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誰も聞かなかった「痛い」、私だけの自由第1話

この話は約2723字。当サイトでは第1〜3話を試し読みできます。

婚約者の高間孝太郎(たかま こうたろう)が、私の養妹、米光瑞歩(よねみつ みずほ)と新居に用意したベッドで体を重ねる姿を目撃したあの日――

うつ病の症状がひどくなった私、米光留佳(よねみつ るか)は睡眠薬を30錠、一度に飲んだ。

一命を取り留めた私に、両親は静かに切り出した。瑞歩が不治の病に侵され、余命3か月と宣告されたのだと。

「許すかどうかは、お前が決めろ」

孝太郎も目を潤ませて私の前に跪いた。

「君が許してくれても、くれなくても、1か月後には必ず結婚式を挙げる」

後悔に満ちたその表情に、私はついほだされてしまった。

けれど、それも医師である兄、米光蒼介(よねみつ そうすけ)のスマホで、あるやり取りを目にするまでの話だ。

音声メッセージの中で、瑞歩が甘ったるい声を上げて笑っていた。

「やっぱりお兄ちゃんはすごいよ。偽の診断書1枚で、あのイカれた女を思い通りに操れるんだから」

震える手でスマホを握りしめ、私は家族が集まるリビングへ向かった。

兄は無言で煙草に火をつけ、押し黙っていた。

両親はうんざりした顔で私をなじった。

「お前の心が弱すぎるのが悪いんだろう。お前がまた自殺を図るんじゃないかと心配したから、こんな手の込んだ嘘をつく羽目になったんだ」

孝太郎に至っては、恨めしそうに私を睨み、瑞歩を背後に庇いながら、こう言い放ったのだ。

「少しくらい大目に見てやれないのか。家族を滅茶苦茶にする気か」

誰よりも愛した男と、血のつながった家族が、悪びれもせずに放つ言葉を聞きながら、口の中に広がる血の味を感じ、私は静かに笑った。

彼らは瑞歩を守るため、手の込んだ嘘まで吐いて「不治の病」をでっち上げた。

けれど彼らは知らない。私の重度の鬱病が、本物であるということを。

うつ病の身体症状によって、複数の臓器が機能不全に陥っていることも、紛れもない事実だということを。

もう、この家はいらない。

どうせ私は、この冬を越せないのだから。

* * *

兄が灰皿で煙草を揉み消し、低い声で問う。

「……もう気が済んだか?」

私は黙って兄を見つめた。

幼い頃、注射が怖くて泣きじゃくるたび、兄は私を抱きしめて慰めてくれた。「留佳、怖くないぞ。お兄ちゃんがいるからな」って、いつも言ってくれた。

それなのに、私が本当に病に倒れてからは、一度たりとも「苦しくないか」と気遣ってはくれなかった。

私は小さく頷いた。

「わかった。もう暴れたりしない」

そのひと言に、彼らはかえって戸惑ったように顔を見合わせた。

母が警戒するような目で私を見る。

「留佳、どういうつもり?」

「別に。もう騒がないって言っただけよ」

孝太郎が目を潤ませる。

「留佳、二度と早まった真似はしないでくれ」

その顔を見ていると、ふいに酷い疲労感が押し寄せた。

「うん、しない」

誰も信じてくれないだろうけれど。

身分証を取りに部屋へ戻り、引き出しを開けたところで、孝太郎が後を追ってきた。

彼は私の手首を強くつかんだ。

「何をする気だ」

私は振りほどこうとした。

「離して」

ドアの外から母の声がした。

「孝太郎、しっかり見ていて。また何かやらかすに決まってるんだから」

その言葉に、私はその場で凍りついた。

次の瞬間、兄が物置からひと巻きのロープを取り出した。真っ白で、不気味なほど太いロープ。

「お兄ちゃん、私を縛るつもり?」

兄は私の視線を避けた。

「今のお前は精神的に不安定すぎる。少し落ち着け。一晩頭を冷やせ」

瑞歩のために、兄は私を縛り上げて閉じ込めようとしている。

「こんなことして、許されると思ってるの!?」

身を翻して逃げようとした私を、孝太郎が力ずくで椅子へ押さえつける。

どうしても抜け出せなかった。

私の体はとうに限界を迎えていた。あの時、薬を大量に飲んで救急搬送されて以来、少しの間立っているだけで手足が震えるのだ。

兄は俯いたまま、無駄のない手つきで私の両手を縛り上げていく。

ロープが手首に食い込んだ瞬間、痛みに思わず息を呑んだ。

兄は一瞬だけ動きを止め、「動くな。怪我をするのはお前だぞ」と冷たく言い放った。

その横顔を見つめながら、なんて偽善的なのだろうと思った。

部屋の中は隅々までひっくり返されていた。

母は目を腫らしながら言う。

「留佳、お母さんを恨まないで。みんな、あなたに何かあったらと思うと怖いのよ」

私は尋ねた。

「私に何かあるのが怖いの?それとも、大事な瑞歩を、私が傷つけるのが怖いだけ?」

母の顔から血の気が引いた。

ドアの外で、父が低く重たい声を出す。

「いい加減にしろ」

ドアが閉まり、鍵がかかる音に続いて、ドアチェーンを掛ける音がした。

その後、私はベッドに移され、横たわっているうちに、縛られた手首が少しずつ痺れていった。

ドアの外からは瑞歩の泣き声が聞こえ、家族みんなが口々に彼女を慰めている声も聞こえた。

夜が更けた頃、ドアの鍵が開く音がした。

瑞歩が部屋に入ってくる。部屋の明かりはつけず、枕元のスタンドライトだけを点けた。

暖かな橙色の光に照らされた顔に、もう涙の跡はない。

ベッドの傍らに立ち、縛られた私の手を一瞥すると、彼女はゆっくりと口角を歪めて笑った。

「お姉ちゃん、そんな姿になって、惨めだね」

私は冷ややかな視線を返した。

瑞歩は腰を下ろし、声をひそめて言った。

「本当はね、この家の誰も、お姉ちゃんのことなんて愛してない。もうみんな、うんざりしてるの。

孝太郎さんがお姉ちゃんのそばにいるのだって、愛してるからじゃない。昔、命を助けてもらった恩があるから、簡単に切り捨てられないだけ」

私は指先をぎゅっと握りしめた。

瑞歩はさらに顔を近づけてくる。

「私といると楽しいって、彼、言ってたよ」

胸の奥を重い泥で塞がれたように、息苦しくなる。

瑞歩は私を見据えたまま、さらに軽やかに笑った。

「お姉ちゃん、どうしてまだ死なないの?

死んでくれたら、みんな楽になれるのに」

私はしばらく彼女を見つめたあと、ふいに口を開いた。

「……夢でも見てなさい」

瑞歩の顔から笑みが消える。

「あなたに譲る気なんて、ないから」

彼女は眉をひそめた。私は構わず、ゆっくりと言葉を続けた。

「私が婚約を解消しない限り、あなたはいつまで経っても、ただの浮気相手でしかないのよ」

次の瞬間、頬に平手が飛んできた。

私はその勢いでベッドから落ち、腰をベッドの角に強く打ちつける。

痛みのあまり、私は床にうずくまった。

瑞歩は勝ち誇った顔で、床にうずくまる私を見下ろしている。

「これが、身の程知らずの報いよ!」

言い放った直後、彼女は突然、泣き声を上げ始めた。

「お姉ちゃん!どうして私を叩くの!」

そして、薄れゆく意識の中で、私が最後に見たのは――血相を変えて駆け込んできた孝太郎が真っ先に瑞歩へ駆け寄り、その名を呼ぶ光景だった。

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