裏切りの結婚記念日〜私は子を堕ろし、夫を捨てた〜第3話
この話は約1463字。当サイトで読める3話の試し読みのうち、最後の話です。続きの第4話からは公式アプリで読めます。
理沙はすぐに動いてくれた。慧が送りつけてきた案をもとに離婚協議書を整え、私のもとへ届けてくれた。
迷いはなかった。私はその場で自分の欄に署名し、すぐにタクシーで慧の会社へ向かった。もう一日だって、あの人の妻でいたくなかった。
エントランスの警備員は、私を見るなり気まずそうな顔をした。
「奥様、申し訳ありません。ここ数日、奥様がお見えになってもお通ししないよう、社長からきつく言われておりまして」
その意味を理解した瞬間、思わず笑ってしまった。私の金で始めた会社なのに、今ではその私が門前払いか。
こみ上げる怒りを飲み込み、できるだけ平静に言った。
「では、社長に伝えてください。すがりに来たんじゃありません。離婚協議書に署名してもらいに来ただけです」
警備員はすぐに内線を入れてくれた。けれど、そこからエントランスで2時間も待たされた。立っているのもつらくなったころ、ようやく社長室へ通された。
ドアを開けた瞬間、目に飛び込んできたのは――社長の椅子に我が物顔で座る朱音だった。
なるほど。さっきの警備員が、気の毒そうに私を見ていたわけだ。これでは、同情されても仕方がない。
「慧はどこ?」
朱音はそのまま笑い、わざとゆっくり背もたれに身を預けて、こちらを見上げた。
「どうしたの、莉子さん?こんなところまで追いかけてきて。まさか、慧さんがまだあなたに未練があるとでも思ってるの?
もうわかったでしょ。慧さんが愛してるのは私だけ。私が欲しいって言えば、何だって用意してくれるんだから。いい加減、察したら?これ以上みっともなくすがるのはやめて、さっさと帰っていいじゃない?」
得意げに言い募る朱音を見ていると、名門大を出た慧が、どうしてこんな品のない浅はかな女を選んだのか、本気でわからなくなった。どうやら、見る目までなくしてしまったらしい。
私は挑発を聞き流し、怒りを抑えながらバッグから離婚協議書を取り出した。
「勘違いしないで。慧に署名してもらいに来ただけ。これで念願どおりね。私のお下がりでそんなに喜べるなんて、ずいぶん物好きね」
もう、慧がどちらの味方をしようと、どうでもよかった。あの子を手放したときから、慧に何かを期待する気持ちは、もう何ひとつ残っていなかった。
そう言い終えた直後、慧が血相を変えてドアを勢いよく開けた。その大きな音に、私も朱音も思わず身をすくめた。
慧の姿を見るなり、朱音は駆け寄って腕にすがり、涙声で訴えた。
「莉子さんが急に来て、ひどいことばかり言うの。私、何もしてないのに……」
「黙れ!」
慧は朱音を一喝した。泣き出した彼女には見向きもせず、机の上に置かれた離婚協議書をつかみ上げる。
「莉子、お前、何考えてるんだ。本気で俺と離婚するつもりなのか?」
長時間立ちっぱなしだったせいで、顔色は悪く、喉もからからだった。それでも、取り乱す慧を前にしても、不思議なくらい気持ちは冷静だった。
「ええ、そうよ。あなたが望んでたことでしょ」
私は淡々と答えた。その言葉に、慧は明らかにうろたえた。
「……冗談だよな?」
「離婚協議書は弁護士に整えてもらったけど、条件はあなたが送ってきた案のままよ。私はもう署名してある。何が不満なの?」
今さら態度を変える慧を見ても、白々しいとしか思えなかった。
「本気じゃなかったんだ。頼むから、もうこんなことはやめてくれ。離婚だけは考え直してくれ」
その必死な様子だけは、本気に見えた。けれど、もう一度信じる気にはなれなかった。
「慧、もうやめて。これ以上みっともない真似はしないで。せめて最後くらい、きれいに別れよう」
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