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裏切り局長の夫を捨て、天才物理学者へ第1話

この話は約3936字。当サイトでは第1〜3話を試し読みできます。

人生をやり直してから、藤堂佳奈(とうどう かな)はまるで別人のように変わった。

夜明け前に起き出し、時間を見計らいながら夫である藤堂慎吾(とうどう しんご)のために朝食を用意し、弁当箱に詰めて夫の所属先――国家治安維持局まで届ける――そんな、家の味を一口でも食べさせたいという思いからの行動は、もうしなくなった。

毎日夕方に幼稚園へ子供を迎えに行き、息子の藤堂樹(とうどう いつき)の手を引いて、今日覚えた新しい歌を無邪気に歌うのを聞きながら帰ることもなくなった。

たとえ樹が交通事故に遭って病院に運ばれ、慎吾から何度も電話がかかってきても、佳奈は取り合おうとしなかった。

38回目の着信が鳴った時、佳奈はようやくゆっくりと電話に出た。

受話器の向こうからは、慎吾の焦りを帯びた声が、やがて怒りを押し殺した調子へと変わった。「樹が事故に遭ったんだぞ、知ってるのか!」

佳奈は受話器を握りしめたまま、目の前の書類に視線を落とし、感情のない声で答えた。「ええ、知っています。もう何十回も電話をかけてきたじゃありませんか」

* * *

人生をやり直してから、藤堂佳奈(とうどう かな)はまるで別人のように変わった。

夜明け前に起き出し、時間を見計らいながら夫である藤堂慎吾(とうどう しんご)のために朝食を用意し、弁当箱に詰めて夫の所属先――国家治安維持局まで届ける――そんな、家の味を一口でも食べさせたいという思いからの行動は、もうしなくなった。

毎日夕方に幼稚園へ子供を迎えに行き、息子の藤堂樹(とうどう いつき)の手を引いて、今日覚えた新しい歌を無邪気に歌うのを聞きながら帰ることもなくなった。

たとえ樹が交通事故に遭って病院に運ばれ、慎吾から何度も電話がかかってきても、佳奈は取り合おうとしなかった。

38回目の着信が鳴った時、佳奈はようやくゆっくりと電話に出た。

受話器の向こうからは、慎吾の焦りを帯びた声が、やがて怒りを押し殺した調子へと変わった。「樹が事故に遭ったんだぞ、知ってるのか!」

佳奈は受話器を握りしめたまま、目の前の書類に視線を落とし、感情のない声で答えた。「ええ、知っています。もう何十回も電話をかけてきたじゃありませんか」

慎吾はその冷淡な口調に言葉を詰まらせ、やがて怒りを爆発させた。

「知っているなら、どうして来ないんだ!樹は足を骨折して怯えきっている。今は母親であるお前がそばにいてやるべき時だろう!あいつがどれだけ泣いているか分かっているのか?喉を枯らして、ずっとお母さんと呼んでいるんだぞ!」

佳奈は一瞬沈黙してから、指先で静かにページをめくった。「泣き疲れれば、そのうち泣き止みますよ。樹も自分で乗り越えることを学ばなければなりませんから。私は資料を読んでいるので、これで失礼します」

「佳奈!」受話器の向こうで慎吾はほとんど怒鳴っていた。

佳奈はそのまま通話を切り、ついでに電話線を抜いた。

その夜、慎吾は全身に冷気をまとったまま自宅へと戻ってきた。

佳奈は分厚い資料と原稿用紙の山に顔を埋め、慎吾が帰ってきたことにも気づかないほど集中していた。

この数日間ずっと無視され続けてきた苛立ちと、得体の知れない怒りが入り混じり、一瞬で慎吾の理性を吹き飛ばした。

彼は大股で近づき、机の上にあった一番分厚い資料をつかみ上げると、力任せに床へ叩きつけた。

「佳奈!」慎吾の声は氷のように冷え切っていた。「樹がまだ病院で寝ているというのに!こんなものを読んでいる場合か!」

佳奈は突然の物音に驚き、顔を上げて慎吾を見た。

慎吾は端正な容姿をしており、きちんとした制服が広い肩と引き締まった体つきを際立たせていた。真っ直ぐな立ち姿には、生まれ持った冷ややかで気高い雰囲気と、局長という立場特有の屈強なオーラを纏っていた。

もし前世の佳奈であれば、慎吾にこんな風に見つめられただけで、とうにパニックに陥り、どうしていいか分からず必死に弁解し、彼をなだめようとしただろう。

だが今の佳奈の心には、さざ波ひとつ立たなかった。

彼女は静かに腰をかがめ、床に落ちた資料を拾い上げようとした。

「拾うな!」慎吾は鋭く制止すると、足を上げ、その資料を部屋の隅で燃えている暖炉の方へ蹴り飛ばした。

「資料、資料、お前はそればかりだな!お前が今、国立先端物理学研究所に入るために準備しているのは知っている。それがお前の夢だから、俺も反対はしなかった。

だが、研究所は今改革されたんだ!入所すれば極秘プロジェクトに参加させられて、短くて3年、長ければ……10年、いやそれ以上になるかもしれない!

