運命は、もう渡さない第2話
この話は約1657字。当サイトでは第1〜3話を試し読みできます。
「依子……い、今なんて言ったの?」
柔の声が、途端にうろたえを帯びた。
「わ、私たち、親友でしょ?そんな……」
「友達なら、いいものは分け合うべきじゃない?」
私は軽く彼女の言葉を遮った。
「あなた、ずっと言ってたじゃない。上昇志向があって、親孝行で、自分を大切にしてくれる男性が理想だって。
周藤さんは、その条件に完璧に当てはまるわ」
「だ、だけど、彼はあなたのお見合い相手でしょ!」
「もう断ったの」
行き交う人波を眺めながら、世界がぱっと明るく開けるのを感じた。
「だから今、彼は自由の身。渡辺さんの電話番号、持ってるわよね?
急ぎなさい。ポテンシャルの高い人、逃したらもう二度と出てこないわよ」
そう言い残して、彼女の返事を待たずに電話を切った。
受話器の向こうの柔の顔が、驚きと喜びの間で揺れている様子がありありと想像できた。
前の人生でも、柔は何度も私の前で賢仁を褒めちぎり、「早く決めちゃいなよ」と私を急かしていた。
本当の狙いは、私に先に茨の道を切り開かせ、賢仁を成功に導かせたあとで、自分がその果実を手に入れるつもりだったのだ。
――この人生では、柔にくれてやる。
私がいなければ、家の後ろ盾も、貯金も、賢仁の道を整える人脈も犠牲もない。柔が愛する人とやらとどうやって理想の生活を築くのか、見ものだ。
家に戻ると、母がソファに腰を下ろして待っていた。私の顔を見るなり、身を乗り出してきた。
「どうだったの?あの周藤先生、いい人だったでしょ?」
書斎からは父が顔をのぞかせた。
両親はどちらも普通の工場勤めで、考え方は保守的だった。女の子は、安定した家庭を持つのが一番だと信じていたのだ。
前の人生で、彼らは文化人の婿に大満足だった。
私は二人のそばに腰を下ろし、静かに言った。
「お父さん、お母さん、私、彼は気に入らなかったの」
「えっ?」母が目を丸くした。
「どうして?渡辺さんが言うには……」
「彼のお母さんは体調が悪くて、ずっと薬を飲んでるらしいの。
それに、彼の弟が大学生で、学費も生活費も全部彼一人の収入でまかなってるんだって」
私は、親孝行で責任感のある若者という化けの皮をはがし、その裏にある現実をそのまま伝えた。
案の定、母の表情が曇った。
「そ、それは……ちょっと荷が重いわね……」
「ええ」
私はうなずいた。
「それに、私、まだ結婚したくないの……
お父さん、お母さん、もう一度絵筆を取りたい。美術大学の大学院を受けようと思うの」
それは、二十年間胸の奥にしまっていた夢だった。
前の人生では、賢仁のために大学院の推薦を捨てた。
あのとき彼は誓って言ったのだ。
――「依子、僕が落ち着いたら、必ず君の勉強を支えるから」
けれど彼が教授になったあと、私に言い放ったのはこうだった。
――「もう四十近いんだぞ。まだそんなことをしてどうする?家にいればいいじゃないか」
私は唇を噛んだ。
父はしばらく黙っていたが、やがてうなずいた。
「いい、受けたいなら受けろ。家のことは気にするな」
母よりもずっと柔軟な人だった。
胸の奥が熱くなり、私は強くうなずいた。
翌日、本屋で院試の参考書を探していると、突然、賢仁が目の前に現れて、私の行く手をふさいだ。
「林さん、唐突なのは分かってる。でも、もう一度だけチャンスをくれないか」
私は本を閉じ、彼を見据えた。
「周藤先生、もうはっきりお伝えしたはずです」
「分かってる」
彼は苦笑し、どこか縋るような声で続けた。
「昨日、母が君に断られたと知って、一晩中眠れなかったんだ。今朝、とうとう倒れてしまって……」
心の中で、私は冷ややかに笑った。
前の人生でも、私はこの話に心を動かされ、見舞いに行った先で「良心」という名の縄にぐるぐる縛られ、結局、流されるように結婚を受け入れてしまったのだ。
私は賢仁の目をまっすぐに見て、言葉を一つひとつ噛みしめながら告げた。
「周藤先生、お母様がご病気なら、病院にお連れすべきです。お医者さんに診てもらってください。
私のような一度会っただけの他人にできることはありません。
私は医者じゃありませんから、病気は治せません」
縦書き表示中:本文は右から左へスクロールします(← → キーでも移動できます)