていた。

涙と胃の痛みで顔を歪めながら、鏡に映る自分を見て、心底おかしく思えた。

……あの女が「蘇我萌々香」だから、尋之はすべての裏切りを許せる。

けど、映夏はどれほど尽くしても、彼の心を得ることはできない。

涙を拭い、壁にすがりながら洗面所を出ると、ちょうど尋之が萌々香を守るように連れ出す姿が目に入った。

その背中を見送ってから、やっと重い足を動かす。

ポケットの中で携帯が震え、画面を見た映夏の目が驚きに見開かれた。

「星乃さん、以前話した件、どう思う?あいつのもとにいては、君の才能は埋もれるだけだ。俺のところへ来れば、もっと大きな舞台で輝けるよ」

電話の相手は、尋之が生涯の敵と見なす男だった。

以前は断った。だが、再びかかってきたその誘いに……

今回は違う答えを返した。

「……もう決まりました。そちらの会社に転職します」

縦書き表示中:本文は右から左へスクロールします(← → キーでも移動できます)