言ってみろ、この家をどうするつもりだ?樹はどうなる?あいつはまだ4歳だぞ!今日樹が外に飛び出して事故に遭ったのは、お前が母親としてちゃんと面倒を見ずに、一日中こんなものにかまけていたせいだろう!」

佳奈はゆっくりと身を起こし、慎吾の怒りに満ちた視線をまっすぐ受け止めた。慎吾の瞳は、凍りついた湖面のように澄み切って冷たかった。

「それで、何が言いたいのですか?」彼女は静かに問い返した。

「それで、だと?」慎吾は佳奈の頑なな態度に苛立ち、こめかみに青筋を浮かべた。「お前に二つだけ選択肢をやる。一つ、研究所への入所を諦め、家で大人しく樹の面倒を見る。俺の妻として、そして樹の母親として、務めを果たすこと。もう一つは――」

慎吾は一拍置き、佳奈の目を睨みつけながら、冷たく言い放った。

「離婚だ」

離婚――佳奈は静かに慎吾を見つめた。前世で一生をかけて愛し、そして一生を棒に振る原因となったこの男を。

若くして局長に上り詰めた、容姿端麗で輝かしい実績を持つ男。大勢の女性局員や家族用官舎の娘たちが密かに思いを寄せる憧れの存在であり、前世の佳奈もその一人だった。一目見た瞬間から恋に落ち、それ以来、佳奈の心の中は慎吾でいっぱいになり、彼にすべてを捧げてきた。

だが今、慎吾を見つめる佳奈の心は、湖面のように静まり返り、さざ波ひとつさえ立たなかった。

「分かりました」彼女は静かに言った。「安心してください。私は……正しい選択をします」

慎吾の胸が、ドクンと激しく鳴った。

佳奈のあまりに落ち着いた口調と表情に、慎吾は理由の分からない不安を感じ取った。

一瞬、佳奈の口から「離婚」という言葉が飛び出すのではないかと錯覚したほどだった。

だが、そんなはずはない。

佳奈がどれほど自分を愛し、樹を愛し、この家庭を大切にしているか、慎吾が一番よく知っていた。

当時、上層部の紹介でお見合いをした時、佳奈は星のように輝く目で自分を見ていた。

結婚後も俺を献身的に支え、樹を宝物のように大切にしてきた。

この家庭のために、彼女は一番好きだった仕事すら辞め、家で夫を支え、子育てに専念していた。

他の人が離婚したとしても、佳奈だけは絶対に離婚するはずがない。

それほどまでに、佳奈は俺を愛しているのだから。

どうやら、俺の頑なな態度が効いたらしい。佳奈は研究所を諦め、家庭に戻るつもりなのだろう。

そう思うと、慎吾の張り詰めていた気持ちは緩み、声の調子も少し和らいだ。「分かったなら、もうこんな無駄なものは見ないように。俺の給料だけで十分生活できるし、お前を食うに困らせることもない。研究所なんて、お前が行くべき場所じゃない」

慎吾は眉間を押さえ、疲れた様子で言った。「先に風呂に入ってくる。明日の朝、一緒に樹を見に行こう」

そう言うと、彼は上着を脱いで椅子の背にかけ、浴室へ向かった。

しかし上着はそのまま床に滑り落ち、上着の内ポケットから1枚の写真がひらりと落ちた。

佳奈は腰をかがめてそれを拾い上げた。

写真に写っている女性は若く美しく、黒いおさげ髪を揺らしながら、優しい笑顔を浮かべていた――慎吾の初恋の相手である葛城理央(かつらぎ りお)だった。

写真の縁は擦り切れており、慎吾が何度も手に取っていたことがうかがえた。

慎吾の顔色が変わり、慌てて駆け寄ると、佳奈から写真を奪い取った。

「これは……この前、理央に写真の現像を頼まれて、渡し忘れてポケットに入れたままだったんだ」

その嘘はあまりにも稚拙で、思わず笑ってしまうほどだった。

写真は普通まとめて現像するものだ。誰が1枚だけを現像し、しかもこんなふうに大事に持ち歩くというのか。

口に出した瞬間、慎吾自身も無理があると気づいたのか、わずかに顔をしかめた。

彼は何か言い足そうと口を開きかけた。

だがその前に、佳奈は静かに背を向けていた。

「分かっています。何も言っていませんから、お風呂に入ってきてください」

慎吾はその場に立ち尽くした。感情の揺れが一切見えない佳奈の静かな横顔を見つめていると、胸の奥に押し込めたはずの不安が、またじわじわと浮かび上がってくるのを感じた。

佳奈が……全く気にしていない?そんなはずない。

「佳奈……」彼は思わず言葉を付け足したが、その声はどこか素っ気なかった。「俺と理央は……とっくに終わったことだ。変な勘違いはよせ」

「勘違いなどしていませんよ」佳奈は慎吾に背を向けて、机の上に散らばった資料を片付け始めた。

慎吾は佳奈の少しも揺らがない背中を見つめ、胸の内の不安が波紋のように広がっていくのを感じたが、何がおかしいのかは分からなかった。結局、彼は腹の底に疑念を抱えたまま、浴室へ戻っていった。

ちょうどその時、リビングの電話が鳴った。

佳奈が歩み寄り、受話器を取った。

「もしもし、藤堂佳奈さんでしょうか?こちらは国立先端物理学研究所です」受話器の向こうから、厳格でありながらどこか興奮を帯びた声が聞こえてきた。

「厳正な審査の結果、藤堂さんを正式に採用することが決定しました。極秘プロジェクト・スターファイアへのご参加、おめでとうございます!」

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