逃げた私を、兄たちは追いかけて第3話
この話は約1999字。当サイトで読める3話の試し読みのうち、最後の話です。続きの第4話からは公式アプリで読めます。
彼の言葉に含まれる軽蔑と、目に宿る嘲りは、まるで目に見えない平手打ちのように、かつての彼自身の面影を打ち砕いていった。
深水との初めての出会いは、陸橋の十八歳の誕生パーティーの時だった。
その日、陸橋は私を実家に連れて行き、家族に紹介してくれた。
「これからは杏も陸橋家の一員だ。俺が生きている限り、一生守り続ける」
ゲームに夢中だった深水は、その言葉を聞いて顔を上げ、私を品定めするような目で見つめた。
しばらくして、彼は口元を緩ませ笑った。「謹治がそう言うなら、杏ちゃんは僕の人でもあるってことだ。僕も守ってあげるよ」
その瞬間、好奇の目、軽蔑の目、羨望の目、様々な視線が一斉に私に注がれた。
私は戸惑いで落ち着かなくなった。
深水はスマホを置くと、大きな手を私の手の甲に重ねた。
「杏ちゃん、お兄さんと街でも回って、仲良くなろう」
私の意見も聞かずに車に押し込み、街中を一周した。陸橋から電話で催促がなければ、海まで連れて行くつもりだったらしい。
車から降りる時、彼は私の頬をつまみながら、少年らしい純粋な表情を浮かべた。
「杏ちゃん、謹治とばかり遊んでないで、僕のことも見てよ。僕だってお兄さんなんだから」
それから私は陸橋と一緒に暮らすようになり、深水も常連のように家に来るようになった。
彼はよく私を遊びに連れ出し、国内だけでなく、海外まで連れて行ってくれた。
大学卒業の日、深水と陸橋は私の卒業式に来てくれた。
まるで月を取り巻く星々のように、私は羨望の的となっていた。
その夜、深水は海辺で一晩中花火を打ち上げ、私に告白した。
一瞬、心が揺らいだ。何か言おうとした時、大きな手が私の口を塞いだ。
陸橋の気配が私を包み込み、目の前には笑顔を消した深水の顔があった。
「杏はまだ若すぎる。今は恋愛を考える時期じゃない。深水、彼女を惑わすな」
陸橋は低い声でそう言った。
深水は目を伏せ、傷ついた表情を見せた。私は心を痛めたが、陸橋は私を押さえ続けた。
あの夜の後、深水との関係が冷えてしまうと思った。
でも翌日も、彼はいつもと変わらず現れ、私を遊びに連れ出した。陸橋も止めようとはしなかった。
何も変わらなかったように見えた。
霧島晴が戻ってくるまでは。深水に会う機会は減り、陸橋も家に帰らなくなった。
あの家は、私一人の住処となった。
私は唇を舐め、乾いて割れた唇を潤した。
「怒ってなんかいません」
たった一言の短い言葉なのに、喉が引き裂かれるような痛みと共に、かすれた声が漏れた。
深水はため息をつき、表情が少し和らいだ。
「怒ってないならいい。良い子だな、杏ちゃん。退院したら、また遊びに連れて行ってやるよ」
私は薄く笑みを浮かべ、平静を装った。
実は、深水が私に告白してから、私の前では「お兄さん」を名乗らなくなった。私にも「お兄さん」と呼ばせなくなった。
彼は私に名前で呼んでほしがった。「望さん」と。
私がそう呼ぶ度に、特別な感覚が込み上げてくるのだと言っていた。まるで暖かい流れが体を包み込むような感覚だと。
でも霧島晴が戻ってきた日、カラオケの個室で私が彼の名前を呼んだ時、彼は表情を曇らせ、こう言った。「杏、『お兄さん』って呼ぶべきだろ」
だから、彼は私の前でまた「お兄さん」を名乗り始め、私にもそう呼ばせるようになった。
胸が締め付けられる。あの思い出は鮮やかで美しすぎて、今でも振り返ると、つい憧れを感じてしまう。
でも、いつも誰かが私を現実に引き戻し、自分の立場を思い知らせる。
陸橋は腕時計を確認すると、少し優しい口調で言った。
「もう誤解も解けたことだし、杏、ゆっくり休んで。何も考えずに、眠ればいい」
本当に、眠れば良くなるの?
眠れば、全てが無かったことになるの?
私は頷いたけれど、彼のその安易な解決法に同意できなかった。
陸橋が去り、深水も少しして会社に呼び出されて出て行った。
病室に残ったのは、私と霧島晴だけ。
少し意外だった。本来なら、私なんて見たくもないはずなのに。
霧島晴が戻って来た初日から、彼女は私に対する嫌悪を隠そうともしなかった。
今でも覚えている、あの時の表情を。
高慢で、軽蔑に満ちた目。まるで虫けらを見るような眼差し。
今も、変わらない。
私が目を逸らすと、霧島晴の声が影のように付きまとってきた。
「城井杏、命が強いのね。あれだけのことをされても死ねなかったなんて。
でも、生きていてくれて良かったわ。私を取って代わろうなんて考えが、どれだけ愚かなことか、あなたに目の当たりにさせてあげるから」
取って代わる?そんなこと、考えたこともない。
「誤解です。私、あなたの代わりになろうなんて思ったことは......」
霧島晴は嘲るように笑った。「そう?じゃあ、なぜ二人の傍から離れないの?恩返しだなんて言わないでよね」
「城井杏、まさか今でも、謹治があなたを買い取ったのは同情からだと思ってるの?
気付いてないの?あなた、私にそっくりだってこと」
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